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#18 真夜中のドア/Stay With Me /松原みき

90年代半ば、TOKYO FMが“ジャパニーズ・ポップス・リフレイン”を提唱し、70年代80年代の日本のポップスをパワープレイしていこうというキャンペーンを展開していた。95年、わたしはちょうどAIR-Gの夕方、月曜から木曜までの音楽番組のディレクターをしていて、そのキャンペーンのフラッグシップ的番組を担当することとなった。

時代はタイアップ・メガヒットの時代。CMソングやドラマ主題歌がミリオン、ダブルミリオン当たり前という、ある種異様な音楽バブルの時代だった。ラジオがチャートにコミットする時代は一段落していた頃だ。

この指令の意図は、ラジオが何か新しいムーブを起こす必要があったためで、業界的な思惑に過ぎないというのが私見である。とあるマーケッターの記事で、団塊ジュニアが20代半ばを迎え、その親たる団塊の世代が聴きなじんでいた音楽需要を動かしたい。人口の多い団塊世代や、就職し購買層となった団塊ジュニア世代の消費意欲を担ぎ上げる狙いがあるのでは、というのを見たことがあるが、考え過ぎだし代理店的発想のまったく的外れな指摘だなア、と思いながら眺めていたのだった。

STVラジオ時代から、70年代から80年代前半の日本のポップスは日常的に選曲していた。AMラジオはどちらかというと幅広い聴取者層を網羅しているため、多ジャンルで懐かしい音楽の選曲には慣れていた。そして何よりも、70年代80年代の日本の音楽が好きだった。

曜日ごとにいくつかの企画を設定し、選曲のコンセプトを提示していたが、週のラスト木曜日に何かひと盛り上がりしたいと思案していた。そこでリスナー投票によるオンエアバトルを思いつく。コーナー名はあえてダサく「勝ち抜きリフレイン合戦」と名付けた。こちらが選んだJ-POPの名曲2曲を1コーラスかけてリスナー投票を募り、得票数が多かったほうをフルでオンエアするという企画だ。投票に勝つと次週も別の曲を挑戦者として投票を繰り返す。3週勝ち抜くと、King of J-POPの称号を与える、いわゆるイカ天方式のパクリである。うまくいくと3週連続でフルオンエアされるのだ。

初代King of J-POPは渡辺真知子の「迷い道」。2代目King of J-POPとなったのが松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」だった。この曲の魔力はラジオ制作者であれば誰でも知っていた。79年11月5日リリース、オリコン28位。松原みきはこの月の28日に20歳になるので、レコーディング時は19歳。ジャズの素養を持つ実力派だった。歌謡曲、ニューミュージック、アイドル歌謡、いくつもの顔を見せながら、「真夜中のドア/Stay With Me」はチャートより記憶に残る曲として私たちラジオディレクターの切り札だった。落ち着いた流れの時にはテンポアップを促進させ、例え2時間で1曲しかかからない番組でも、バツグンの存在感を示してくれた。番組の空気をいっぺんで変えることができる、そんな曲だった。

2020年、その魔法に世界が気づいた。林哲司のAORアプローチは80年代J-POPを切り拓き、新しいジャパニーズポップスの夜明けはこの曲から始まったと言っていい。松原みきさんは2004年44歳で旅立った。今頃、天国で「真夜中のドア/Stay With Me」をジャズアレンジで歌っているだろうか。


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