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#手を使う

面倒くさいがなくなる魔法

仕事柄、手を使うことが多い。文字を打ち込むのはパソコン。アイデアを産み出すのに、紙の上にペンを走らせる。

自分の中から出てきたもの、今風に言えばアウトプットされたものは、我が子のようにかわいく、愛しく、だから赤字が入ると痛い。全てひっくり返された時には絶望すら感じる。クライアントワークとはいえ。

手を動かす。頭をフル回転させる。愛情が芽生える。愛おしくて仕方がなくなる。制作とはそういうものだ、と思う。

これまで建てた家の庭の手入れに対して腰が引けていた。興味がないわけではなかったが、業者さんに植えてもらったことで愛を持ち難かったのは事実だ。

建てて数年が経ち、元気がなくなった植物が散見されるように。思い切って植え替えてみた。計画は主に妻がしてくれたが。

自分たちがホームセンターで植えたい植物を選び、土を作り直し、見栄えがするように植えた。家族みんなで作業したことで充実感があった。

充実感とともに愛情がわいた。今まで以上に植物が気になるようになった。気になるから自ら動くようになる。今までは水やりに乗り気ではなかったが、今では率先して水まきをするようになっている。

植えてくれた業者さんには感謝。庭の設計をしてくれた建築事務所さんにも感謝。でも、やっぱり自分たちで作った庭には思いが芽生える。生育具合にも目を配るようになるし、雑草が生えてくればこまめに抜く。たくましく育ってくれるように願う。

何事も自分が積極的にかかわると物事の見え方、捉え方が異なってくる好例だろう。手を使うことも大切だ。手を動かすから愛着が出てくる。

億劫なことは日常に山ほどある。料理も、洗濯も、掃除も、ゴミ出しも、送り迎えも、面倒くさいといえば面倒くさい。でも、自分から能動的に取り組めば、日常のひとつひとつが人生の糧になると思えるから不思議だ。

全てに能動的である必要はないけれども、何か行動するのにネガティブであるよりはいいだろう。口よりも、まずは手を動かす。とっても大事だ。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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