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「きわどいはなし〜告白〜」真の悪の変態って?


リアルほど、人間ほど
切なく怖いものはない



イケメンYouTuber理生さんが「明るい変態」の調査を始めたらしい。変態を研究し始めたのは、私の方が先だと自負しているsanngoです。
おはようございます。

#挨拶文を楽しもう


ただ大変残念なことに、私は変人だが変態ではない(泣)至極ノーマルな人間だと思っている。

さて、では真の悪の変態とはどのような獣の事を言うのか、お話したいと思う。


何度も記事で書いてきたように、私の両親は私が三歳の頃に離婚している。
本家の長男として養子に入っていた父は、直ぐに見合いで新しい妻を娶った。それが私の新しい母、継母だった。
継母には数々の虐めを受けて育ったが、私は三歳で自分の意思で父と暮らす事を選んだ事を後悔していない。
いや、むしろ、良かったと思っている。
その最たる理由は…



ここからは吐き気を催すかもしれません。
踵を返してお帰り下さっても構いません。


私が実の母と再会を果たしたのは、高校一年生の頃だった。
当時、実母は再婚していて私には種違いの妹二人が出来ていた。実母はよく笑う明るくて優しい人で、私の身の上を聞くと「引き取りたい」と何度も父に申し出てくれた。
実母の再婚相手は、それなりに裕福だったので娘が二人から三人に増える事に反対もせず、いや、むしろ私と出会ってからは実の娘達よりも私を猫可愛がりしてくれたと記憶している。
そんな義父になるかもしれなかった人が、それから数年後に脳梗塞で倒れた。まだ三十代の若さで片麻痺となったその人は、それでも私をずっと可愛がっていてくれた。
でも私自身は、どんなに継母に苛められても父の元を去るつもりは最初からなかったが…

それは、うだるように暑い或る夏の日の事だった。実母が出掛けていたので、私は義父(正確には違うが)の夕食の支度をするように実母に頼まれていた。家庭教師のバイトが終わって、カレーを作ろうとスーパーの袋を抱えて実母の家に行ったと記憶している。
「おじちゃん、今日、カレーでいい?」

私は義父の事を『おじちゃん』とずっと呼んでいた。
「いいね〜、でも、その前にsanngo、疲れただろう?マッサージ習ったからしてあげるよ」
義父は、いつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべて私にそう言った。
「えー!?いいよ、おじちゃんも疲れちゃうじゃない(笑)」
「いいから、いいから、此処に横になってごらん」
義父は障害がある身体で、畳の上に座布団を二枚並べるとそこを指差した。
そこまでされて私は「イヤ」と断れなかった。
テーブルの上にスーパーの袋を置いて、言われるままにうつ伏せになった。古ぽけた扇風機が忙しなく、ぶるぶると音を立てて回っていたのを何故か覚えている。

最初は頭、それから肩、背中、腰……

おじちゃんの手が指が、だんだんと私の下半身に近付いてくる、それと重なり合うように、呼吸が「はぁはぁ…」と荒い獣の息遣いに変わっていくのを私は背後に感じた。

危ない?でも…まさか…
15の頃から、何かにつけて可愛がってくれてきた義父だ。そんな事、あるはずが…
遂に私の大切な場所に(デニムを穿いてはいたけど)義父の指がぐわっと伸びた。

「止めて!!」
私は大声で叫んだ。

「止めて!!何するのよ!!」 

その声に返って触発されたのか、義父は私の身体の上にドスンと覆い被さった。
はぁ、はぁ…
息遣いが耳元に近付き、私の名前と
「いいだろ、いいだろ?」
を義父は繰り返した。
「いやーーーー!!」

