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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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#sanmariのひとりごと

暮らすこと、時が過ぎることの愛しさと恋しさと

今の家を借りるきっかけになった条件のひとつが、エントランスに宅配ボックスがあること。 聴覚障害のあるわたしにとって、インターホン越しの会話はなかなかにストレスフルなので、とても便利。もう、ほぼ全ての荷物をこの箱から取り出している。 そんなわたしの初めての一人暮らしは、大学院に進学するタイミングで、学内の寮だった。キッチンもトイレとお風呂も共用。だから、一人暮らしと言っても、ベッドとローテーブルを置いたらもう充分の小さなお部屋。 入寮すると決まったとき、それはそれはもう、

お耳のこと。互いに理解するために、歩み寄ろうとするだけの材料を。

今日は、昨日の夜に放送されたドラマ「silent」のまとめ動画やみなさんの感想がドバッとSNSに流れてくるので、なんとなくおセンチな気持ちになります。 右耳は生まれつき、左耳は高校卒業くらいから聴こえにくくなってきて、今は左耳に白い補聴器をして暮らしています。第一言語は日本語、第二言語は手話のさんまりです。こんばんは。 今でこそ「音声も手話も使って生活しています」と胸を張って言えるけれど、わたしにも と声を出さないで手話で生活していた時期が、ちょぴっとあったりなかったり

分かったふりにも、下準備が必要で。

自己紹介でお決まりのこの文句が、わたしの周りの空気を凍りつかせることが、そう少ない頻度で起こる。 というのも、そう尋ねられた先の右耳は全く聞こえなくて、左耳には白い補聴器がちょこんと引っかかっていて。そして、今まさにこの会話を相手の口の形を読み取りながら理解している聴覚障害者のわたしが、そこに存在するからだ。 だから、そんなときこそ「これはチャンス!」とばかりにiPhoneを操作してSpotifyの画面を見せる。 ちなみにどうやって音楽を聞いているのかというと、補聴器と

障害者には特別な才能がある、という呪い。

視覚障害者が聴覚を活かしてピアニストだとか、数字をたくさん記憶できる発達障害者だとか、芸術的な絵を描く知的障害者だとか。特異な才能をもつ障害者の話題は、事欠かない。 アップルを創業したスティーブ・ジョブズにはADHDの特性があったと言われているし、アインシュタインはアスペルガー症候群、辻井伸行さんは盲目のピアニスト……実際に、才能のある障害者はたくさんいる。 聴覚障害があるというと「耳が聞こえない代わりに普通の人よりも視る才能があるんでしょう?」と返されることがある。

通訳は誰のために

この世界は、多い人に合わせて作られている。 たとえば、ここがスペインだったら。お店で出てくるメニューはスペイン語表記のものがほとんどで、日本語表記のものはあったとしても頼まないと出てこないだろう。 たとえば、ここが通勤電車だったら。電車に乗る人は大多数が大人で、吊り革は160cmくらいの高さにある。地下鉄通学をしていた小学生時代はなんとしてでも座るか握り棒を握りしめていた。 そしてこの日本は、キコエル日本語話者が大多数で。わたしたち聴覚障害者、もとい手話を使う人たちは圧

「きこえにくい」のカミングアウト、実はとても緊張しているのです。

noteで、音の世界と音のない世界の狭間でなんてたいそうなマガジンを作っては細々と更新を続けるわたしだけれども、プライベートでも当事者団体で活動していたり自分達の権利をと声高らかに生きているのかと言われると、そうでもない。 役所や窓口みたいな公的な絶対に情報を逃してはいけないところに行くときには最初から声を使わずに筆談で攻めていくし、静かな場所でこじんまりと雑談を楽しむ程度なら聞き取れなくても相手が笑うタイミングで笑ったりこちらに視線が向いたタイミングで頷いたりしてその場を

聴覚障害のあるわたしの、ことばたちとの付き合い方 episode2〜手話で思考するわたしも、日本語で思考するわたしも〜

わたしには聴覚障害があるけれども、片耳の聴力がまぁまぁ良かったことや特別支援学校ではない一般の小中高等学校で育ってきたこともあって、母語は日本語だし、ちょっと舌ったらずな程度でだいたいの日本人が聞き取れるような発音で喋ることができる。 母語というのは、ある人が幼児期に周囲の人が話すのを聞いて自然に習い覚えた最初の言語を指すらしく、聴覚障害者には「手話」という言語があって、この「手話」を母語とした人もたくさんいる。 18歳まで日本語だけの環境で育って、高校卒業くらいのタイミ

