見出し画像

拝啓 やさしいあなたへ

"やさしさ"という概念が好きだと思う。
やさしい声とか、やさしい味とか、やさしい色合いとか、そう言われるようなものが好きだ。
少し考えてみれば不思議だ。優しさとははっきりと目に見えないのに、どうしてやさしい○○という言葉が世の中には存在するのか。
やさしい声とはどんな声?やさしい味とはどんな味?やさしい色合いってどんな色?
その答えは出せずとも、だれかと共有することができるやさしさという概念が存在する。
そう思うとこの世界が、少し素敵に映る気がする。

noteの#やさしさにふれてというハッシュタグのついた投稿を見るのが好きだ。
一人一人のやさしさに対する思い出が、想いが、考えがつまっていて読んでいてあたたかく満たされる気持ちになる。
この気持ちは、もしかしたら"やさしい気持ち"というものなのかもしれない。
私もこのハッシュタグをつけて何か書きたいと思った。しかし、私にとってやさしさとは人生のテーマに近く、気軽にあつかえる話題ではなかったのでなかなか書けずにいた。

そんな私が何故今noteを書いているのかといえば、真夜中のラブレター症候群というやつだ。
本来、真夜中のラブレターとは人に見せるものではなく翌朝に読んで恥ずかしさに悶えた後に千切って捨てるものだと思う。
しかし、私は常日頃から誰かの真夜中のラブレターを読んでみたいと思っていた。
冷静さも客観性もない、ひたすらに愛と情熱と勢いによってしたためられたその文が日の目を見ないのはあまりにも勿体ないのではないかと。
想う相手に渡さずとも、インターネットの大海原に流してくれないものかと。
読みたいのならば、まずは自分が書くのが筋…なのかもしれない。
というわけで、この真夜中ゆえの勢いに任せて自らの恥を晒そうと思う。
当たり前だが、この上なく恥ずかしい内容になっているので共感力の強い方は閲覧にあたり注意していただきたい。



やさしいあなたへ

突然ですが、わたしはあなたのことが好きです。
驚かれましたか?それとも、わたしの気持ちに気付いていたでしょうか。

どこまでも広くて深い、海のような優しさをもつあなた。
控えめで主張しない、けれども芯の強い優しさを持つあなた。
不器用に覆い隠されたなかに、それでもしっかりと存在する根底の優しさを感じさせるあなた。

敏感で繊細で、誰かの落ち込みにいち早く気付くことができるあなた。
大切な人の幸せを素直に喜ぶことのできるあなた。
ひとりでいるひとを見つけて声をかけることのできるあなた。
電車で席を譲ることができるあなた。
笑顔でいらっしゃいませと声をかけてくれるあなた。

ここには書ききれない、あなたから受け取ったやさしさの一つ一つに救われた私がいます。
わたしを今日まで生かしてくれたのは、あなたからもらったそのささやかなやさしさです。
「ありがとうございます」や、「大丈夫です」の一言で済ませてしまったけれどその時のわたしはとびきりの嬉しさを感じ、溢れそうになる涙を必死にこらえていました。
わたしもあなたのようになりたいのだと、そう思いました。

しかし、わたしは欲深い人間なのです。
あなたのその海のようなやさしさを一心にわたしだけに注いで欲しいと考えてしまう。
目立ちたがらないあなたのやさしさがもっと誰かに伝わってほしいと願ってしまう。
あなたのその不器用なやさしさをわたしだけが知っていたいと思ってしまう。

あなたのその優しさを思うと、満たされると同時に己の心の飢えと渇きを知り苦しくなります。
あなたのようには未来永劫なれないのではないかと考え、私に価値などない、消えてしまいたいとさえ思います。
そんな時でさえわたしを救ってくれるのはあなたなのです。
あなたの持つそのやさしさにふれると、わたしはわたしの存在が許されたような心地がするのです。

どうかこの身勝手な思いを胸に秘めて抱くことだけは許してください。
もしもあなたが人にやさしくすることができなくなってしまったとしても。
誰かを傷つけてしまったとしても。
それでもあなたがわたしにくれたやさしさは揺らがないし、わたしのなかであなたがやさしい人であることも揺らぎません。
あなたがあなた自身を嫌いになることがあっても。
あなたがわたしを嫌いになることがあっても。

わたしはあなたのことが好きです。