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あること、ないこと

 あることないことを話そう。

 ああ、いや、何も別にデタラメを話そうってわけじゃない。ただ、あったことはあることとして、なかったことはないこととして。かつてはあったけど今はないとか、その逆とか……あるいは両方とか。
 そういう話をしたいな。そう、ふと思って。

 ぼくは、『あることないこと』なんていう言い回しがすごく好きだ。上下でオンオフを切り替えるスイッチを中立させたような、なんとも中途半端な言葉だから。
 「あることないこと言いやがって!」というフレーズが聞かれる時は往々にして、言われた側が何かしらを認めたくないから使う。だけど、だったら普通「それは間違いだ!」とか、「適当なこと言うな!」とか、まあそんな具合に言うんじゃないかと思うけど、そうじゃない。その人はあえて「あることないこと言いやがって!」と言ったのだ。つまり、発された言葉に混じる“あること”と“ないこと”とが同居するのを認めたわけだ。
 これは本当に面白いと思う。というのは、『あることないこと』という言葉はきっと、並べられた個々の事象について“あったこと(事実)”、“なかったこと(虚偽)”と峻別しているのではなく、なべてのことは”ありえ”て、”ありえな”かったことだと主張しているように思えるからだ。
 その汽水域をたゆたう笹舟のような言葉に、ぼくは人間性と呼ばれるものや、人間の奥ゆかしさを垣間見る。

 あることないことを話そう。
 それは、ぼくのお母さんが、レモンスカッシュを作ってくれた時の話。730交差点を西へ進み、少し直進して見えてくる旧市役所跡地のT字路を左に曲がってすぐの角にあった、今あるのとはまた違う、バーのようなお店が一瞬だけやっていた時期の話だ。
 ある日、そのお店が開店するための準備でお母さんは呼ばれて、ぼくも一緒に連れてこられた。小学一年生頃だったかと思う。太陽の高く昇った、蒸し暑い真昼間で、ぼくはお店の本棚にぎっしり詰まった浦沢直樹さんの『20世紀少年』を読むことしかやることがなかった。それを見たお母さんは「レモンスカッシュ作ってあげる」と言い、設備のテストも兼ねて、カウンターに立って作ってくれたのだ。
 当時のぼくからすれば、レモンスカッシュなんてのは缶やペットボトルに入ったジュースであって、実際に作れるだなんて夢にも思わなかった。だから、やたらと背の高いカウンターの椅子に座って、「はいどうぞ」と笑顔でお母さんから細長いグラスが差し出された時、ぼくは文字通りに目をまん丸にして、鮮やかな黄色い果実がフチに乗せられたその塔を眺めていたことだろう。
 ひとしきり眺めたら、ぼくと同じように汗をかき始めたグラスを手前に寄せて、ストローでまずは一口。シュワシュワしていて甘いけど、少し酸っぱくて、ちょっとした苦みもした。だけど「おいしい!」と言ってみせると、お母さんは「家でも作ろうね」と笑ってくれた。ぼくはそのレモンスカッシュを、どんどん複雑になっていく『二十世紀少年』をなんとなくめくりながら、大切に飲んだ。お母さんは一杯だけと言ったから、荒廃した日本を歌って放浪するシンジを見ながら、それはそれは大切に飲んだ。
 それから最後に、溶けた氷すらも飲み干したぼくは、空っぽになってしまったグラスを見て少し落胆したわけだけど、そこまで落ち込まなかった。だって、お母さんは家でも作ってくれると言ってくれたもの。実際にレモンと炭酸水は冷蔵庫にあったし、シロップだって用意されていた。あとは実際に作るだけだ。
 だけど、ついにその日は来なかった。
 野菜室にいたレモンはいつの間にか姿を消し、シロップだってどこにあるのか。そして冷蔵庫を開くたびに、ぼくと目を合わせていた未開封の炭酸水の栓も、果たして開かれることはなかった。