わたしの周りは、聴覚障害者であふれている。

聴覚障害のある方に、初めて出会いました。 初めましての方に聴覚障害をカミングアウトすると、よく言われる言葉のひとつ。 でも、わたしはどうも腑に落ちない。なぜだろう。わたしの身の回りは、聴覚障害者であふれている。 正確にいうと、中学を卒業する頃までは、交流(運動会や文化祭など行事のときにろう学校に遊びに行っていた)で通っていたろう学校の生徒以外の聴覚障害者がいるとは知らなかった。でも、高校以降は同級生にも先輩にも後輩にも聴覚障害者がいて、今も聴覚障害のある同僚がいる職場で

聴覚障害のあるわたしと、耳に入ってきたらテンションがあがる音〜6月6日補聴器の日〜

「趣味はなに?」「特技はなに?」みたいな話題があがるたびに、こう答えるようになって数年。この延長線上でよく尋ねられることに、こんな質問がある。 「好きな音楽はなに?」 出会ったばかり、これから相手のことを知っていこう、そんなタイミングでわりと無難そうなその質問は、往々にしてわたしの周りの空気を凍らせる。 よく見ると、わたしの左耳には小型機器が掛かっていて。相手はその白い塊とわたしの顔を交互に見ながら、バツの悪そうな顔をする。 わたしは、聴覚障害者 相手はきっと、社交

「雨の音が聞こえたから窓の外を見る」ことと「激しく降る雨をみて初めて、その雨音が聴こえてくる」ことの狭間で。

「雨の音、すごいね。分かる?」 わたしの肩をトンっとたたいて、彼女はそう言った。窓の外を眺めると、雨の線がくっきりと見えるような豪雨だった。自分の目でしかとその様子を確認したのとほぼ同時に、わたしの耳に「ザーザー」と激しい雨が降りはじめた。 「……わかった。これは、すごいね。」 一度音として認識できると、そこから先は、わたしの世界にも雨の音が流れ始める。その雨はさらに強く地面に打ちつけた後、30分ほどで止んだ。 GWに地元に帰省したときのこと。大学時代からよく集まる友

聴覚障害のあるわたしの、ことばたちとの付き合い方 episode1

その日、いつも通り職場の会議に手話通訳の方が来ていた。議事が進んでいく中、わたしは資料と手話通訳を交互に見ながら内容を理解していく。そして、わたしが発言するタイミングがきた。 いつもだったら手話で読み上げて、通訳の方がそれを見て音声通訳をしてくれる。「会議に手話通訳が欲しい!」と要望して通訳に予算をつけてもらうからには、わたしの思考は手話モードでいなければいけない、そう無意識に感じていたから。 でも、この日は報告しないといけないことがいっぱいありすぎて、そのどれもを日本語

マジマジと見つめられた視線の先で、この世界に惚れ直した。ちょっとだけ。

補聴器をつけることや手話をすることは、わたしにとって必要なこと。だけれど、それをマジマジと見つめられる視線が、なんだか苦手だった。「わたしは聴覚障害者です!」と宣言しながら歩いているようで、それがとっても恥ずかしい気がしていた。 *** ヘロヘロバタバタな平日を終えて、やっと迎えた土曜日。「今日くらい……」とお昼頃までベッドでゴロゴロして、軽くおうどんを食べた昼下がり。 平日は軽く済ませるお化粧もちょっぴり丁寧に時間をかけて、いつもは黒いゴムで束ねるだけの髪型も一手間掛

聴覚障害のあるわたしのもとに、身体障害者手帳がやってくるまでー申請と交付の流れー

「身体障害者手帳」というものをご存知ですか?これは、障害のある人に交付される手帳で、例えばわたしたち聴覚障害者でいうと補聴器の購入費や修理費を助成を受けたり公共交通機関の割引を受けたりするときに必要になるものです。 また、写真や住所が記載されていることもあり、身分証としても使うことができます。わたしら自動車の運転免許証を持っていないので、この身体障害者手帳を身分証の提示を求められた際に提示することが多いです。 生まれたときから右耳がまったく聞こえず、左耳の聴力も年々低下し

手話ができることは、正義なのか。正義だけでわたしたちは救われるのか。

手話の苦手な人がわたしに向かって話すとき、わたしは相手の手話が間違っていてもその場で正すことはあんまりない。実際は、事前にもらっていた文字資料を思い出したり相手の口の形を読み取ったり話の文脈からその内容を推測することで頭がいっぱいで、正している余裕なんてほとんどないってのが正直なところ。 日本に住んでいる英語話者だって、日本人間違えた英語の単語と文法を常に正してくる人はないでしょう。だいたい伝わればオッケーみたいなかんじで。 「手話を学んでいるから間違っていたら直してほし