算命学余話 #G94 「思い込みと後悔」/バックナンバー
前回の余話#G93「選択肢がなくて依存する」に対して、読者からも反響がありました。奇しくも最近読んだ社会研究書『母親になって後悔してる』では、「母親になるしか選択肢がなかった」と主張する女性らの、宿命消化のまずさを露呈する発言が多数見られ、算命学者の立場としては、「もっとうまく宿命消化すれば泣き言を言わずに済んだのに」と言いたくなりました。選択肢を一つだけと見誤ったことで宿命消化に失敗し、運勢を下げた。だから愚痴が出てくるのです。選択肢が一つだけという事態などこの世に存在しないことは、前回余話で述べた通りです。つまり思い込みが人生を誤らせたということです。
『後悔してる』の母親たちの苦情の中には、「既に母親になっているベテラン女性らがこぞって母親となるよう誘導した」とか、「母になれば幸せになれる、今わからなくてもいずれ分かると説得された」とか、「母親にならない女は女性として失格だといった世間の評価にさらされるのが怖かった」などの声がありましたが、その結果彼らは後悔に満ちた半生を送ったわけですから、幸せになったとは言えません。彼らが信用した「幸せへの助言」は間違っていたわけです。それは、母親になって成功した種類の女性たちにのみ通用する片手落ちの思い込みに過ぎず、万人に通用する金言ではなかった。こうした事実には、算命学を学ぶ人には目を向けてほしいです。
陰陽五行説を思い浮かべれば、万人に通用する助言も価値基準もないことは明白です。すると「きっとこうなる」や「絶対こうだ」というものは、全て一部の人間の思い込みということになります。算命学の理屈ではそう考えるしかありません。
「世間の常識」とか「一般論」とかいうものは、多く見積もって9割程度の人には通用しても、残りの1割には全く当てはまらない「非常識」に反転するものなのです。『後悔してる』母親たちは、この1割に該当した。実際は1割では済まないかもしれませんが、いずれにしても、こういう人たちは「世間の常識」を鵜呑みにしてはならないし、鵜呑みにしないということは、大いに疑ってかからなければならないし、疑うことで闘うことになることも避けてはいけないのです。そう、闘わなければならなかった。恐らくそういう宿命を持って生まれたのだと推測できます。そんな宿命の持ち主なのに闘わなければ、それは運勢を落として当然です。昨今の平和主義も、こうした宿命の持ち主らの宿命消化を阻む原因となっています。
彼らの愚痴を総合すると、彼らは自分の名誉が大事のようです。「世間から白い目で見られたくなかった」り、「立派な母親になって褒められたかった」り。名誉は官ですから、生殖・育児の寿とは相剋関係です。実際、彼らは育児が得意でもないのに「我ながら立派に子育てしている。立派な母親をやっている」と胸を張ります。これは典型的な官の喜びです。本当は楽しくないことだけど、やれば世間に向けて顔向けできるというわけです。しかしそんな邪まな官の満たし方では、宿命消化は微々たるものです。そこには勇気がありませんから。
正しい官の発現には、勇気と自己犠牲が必要なのです。この人たちのやり方では、勇気はゼロ、自己犠牲はちょっぴりですから、宿命消化が進まなくて当然なのです。算命学を学ぶ人なら、こうした欺瞞や効果薄なやり口に与してはなりません。
というわけで、今回の余話は、世に蔓延る「誤った母親病」や「思い込み病」の弊害について、算命学の思想から考察し、解決策を探ってみます。いえ、もう結論は言ったも同然ですが、鑑定依頼でありがちな事態についても話を広げます。
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