 守られた約束は、“あること”として。破られた約束は、“ないこと”として。
 口約束から、契約書で交わすオカタイものも含めて、世の中にありふれる約束のどれほどが守られて、どれほどが守られないんだろう。ケンカの仲直りに指切りげんまんをしている子どもや、選挙カーの上で声高にマニフェストを掲げる壮年の人。それと、笑顔で向かい合って話す二人の、左手薬指で光る銀色の指輪。街中でそんな風景を見かけるたびに、ふと、ぼくは考える。
 この『あることないこと』は、一人ひとりの内側にのみならず、世界のいたるところに点在し、そしてそれらは白と黒に分かれて、さながらチェス盤の市松模様のように広がっている。だけど実のところ、その二つに大きな違いはなく、コインのように表裏一体なんじゃないかと思う。というより、重要なのはそこではないんじゃないかとも。
 むしろその両極の狭間で、霧雨のように捉えどころなく茫然と、しかし確実に存在し、どこまでも広がっている灰色の草原に立つことが大切ではないのかと最近は感じる。

 前までは“ありえな”くて、今は“ありえ”ること。
 父性というものに関して、今はそれなりに考えることが多い。数年前の自分と比べてみると、これは驚くべきことだ。なぜなら、ぼくは子どもがあまり好きではなかったから。「自分が父親だったら……」なんてことを考えることすらまったくなかったのだ。
 だけどなぜか今、ひょんなことから学童の支援員を始めて、それもあってかよく考える。まあ支援員といっても、大学生崩れのぼくなんかが大したことはしてやれないから、子どもたちと遊んだり、走り回ったりしてあげるので精いっぱいなんだけれども。

 この仕事は始めて間もなくて、まだ二週間あまり。それでも、気づいたことが一つある。それは、小学校中学年頃までの子どもたちはみんな、おんぶが大好きだということだ。
 まず男女問わず、「おんぶしてー!」と言ってくるので、よっこいしょとおんぶしてやると、「キャー!」っていう感じの黄色い声が聞こえる。それで次は「あそこ行って!」と指差すので、そこまでドテドテと足を踏み鳴らしながら行く。そしたらまた「キャー!」って大声が出てくる。それからはなぜか、ぼくの周りを走り回っている子たちとの追いかけっこが始まるので、ぼくは馬車馬のごとく走り回る。そうすると「キャー!」っと、またまた黄色い声が響く。そして最後は「回って、回って!」って言うもんだから、いくばくもない力を振り絞って「おりゃぁ!」と叫び、回転木馬をデッドヒートさせるかのごとく回ってやる。そうしたらもう、絶叫も絶叫。施設の中で「キャァァァァァ!」とド級の黄色い声が響き渡ったかと思ったら、「おれも! / わたしも!」と、別のちびっ子たちがたかってくるのだ。そこからは無限ループ。メビウスの輪。ここ一週間は足回りの筋肉痛が治っていない。
 だけど、それでもぼくはおんぶをし続けると思う。その理由は支援員として仕事しているっていうのもあるけど、それだけじゃない。一番の理由は、そうしてあげる必要があると思ったから。

 学童の子たちは、要支援家庭の子どもたちだ。経済的にも、精神的にも支援が必要な子たちが多く、ほぼほぼが母子家庭だったり父子家庭だったりの片親で、親の身体的および精神的不調や、仕事の都合で十分に甘えられない子どもたちが大半。だからもしかすると、きちんと話すことすらできていない子どももいるのかもしれない。
 ゆえにぼくは、ぼくのできることを精いっぱいやってあげたいと思った。ぼくが、ぼくのお父さんにしてほしかったように。

