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歩み寄りのキロク。いつかのわたしたちへ。

普段は補聴器をして生活しているけれど、お家に帰ったらできるだけ補聴器は外していたい。多分わたしの中で【補聴器=気を張っている】みたいなところがあって。だから、補聴器を付けているときは集中してよく聴くし、頭もまわっていると思う。

でも、帰宅するとオフモードなので、動画を見たり音楽を聴いたりテレビ電話をするときくらいしか補聴器を付けない。そんなことを言ってられるのも、わたしが一人暮らしをしているからだろうとも思う。実家に帰ると、ちゃんと家の中でもお風呂上がりも寝起きも補聴器をつけているし。

特にわたしは寝起きが悪くて、目覚めてから一時間くらいは本当に頭がまわらない。補聴器だって絶対に付けたくないし、口を読み取ることすらできているかは怪しい。

だから、週末のとある朝に誰かの家で目を覚まして夢うつつのなか「あとちょっと……」と布団を被りなおそうとしたときに、すごい勢いで話しかけられたその話を全部理解できてしまったことには、本当に本当にびっくりした。もちろん補聴器は付けていなかったし、誰かの口を読み取ることなんてまぁできない。

それを察したのか、その人はとにかく持ち合わせているすべての手話とジェスチャーでわたしに喋りかけていた。どうやら、急な仕事が入ったとのこと。だから、これからオンラインで会議に参加するねって。

朝早くから大変だなぁ……と思いつつ、画面に入らないようにコソコソと顔を洗ったり歯を磨いたり身支度を済ませながら、この人はこんなにも手話ができたのか、とジワジワとなにかが込み上げてきた。

普段の生活ではそんなに手話を使ってくれている感じはしないんだけれども、そういえば街中でも話しかけるときにはマスクをずらしてくれてたなぁとか、あの表現もこの表現も数年前に教えたなぁとか。

日々を過ごしているとどうしても「なんで手話使ってくれないんだろう」とか「わたしばっかり音の世界に合わせて嫌になっちゃう」とか思っちゃうことも、ある。でも、そんなことないよなぁって。たぶん、わたしたちなりに臨機応変に歩み寄ろうとしているんだろうなって。だって、朝から急な仕事が入ったってそんな慌ただしい心で寝ぼけたわたしを見てサッと手話を使ってくれるんだからね。

この朝も「補聴器付けて‼︎」と渡してくるんじゃなくて、音のない世界で微睡んでいるわたしには手話とジェスチャーじゃないと伝わらないなと歩み寄ってきてくれる人が隣にいること、なんだかとっても幸せだなぁってそんなことを考えながら補聴器をつけて、モーニングコーヒーを飲んで、おつかいに行ってきました。

いつかまた「わたしばっかり……‼︎」とプンプンしたときに、そんなことないよって、歩み寄りのキロクを。

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