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名も知らぬ人への追悼文

久しぶりにFacebookを開いてなんとなくタイムラインを眺めていると、何やら見覚えのある光景が目に止まった。

新宿東口から歌舞伎町へと続く道の入り口の写真。閉店してしまった果物屋が巨大な看板を掲げ、その向かいにはどこから仕入れたのかもわからない大量な鞄を売っている店がある。雰囲気からして90年代か80年代ごろの写真だろう。

投稿したのは、日本のレトロな写真を無作為に投稿するアカウントのようだ。

そういえばこんな光景だったなと、自分の記憶を確かめるかのように写真を眺めていると、道の入り口からほど近い建物の2階に、とんかつ屋の看板があった。

その看板を見た瞬間、子どもの頃の記憶がふと甦ってきた。まだ実家が車も買う余裕もなかったころ、家族で電車に乗って新宿に出かけては、そのとんかつ屋で夕食を食べて帰るというのがお決まりのコースだった。

ただ、その写真では看板の文字が不鮮明で、正確な店の名前がどうしても読み取れない。店自体はずいぶん前に閉店して、たとえ店名が分かったとしても訪れることはできないのだけれど、無性に店名を知りたくなった。

あらゆるキーワードを駆使してネットで検索を試みるも、どうにもヒットしない。諦めるしかないかと思い始めた時、あるX(Twitter)アカウントがそれらしき店名をつぶやいているのを発見した。

ネットでその名前を検索してみるけれど、かつてあったはずのその店名は、驚くほどに情報が出てこない。けれども、写真に写ったぼんやりとした文字のシルエットは、たしかにその名の店がそこにあったことを確信させた。

何ら得るものはなかったけれども勝手に満足をした僕は、感謝の意と、同じ時を同じ場所で過ごしていただろうその人のツイートを少しさかのぼって見ることにした。

どうやらその人は、癌に冒されて療養中のようで、前述のツイートは闘病中に昔を懐かしむかのようにつぶやいたものらしい。飼い猫や甥っ子の話は出るものの、自身の家庭については語っていないことから、いわゆる独身貴族で病室の様子からしても比較的裕福な方だったようだ。ツイートから察するに2021年の秋ごろに癌が発覚したようで、そこから入退院を繰り返し、2022年の年末の一時退院の話が出始めたという報告で、ツイートは終わっていた。

アカウント主はどんなに体調が悪くとも2、3日に1回はツイートをしているようなので、最終ツイートの日付を見た時に、「もしや」と思った。


ツイートをさかのぼると、癌が発覚するまでは日々の食べたものを投稿したり、愛猫や趣味の花について仲間とのたわいもないやりとりをしたりと、いたって普通の投稿が重ねられていた。ただ、癌が発覚した後も、病状や入院生活の模様を投稿しながらもあまり悲観的な様子は見せることなく、治療に対して前向きな姿勢を発信し続けていた。

検査の後にステーキを食べに行ったこと、病院食が美味しかったこと、一時退院で筆者も常連だった中華屋を訪れたこと、料理をしたこと、花のコンテストに足を運んだこと、愛猫に先立たれたこと——。

喜怒哀楽をあまり隠すことなく、明るく前向きな人柄が滲み出ているのに加えて、おそらく筆者と近しいエリアで過ごしていたであろう生活ぶりを報告するそのツイート一つひとつに、僕は不思議な親しみを覚えていった。

ただ、2022年の中頃から投稿内容がだんだんと体調の不調を訴えるものへとシフトしていく。がんの転移に加えて、抗がん剤の副作用なども辛いようで、常時だるさと熱がある状態が続き、体重は減り、吐血や鼻血と輸血を繰り返しては、だいぶ疲弊をしているようだった。

そして前述の通り、抗がん剤の辛さを乗り越え、髪の毛も失いながらもなんとか一時退院をすることができそうだ、という内容のツイートで投稿は終わっていた。

最後のツイートのリプライには、友人たちから心配と応援の声が寄せられていた。そして僕自身、このアカウント主が今どうなっているのか、とても気になっていた。名前も知らない、会ったこともない人だけれど、どこかで元気でいて欲しい。そんな思いが生まれていた。

自分でもよくわからない不思議な感情に誘われるように、アカウント主が友人たちからの声に返答をしていないか、確認していく。その中に、今年の春頃に寄せられた一つのリプライがあった。

「分株できたらぜひ欲しいとおっしゃっていた花がやっと株分できる大きさに育ちました。ついぞ間に合わず申し訳ありません。この花が咲くと〇〇さん(アカウント主)の明るく楽しかったお人柄を思い出します」

この投稿を見て、僕はアカウント主がやはりこの世を去ったのだと悟った。ツイートの頻度や最後の投稿を見るに、おそらく容体が急変して、ツイートをする余裕もない状況だったのだろう。これだけ多くの言葉をX上に残しながら、最後に何も語ることができなかったアカウント主の無念さ、現実の残酷さを、僕はひどく歯痒く思った。

だから僕はこれを書いている。実際の状況は分からないし、もしかしたら周囲の人々にとっては望まないことかもしれないと思って、アカウント名などはあえて明示はしない。けれども、年齢は違えど近しい時代と場所を生き、遺した言葉と生き様に親しみを感じた僕は、名も知らぬその人との出会いをどこかに残しておきたいと思ったのだ。

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前回の人からの質問
Q.あなたのためにお金も設備もぜーーーんぶ整ってる世界に行けたら、どんな人生を送ってみたい?
A.自分と周囲の人の満足な生活環境を一通り整えた後は、敢えて清掃人みたいなことをして街を観察しつつ、誰にも気づかれないように不便なところを密かに改善していきたい

次回の人への質問
Q. 自分の親のなれそめとか細かいライフストーリーって知ってる?
*ちなみに僕は知りません。聞いておいたほうがいいかなと思いつつ、思い切れないでいます

書いた人:ざわわ



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