 あることないことを話そう。
 ぼくには、お父さんと呼べるお父さんがいなかった。
 いや、まだ存命はしているんだけど、はっきり言ってしまうと、お父さんとは呼べない。養育費もろくに出してくれない人で、あんまり父親らしいことをしてくれない人だったから。おんぶとか肩車はしてもらっただろうか。うーん……覚えていない。
 その人は、ぼくが小学校低学年ぐらいの時に、住んでいる石垣島へやって来た。空港から家へ向かう時の車では助手席に座ってたけど、その時の父はちょっと無愛想な感じがして、異国からやってきた彫像か何かに思えてならなかった。それで、ぼくが中学三年生ぐらいまで同棲していたけれど、あまり話すこともなく、結局人となりが分からないまま、彼の実家へ帰ってしまった。よく笑う人だったけれど、それはお母さんの機嫌を取るために笑うのであって、ぼくや兄に対してそのように笑ってくれたことは一度もなかった気がする。
 だから、学童の子どもに「おとうさん、いる?」と聞かれた際には、「冒険家だったから、ある雪山に登った時にクレバスへ落ちて行方不明になったんだ」と答えた。身も蓋もない答えより、そっちの方が冬のデナリ登頂を果たした植村直己さんみたいでかっこいいじゃないか。
 けれど、ぼくはそんな父を悪者だと思ったことは一度もない。
 だって、ぼくのお母さんが好きになった人なんだもの。

 かつては“ありえ”て、今では“ありえな”いもの。
 お母さんがお父さんに対する想いがあったのなら、それがそうだろう。
 父は多分、ギャンブル依存症だった。
 まともに働かないくせに、ひっきりなしにパチンコ店へ出向いた。それでお母さんの財布からお金を盗み取ったり、嘘をついてお金を出させようとしたり、挙句には借金まで作っていた。それでもお母さんは、お父さんを悪い人だとは一切言わなかった。
「本当は優しい人なんだけど、今は病気だから」
 ぼくは、“あること”だと思った。そうでなければ誰が、何がお母さんを信じてあげられるんだろう。だけど、ぼくが中学三年生の時、離別に踏み切るほどの出来事があった。
 お父さんは、お母さんのギターを売ったのだ。

 父はかつて、アーティストを目指してバンド活動をしていた。それほど音楽が好きだった。しかもそのギターは、昔の母がバンド活動をしていた時に使っていたもので、親戚に楽器店でチューニングまでさせたものだった。音楽が好きなぼくと兄のためにと、母がくれたものだった。それにお父さんとお母さんは、音楽を通じて知り合ったはずだった。
 たった一時の射幸心のために、父は自らの魂を、二束三文に変えたのだった。
 “あること”が“ないこと”に変わった瞬間だった。

 以来ぼくは、『愛』というものを一切信用しなくなった。それどころか、「好きだよ」とか、「愛しているよ」だなんていう言葉すら、切り花みたいだなと思った。
 たしかに見栄えは良いし、芳しい香りもするし、耳元でささやかれてみれば、身も心も溶けるような心地なのは間違いない。けれども一方で、こうも思っていた。
「根も葉もなく、つぼみだけ綺麗に切り残されて、咲いた花の行き着く先は?」
 だからぼくは、愛なんていう“ないこと”を信じて、それに裏切られたと嘆く人たちを見ては、冷ややかに笑った。
「一体全体、この人たちが神様に誓ったものはなんだったんだろう?」

 もし、『愛』が“あること”だとするならば、実利が伴っていなきゃならない。言葉ではなく。そして、ここでの実利というのは、何もお金や双方向の利益といったつまらない話じゃない。行動と態度の話だ。
 例えば玄関に、緑葉がしなび始めている鉢植えのレモンがあったとしよう。そうしたら、そのレモンにかけてあげるべきは「君は綺麗だよ」などという薄っぺらい言葉ではない。早朝、自分が飲むはずであったグラス一杯の水だ。しかもそれを黙って、何の見返りもなしに行なうんだ。お互いがそうしてあげられないんだったら、『愛』はずっと“ないこと”のまんまだ。
 少なくとも、今まではそう考えていた。

