見出し画像

「たいしたことないんだけどね」こそ「たいしたことある」のよ。

クリスマスイヴのお昼。家の前の急な坂道をやっと下ったその先で目に入ったのが、ご近所のギョーザ屋さん。

本当はショッピングモールに行く予定だったのだけれども、2年前にお引越しをしたときからずっと気になっていたそのお店がちょうど開いていたので、入ってみることにした。

店内に入ると、彼は迷わずテーブル席を選んでくれる。わたしとの会話は特に外では手話や口の読み取りが中心になるから、カウンター席よりも向かい合わせの方が都合が良い。

メニューはシンプルに
・ライス
・半ライス
・ギョーザ
・チャーシュー丼
の4種類。

【ギョーザ屋さん】だもん。それくらい潔いと気持ち良い。

ギョーザを3枚とライスをそれぞれひとつずつ注文してほっと一息お水を飲むと、隣の席にご家族が座ってきた。

ご家族が座って来るのとほぼ同じタイミングで彼が腕時計に視線を向けたので

なに?

と手話で尋ねると

「たいしたことないんだよ」

と前置きをして

11時 言ってた
「だから」時計 見た

と言って、くしゃっとした顔をしながらわたしに笑いかける。

なるほど
11 「の」手話 覚えてたんだね

と返すと、またくしゃっと笑いながら

「一瞬」 考えた 「けどね。思い出したよ。」

そう教えてくれた。

そんな話をしていたらお待ちかねのギョーザがやってきた。皮がモチっとして、緑の野菜がたっぷり入った餡の詰まったギョーザ。

すっかりギョーザのおいしさに包まれてしまって彼には伝え忘れたんだけれどもね。この会話、すっごく嬉しかった。

教えた手話表現を覚えてて使ってくれることはもちろん「たいしたことない」と一度判断した話題を、もう一度丁寧に言葉にしてくれたことが、すっごく嬉しかった。

わたしたち聴覚障害者は、神経を研ぎ澄ませて聴いたりみたりしないと、音声での話がわからない。だから、通訳をしてくれる人の与えてくれる情報が、わたしの世界のすべてで。

つまり、通訳してくれる人が「たいしたことない」と判断して伝えてくれなかった話は、永遠に「たいしたことあったのかなかったのか」の判断も自分ですることができない。

だから、こうやって周りの音情報を「たいしたことあるかどうか」をわたしに委ねてくれる人たちに対する信頼は、とにかく大きいわけで。「たいしたことないんだけどね」という前置きのある話をちゃんと言葉にしてくれる人が、今わたしの目の前にいる人で本当に本当によかったなとホッコリしたクリスマスイヴ。

そのまま嬉しい気持ちを抱きしめたまま、クリスマス一色のショッピングモールにも足を伸ばして、イチゴののったケーキを買っておうちに帰りました。

※グレーの囲いの中、鉤括弧付きが口の形、括弧なしは手話だった表現。

この記事が参加している募集

多様性を考える

見に来てくださりありがとうございます。サポート、とっても心の励みになります。みなさまからのサポートで、わたしの「ときめき」を探してまたnoteにつらつらと書いていきます。