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自分を丁寧に扱い、人とも丁寧につながる

少し前の記事ですが、日本の高校生の自己肯定感の低さが取り上げられていました。

https://benesse.jp/kyouiku/201805/20180509-1.html

これは、私は少なからず家庭の影響も大きいのではないかと思います。

子どもを親の所持物のように扱う毒親、という言葉をよく聞きます。子ども時代だけでなく、大人になっても続き、親が間違っていると思っても、子どもはNOと言えないケースも多い。

まさにそんな経験をしました。
私は父から20年前に勘当されています。

父が海外単身赴任中の27年前、母が事故で亡くなり、それをきっかけに元々人間関係が希薄な研究者肌の父と、私の含めた親族との歯車が噛み合わなくなったのです。

私が就職のため家を出てから3年後、父から再婚予定の相手を紹介されました。

その女性は派手な生活を好み、父や父が受け継ぐはずの祖母の財産(母が一人娘だった為、父は祖母の養子でした)を搾取しようとしているのが誰の目からも明らかでした。

彼女は祖母に対して自分を養女にしてほしい、といい、それを父も当然だと祖母に迫ったのです。

祖母が不審に思い、一度しか会ってない人を養女にできない、と断ると、烈火のごとく怒り出し、罵詈雑言を投げつけ出て行った女性と彼女を追う父。

事情を知ると、私と弟に加え、父の兄夫婦たちも祖母の味方に。

「お前たちは父親の幸せを願えないのか!」と何度も言われました。

その後、父は私たち子どもを含め、親族一同と縁を切ると伝え、ご丁寧に勘当する旨の書面も送られてきました。

私たちはどんなに父から人格を否定され続けても、最後までこちらからは父との縁を切る決断ができなかったのです。

ですので、父から勘当を言い渡してきた時、私はそんな人間なんだという絶望感と、呪いの言葉をぶつけてきた父からようやく解放される(法律上は親子ですが)という安堵感との両方がありました。

ただ、父が祖母から受けた恩をあだで返す仕打ちをしてあの女性を選んだ以上、私たちは間違った選択をしていない、という確固たる自信もありました。

それから13年後、父との事があった当時は味方だった元夫との離婚問題を抱えていた当時、自己肯定感ゼロに近い状態が続きました。

でも、その度に弟や伯父伯母、親しい友人知人が救いの手を幾度となく差し伸べてくれました。

「sannaは正しいよ!間違ってないから大丈夫。力になるよ!」

希死念慮もずっとあり、自分を肯定してくれる言葉を聞いていないと気が狂いそうでした。

勘当され、その上離婚したダメな人間、というレッテルを貼られるのが怖く、他人からの評価で自分の行動を決めてしまったのです。

結局は離婚し、拠りどころとなる実家も仕事もない私がどうやってこの先生きていけるんだろう。。ぬかるみの中から始まった子供達2人との生活でした。

自分に悪いノイズをもたらし続けた父や夫と、自分から離れる決断をできなかったのは私の弱さなのか、単なる執着なのか、いまでも解りません。

でも一つ言えるのは、気付いたらできるだけ早くそのノイズから離れるべきだったということ。

今はノイズをもたらすことや人とは、距離を置くようにしています。
残りの人生、できればやりたい事だけしたいし、好きな人とだけ一緒に過ごしたい。

私は自分が未熟な人間だとずっと思っていて、修行だと思ってムダに耐えてきた時もありましたが、辛い思いはもうたくさん。

事故や病気での愛する人との別れなど、深く傷つき、失い、立ち上がらなければいけない不可避の出来事が人生には沢山あります。

せめて自分で選択できるものは、可能な限り、より自分の心身が幸せになる方を選べばいいのです。

私が学んだことは

自分を否定する人がどういう人なのか、客観的に評価してからそのメッセージを受け取るかどうか決めること。

自分が今の状態を幸せに感じられるかどうか、敏感になること。

心の小さな声を聞き逃さず、自分を丁寧に扱うこと。

その上で丁寧に人と繋がり、育てれば、ちゃんと自分の心地の良い居場所を作れるのだと、やっと自分自身を信じられるようになりました。

ようやく育ってきた、私の居場所を大事にしたい。

そしてだからこそ、子どもたちのノイズになるような毒親にはなりたくないと思っています。

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