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算命学余話 #R86「過干渉の時代」/バックナンバー

 友人の医師からこんな医療現場の話を聞きました。不眠症に苦しむある患者さんが、睡眠薬の処方を求めて診察にやって来た。しかし今日では睡眠薬は認知症の原因の一つになっていることが判っており、医者としては勧められない。そう伝えると患者さんは、「アタマおかしくなってもいいから私は眠りたいんです!」と訴えて、容易に引き下がらなかったというのです。
 実に切実な心の叫びです。この人にとっては将来の認知症より、眼前の不眠症の方が忌まわしい事態だったのです。目先の利益を優先している、と笑うわけにはいきません。我々人間はいまを生きているのであり、いまをクリアできなければ将来も何もないのです。

 とはいえこの話を聞いた時、私は不謹慎にも快く笑いました。この患者さんの正直さが、世間一般が支持している通説を押しのけたからです。つまり認知症は万人が忌避したいはずのエース級の病だという固定概念を、認知症になる前に不眠症で死ぬかもしれないという恐怖、或いは単に眠ってすっきりしたいだけといった矮小な生理欲求が凌駕したという事態に、眼前の課題に真摯に取り組む人間本来の活動姿勢を見出したのです。
 どうして将来罹るかどうかも判らない認知症のために、いまの苦痛を耐え忍ばなければならないのでしょう。どうして生きているかどうかも判らない老後のために、現代人は保険やら資産運用やら、果ては年金やらに財産を注ぎ込んでいるのでしょう。いまここで忍耐しさえすれば、その対価は必ず将来手に入ると、一体誰が保証しているというのでしょう。それほど現代医療を、営利企業を、国家を、行政を、信じるに足りるだけの証拠を、我々は充分に並べることができた上で、その取引に応じているのでしょうか。実際はよく調べもせずに、社会の風潮や根拠の希薄な意見、言葉巧みで無責任な宣伝に安易に流されているだけではないのでしょうか。

 まあ睡眠薬について言うならば、これは算命学者としてあまりお勧めできない解決法です。睡眠薬に限らず、薬物とは適度に使うからこそ健康に有益なのであり、濫用すれば逆に健康を害します。一回や二回といった限られた分量の処方で治るのなら、その薬は解決法として正解ですが、恒久的に服用が必要ともなれば、もはやそれは処方が間違っているのです。いくら服用しても治りはしないし、逆に人体の正常な回復機能を歪めていきます。
 こういう病は結局薬では治らない。ではどうやって治すかといえば、生活習慣を変えるしかありません。食事が悪ければ改善し、部屋の空気が悪いのなら清浄にし、衛生環境が悪いのなら向上させ、ストレスがあるなら転職や引っ越しをする。家族が原因なら家を出る。山に行く。外国へ行く。いつもと違う顔ぶれと会う。趣味や交際を広げる。或いは引き籠る。何でもいいです。病気の原因となっているものと疎遠になれれば。
 薬を飲んで一時的に症状が緩和されたところで、病気の原因がそのままではまたぶり返します。それよりも病気の原因そのものを取り除いた方が近道ですし、根治療にもなります。算命学にはこうした病気の原因を突き止める手立てがいくつかあるので、薬物に頼る前に宿命を探ることは意義があります。
 病気になったらまず医者に相談するのは正解ですが、勧められた治療を始める前に、自分がその処方に納得しているかどうか、充分考慮した上で踏み切ったものかどうかくらいは、明確にしておくべきです。もし心が疑いを差し挟んでいるのなら、治療を断る勇気も必要になるでしょう。医者とあなたは違う人間なので、医者の最善があなたの最善だとは限らないからです。それがあなたの最善かどうかは、あなたの本能に訊いた方が確実です。その本能さえイカレてしまったのなら、もう先は短いのだと覚悟を決める時なのです。

 冒頭の話に戻りますと、「将来の安泰より目先の利益」と言われると深慮の足りない浅はかな人間のように聞こえますが、この場合の「将来の安泰」が本物かどうかも判っていないのに目先の利益を無視するのは、やはり同様に深慮不足というものです。
 例えば住宅などの長期ローンや長期間払い続ける保険料。高齢化社会における年金問題。近代の学校教育。昨今の話題としては遺伝病に対する断種という思想。LGBTの非生産性云々発言。いずれも将来はこうなる、という前提で話が進められているものですが、その将来とは本当に疑いなく、一分の狂いもなく予測通りにやってくるものなのでしょうか。科学技術が発達したと言いながら明日の天気予報さえ外している現代社会に生きる我々は、描かれた将来のために今の苦痛を我慢することを是とするべきなのでしょうか。もしかしてそれは誰かが仕組んだ罠かもしれないと、疑う必要はないのでしょうか。
 今回の余話はこうしたテーマについて考察してみます。例によって鑑定技術の話ではありませんが、「未来を予知するためのツールではない」と銘打っている算命学の思想面の理解を深めるための内容です。

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