 学童の子たちはみんな、親のことが大好きみたいだ。
 全員もれなく、親に対して無償のとてつもない好意を抱いている。そうじゃないと、東京から石垣に一旦帰って来たお母さんと買い物には行かないだろうし、お父さんの友だちの話をすることもないだろうから。
 だけど一方で、子どものことを大切にしていない親も多かった。「子どものことは全部学童に任せる」と投げやりなことを言う親もいたし、「お前は私の子どもじゃない」と直接子どもに言い放った親もいたらしい。
 一年前から学童の子どもたちを見ていた支援員の方が、こんなことを言った。
「この一年は子どもたちを見るだけじゃなくて、親との関係もしっかり築きたい」
 その時、その人は涙を流していた。
 ぼくはやっぱり、“ないこと”なんじゃないかと思った。

 しかしそれでも、子どもたちは親のことが好きなのだ。
 学童から家へ送る際、親がドアから顔を出せば「ただいま!」って言って抱きつくし、動けない親に代わって家事をしている子だっていた。その子たちはきっと、親が苦しんだり悲しんだりしていたのなら、彼ら彼女らのできる最大限を尽くして、親をかばうだろう。どれだけ花が拒んだとて、みんなは絶対に水を与えようとするだろう。なぜならみんな明るくて、優しく、そして純然としているのだから。ぼくは驚いた。まさか、これほどまでの力を子どもが持っているとは夢にも思わなかった。

 これは、紛れもなく『愛』だ。
 ただそれは、無限に湧き出るものでは決してない。それは相互に与え合うものであるし、第一、与えられた側が花を開かせなければ、与え続けている側は“あること”に気づくことなく枯れてしまう。もし、そうして自分には与えられないまま枯れてしまった花があったとしたら、一体誰が水をやってあげられるんだろう? 灰色の草原を歩いているその子は、「この世は“ないこと”ばっかりだ」と、西に沈みゆく太陽の方へ歩いて行ってしまうんだろうか?
 ぼくは、絶対にそうなってほしくないと強く思った。
 だって、知っているから。
 『愛』は“あること”だと一番強く信じていたのは、“ないこと”だと嘲笑っていた自分だと知っているから。
 だからぼくは水を与えたいと思ったんだ。自分にできる精いっぱいのやり方で。

 いや違う、信じていたんじゃない。もう既に知っていたんだ。そしてそれは、実際にあったんだ。ただ、捉えようのないものへと変わり、ぼくたちの目には見えなくなってしまっただけなんだ。でなければ、ぼくたちはここにいないじゃないか。

 ぼくは、祈らずにはいられない。
 いつかの母が、いや、父でもいい。ほんの一時でも、互いが互いを思いやり、結実したものがぼくたちなんだと。
 そうだよ、愛はあったんだ。だけどそれは、“あること”でも“ないこと”でもないんだよ。いつもその見えにくい狭間にあったんだ。
 たとえ今はなかったとしても、かつてはたしかにあったんだ。あったはずなんだ。そうしてそれは、広大な灰色の草原にそよぐ、一陣の風だったはずなんだ。
 だってそうじゃなきゃ、あまりにも身も蓋もないじゃないか。面白くもないじゃないか。それはあんまりだ。ぼくたちは、ぼくたちの両親が、スポイトのたった一滴でもいいから、小さな種子に水を与えてくれたから芽吹いたんだ。
 そう、だから。

 だから、あることないことを話したいと思ったんだ。
 その“あること”と、“ないこと”の間にある、優しい嘘と真実を見つけたかったから。

 あることないことを話そう。
 どんなささいなことでもいい。ぼくは、みんなのそういう話が聞きたいんだ。「実はメンマは割りばしから作られる」とか、「ダンゴムシがいっぱい獲れるポイントがある」だとか、「ネアンデルタール人はまだ生きている」なんて、突拍子もない話でもいい。とにかく、話を聞かせてほしいんだ。
 だから、ほら。近くに寄って話そうよ。
 あること、ないことを。


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