片麻痺とはいえ大の男の力だった。
それでも、私は全身の力で義父を跳ね除けて、座布団を彼めがけて叩きつけた。

「おじちゃん、おじちゃん、おじちゃん…」

涙が後から後から溢れて、もっと遠くへ逃げたいのだけれど前が見えなくて、ただその場に立ち尽くして泣いていた。
そんな私を無視するように、獣となった義父は片足を引き摺りながら、隣の部屋へ姿を消した。
小娘に辱めを受けたから、恥ずかしくて反省するのか?と思った私の愚かな希望を

「はぁ、はぁ、はぁ」
義父の自慰する声が打ち砕いた。
「はぁ、はぁ、はぁ…あ、あぁあ〜」

耳を塞ぎたくなるようなおぞましい絶頂に達する声を私は泣きながら聞いていた。
後にも先にも男性が一人で達する声を聞いたのは、あれが最初で最後だと思う。

泣きながら外へ飛び出すと車のエンジンを掛けた。あの日、薄ぼんやりとした夕日が沈む中を車を飛ばして、私は何処へ行ったのだろう?
覚えていない。

あのカレーの材料はどうなった?
夕飯の支度をしなかった事を実母に何て言い訳した?
覚えていない。
ただ、この事を実母には決して話さないと心に誓った事だけは覚えている。
多分このまま一生、実母には話さないだろう。
それは義父を庇うのではなくて、私の母を傷つけない為に。

それから十数年後、義父は心筋梗塞を起こして亡くなった。
義父をもう恨んではいないが、私はまだ、あのおぞましい事件を忘れる事は出来ない。


因果応報?


義父が亡くなって、直ぐに実母には彼氏が出来た。
今も仲良く実母の家で、一緒に暮らしている。その人は、優しくて誠実な人だった。
私の夫が倒れるその日までは。

東日本大震災で節電対策が取られていた頃、私は毎日、主人の病院へ介護に通っていた。夜、古びたマンションへ帰るとエレベーターが止められていて、6階までの暗い階段を疲れた身体で上らなければならなかった。暗がりを時々襲う余震も怖かった。
実母は、そんな私の様子を見て自分の家から病院へ通うようにと薦めてくれた。
それに実母の家からの方が、主人の入院する病院は近かった。その日から母は私が余震が怖いだろうと広いリビングに布団を三つ並べて敷いた。其処で三人で眠るようになった。私はずっと離れて暮らしていた母と一緒に寝られるのが嬉しくて、母の隣にべったりとくっついて寝ていた。

数日後の深夜のことだった。
ガサガサとした物音で目を覚ますと母の向こう側で寝ていたはずの母の彼氏の顔が目の前にあった。

「さんちゃん、キスしよう」
「あ゙?」

あぁ、まただ。
善人の仮面を被った変態が、その本性を現した。
急いで母の方を見ると布団で寝ていたはずの母が居なかった。

「お母さんはトイレだから少しなら大丈夫だよ」

暗闇に浮かび上がるにやにやとした男の顔が気持ち悪かった。その顔を思いきり叩き、
「何かしたら、大声を上げるよ!」
私は頭まですっぽりと布団の中へ潜り込んだ。あの夜は朝まで一睡も出来なかった。
その日を境に、二度と実母の家に泊まらなくなったのは言うまでもない。
それからも母の彼氏は私が一人で主人を介護している病院へ姿を現して、
「さんちゃん、さんちゃん」と阿呆のように付きまとった。そして私にやたらと小遣いを運び続けた。口止め料のつもりだったのか、懺悔だったのか、それとも…
未だに本人に聞いていないから真意は分からない。

この話も実母には、一切しなかった。そして、これからも話すつもりはない。
何も知らないまま、幸せなまま旅立てば、それでいいと思っている。

真の悪の変態は、普段は善人と言うペルソナを被って生息している。
だから、なかなかその姿を見つけ出す事は難しい。
最後に一言だけ言わせて!!

「二人共、大嫌いだ!!」


#なんのはなしですか

山根あきらさんの企画に参加させてください。
よろしくお願いします。



誰でも棺桶にまで持っていく秘密の
一つや二つ持っている!?

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