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昭和的価値観に背負い投げ

おさらばしたい感覚について

昭和的価値観にヤキモキしている。なぜ、そうするのか?意味が分からない。

そう憤っている一方で、昭和的価値観が巣くってもいる。どこに?何を隠そう、私の中にである。

昭和世代の両親に育てられたのだから仕方がないと思いつつ、やっぱりそれを我が子に押し付けるのは良くない。先日も猛省した。

我が子は、というか、今の子なのかな?言葉遣いが粗い。これはYouTubeの影響が多分にあると個人的には思っているが、一緒に暮らす私の言動も問題なのだと思っている。

とにかく我が子は、こちらが注意しても「はい!」と素直に言えないのだ。まったく私そっくりである。だから、笑えないのだが……。

なにかにつけて理由を付けて、自分の非を認めようとしない。すぐに言い訳する。私そっくりである。よくもまあ、そんな言い訳が思い付くもんだというくらいに口が達者である。私である。

私が子どもの頃は、我が子と同じように思っていても口には出せなかった。なにしろ口より先に手が出る、力づくでねじふせるオヤジだったからである。

一度、反抗した時など死ぬかと思った。手加減なし。全力で向かってくる。

そんな親の元で育ったからこそ、我が子の言動が許せないのだ。「うるさい」「むかつく」「はっ?」など、聞いているほどがヒヤッとする言葉を投げつけてくる。

友だち親子なんて言葉も聞かれる昨今、親子同士で敬語は不要だと思うものの、敬意は必要だと考える。衣食住を保証している以上、当然なのかなと。でも、これも古い考え方なのかなと考え無くない。

ただ、我が子に「むかつく」「パパ、出て行けば」などと言われると理性を失うことがある。さすがにオヤジのように殴りはしないが、徹底的に口論してしまう。大人げないとは思いつつ。

私も完璧な人間ではないので、気分の浮き沈み、機嫌の良し悪しはある。この前は、たぶん機嫌が良くなかったのだろう。冬休みの宿題をしない我が子に、「やろうよ」「やっちゃおうよ」と言ったら「むかつく」と返され、そこから冷戦に突入。

我が子が謝ってきたが、ここ最近の言動が許せずに、とうとう互いに正座して、目を見て話した。私も主張したし、我が子の言い分も聞いた。私も悪かったところがあるし、我が子がいわゆる「子どもらしくない」ところを認めた。

それ以来、私は我が子が嫌がることを一切やめた。すると、我が子の言動が飛躍的に良くなった。口答えはしても、その言葉の鋭さは弱くなったのだ。YouTubeの影響が大きいと書いたが、とどのつまり根源は私にあったのだ。

口答えするのも、言葉の暴力も、原因は私だった。そのことに落ち込んだ。もちろんすべてではないが、ほとんどが私。なんとなく気が付いていたけど、そうではないと思いたかったのだ。

ようやく自分に向き合えたことで、家庭内の空気が少し変わったように思う。昭和的価値観に背負い投げしたい。それ以前に昭和的価値観を抱いてしまう原因があったことに、それが自分であったことに、やっと気が付けた。

恐らく妻にも同じようなことをしていると思う。これはなかなか改善されないのだけれども、昨年からの課題なのだけれども、なんとか改善してもっともっと家庭環境を良くしていきたいと思う。

仕事が全てではないけども、書くことに関してやっぱり家庭が安定しているのとそうでないのとでは、書く文章が違ってくるように思う。自分のために、まずは家庭から。

芸のためなら女房の泣かす~、は昭和の価値観ですもんね。昨晩、中村俊輔と遠藤航の対談を見たけど、海外を経験している人は家族を大切にしている。異国で最も頼れるのが家族であり、そういう環境に身を置くと自然と家族ファーストになるのだろう。

2023年は家族を大切に。これを自分の中の軸に据えて日々を過ごしたい。サンキュー、マイファミリー!!

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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