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線と線が交わる瞬間を、日々紡いでいきたいだけで。

わたしの聴力は、補聴器を外すと右耳が120dB↑で左耳が70dBくらい。0dBが、キコエル人が聴き取れる最小の音量と言われているので、数字が大きければ大きいほどキコエナイということ。

LITALICO仕事ナビより


つまり、右耳は耳元で飛行機のエンジンが鳴ってても音が分からないくらいの最重度の難聴で、左耳は救急車のサイレンがキコエル程度。と言っても、わたしは救急車のサイレンもよっぽど周りが静かで目の前を通るタイミングじゃないと聴き取れない。蝉の鳴き声だって、分からないぞ。と、今この表を眺めては首を傾げている。

補聴器を付けると、35dBくらいになるけれどもそれでも、ささやき声は分からないかな。口の形を読み取ってる。エアコンの室外機の音は分かるかも。

というのも、聴力って防音状態のこの世で一番聴き取りやすい環境で検査するので。日常生活は雑音に溢れているので、実際は検査の結果よりも10dBくらい聴き取れていないと思った方がよい。

ところがどっこい、帰宅したら、特にお風呂上がりは補聴器を外して生活したいタイプの人間なので、家の中で音楽を聴くという習慣がない。テレビも持ってないし。ネット配信の番組とか無音で字幕だけで流しちゃったりするし。

もともと吹奏楽部に所属していたくらいなので、音楽自体は好きなんだけれども。でも、それで学習してしまったのか、外出するときは自分の聴力的に聴き取りやすい曲ばかりを集めたSpotifyのアルバムばかり流すので、何年も同じ曲ばかり聴いている。外出先だと雑音もあるからね。

だから、誰かのお家に行ったときにBluetoothスピーカーから流れてくる音楽たちは、いつもわたしに新しい世界を与えてくれる。Bluetoothのスピーカーって、低音とかは特に振動まで伝わってきて。お風呂上がりの補聴器を外している状態でも「むむむ。いま、音楽が流れているのね!」と気付いて補聴器を付けられる。

わたしひとりだと、適切な音量というものが分からないから、気付いたら近所迷惑になっているかもしれない……とオチオチ使えないけれども。キコエル人の調整するスピーカーなら、ちょっと安心だ。なぜか、わたしの周りのキコエル人たちは、揃いも揃ってみんな良いスピーカーを持っている。

わたしは、何度か聴き慣れた音楽ならほかの場所で流れていても聴き取れる。たぶん、小さい頃から聴く練習をたくさんしてきたから、その音楽たちも無意識に自分のものにしようと頭がアンテナを張って聴いていてくれたんだと思う。いわゆる、リハビリとか聴能とかっていうやつ。小さい頃にちゃんと、そういう練習を積んできたことが、ちゃんと生きてるってすごいよね。

そんなわけで、誰かのお家で何度か聴いた曲がInstagramのストーリーとかリールとかで流れてくると「わ!わたしこの曲わかる……‼︎」とピピっと反応する。これが、楽しい。聴き取れない初聴の曲とかはもうさっぱり、音があることがかろうじてわかる程度なので全然楽しめないので、分かるというのは楽しめるコンテンツを増やしてくれている

これもひとえに「さんまりちゃんキコエナイし、音楽とかかけても共有できないしな」と気を使われるんじゃなくて、いつも通りの生活を送ってくれる人のおかげなんだろうなぁと思う。ちなみに、実家の人たちもわたしがいようがいまいが、音楽番組をよく観る。だから「あの頃の懐メロ!」みたいな曲たちもたいてい楽しめる。宇多田ヒカルとかELTとかね。

おもしろいことに、仲が良い人ほどわたしがキコエナイというところについて気にせず生活をしてくれる。もちろん「この曲なんて名前?」と尋ねれば教えてくれるし、歌詞を知りたいと言えば歌詞カードを検索して、ときにはそれを一緒に追ってくれる。本当にありがたい。

インクルーシブとか共生とかそんな言葉だけがひとり歩きしているようなときもあるけれども。側に障害のある人がいるから何かを制限するんじゃなくて、自分たちの生活の延長線上で共に楽しんでいける、「線と線が交わる瞬間」を大切に紡いでいけたらどんだけ幸せな世界が織りなされるだろうと。そんなことを考えながら、今YouTubeを流している。

こんばんも、平和な夜です。

〜こんばん流してるYouTube備忘録〜


絶対に秋じゃないけど、秋っぽいってなんていうか体が良いのよねぇ……。

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