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#はじまりの場所

さよなら、ありがとう、またね

マカロニえんぴつの楽曲のタイトルみたいだ。ボクにとってISANAとは、たくさんのきっかけをくれた場所だった。過去形で書いたのは、今日6/16でお店が閉店してしまうからだ。

悲しいとか、寂しいとかネガティブな感情が全く沸かないのが不思議だ。沼垂からお店はなくなってしまうが、いつかまたどこかでカタチを変えて戻ってきてくれる。そんな淡い期待があるからかもしれない。一時的なお別れ。だから、それほど寂しくはない。辛いけど。


可愛さあふれるラウンドフォレスト

家づくりのはじまり

何度かnoteでも触れているが、ボクたちの家づくりのスタートはISANA。ISANAの家具「ラウンドフォレストダイニングテーブル」を家に置きたい!そこから始まっている。ラウンドフォレストに相応しいダイニングとは、家とは、家族の在り方とは。設計事務所さんとの話し合いの中心には、常にISANAの家具があった。

家具を置く場所を考えながらの家づくりは、なかなかないように思う。家づくりに無関心で、「トイレが2つあればそれでよし」がボクの家づくりの唯一のこだわりだった。なんとも味気ない。他人事だった家づくりを我が事に変えてくれたのが、ISANAの家具であり建築事務所の担当者さんだった。

「とりあえず沼垂のカフェで家具を見てみませんか?」
そう誘われたはいいが、カフェで家具?疑問を抱きながら訪れてみたのが、ISANAとの出会いだった。沼垂には何度か通っていたが、スルーしていた場所に、素敵な家具とキュートなオーナー・なぎちゃんがいた。家具を見に来たことを告げると、「隅々まで見てください」と快く受け入れてくれた。

ダイニングテーブル、ブックシェルフ、スルーツのどれもが素敵で可愛く、一瞬で虜になった我が家。なぎちゃんが染織家で、まーくんが家具職人であることを知る。工房は別の場所にあり、カフェがショールーム。その特異なカタチにも惹かれた。

工房を訪れるまで時間はかからなかった。カフェに置いてある家具も素敵だが、工房にある家具類もまたボクたちの好みに合っていた。ラウンドフォレストは即決!テレビ台も購入することに。本当はスツールも購入したかったけど予算の関係で見送ることにした。

竣工したマイホームにラウンドフォレストはピッタリだった。それもそのはず。ラウンドフォレストを置くために建てたのだから。当初、置いていた位置から場所を変え、ラウンドフォレストはボクたちに生活の中にしっかりといる。ふとした時に丸みが特徴のラウンドを見ると、ほっこりとする。それは作り手である、まーくんの人柄のようでもある。近づくと細かいところへの気遣いも施されていて、一見すると作り手のエゴのように映るところも、クセの強いボクには好みだった。

昨日、ISANAを訪れた際ノートに書いたように、ボクたち夫婦がこの世を去った後は我が子に是非ともラウンドフォレストを受け継いでもらいたい。きっと我が子と、その家族も気に入ってくれるはずだから。

メンテナンスのはじまり

身体のメンテナンスのはじまりもISANAだった。イベント告知のチラシが壁に貼ってあり、そこで妻が目にしたが今もお世話になっている「はり灸院兪堂」。ちょうど今日も開催されている長徳寺というお寺の「寺開き」のチラシの中に、兪堂の名を見つけたのだ。

宇都宮に住んでいた頃、体調を崩したボクは薬を様々、試してみたが体調は一向に回復せず。ネット検索で辿り着いたのが針灸だった。幼い頃から陸上をやっていたことで整骨院には通っていたが、針灸ははじめてだった。痛い、熱いなどのマイナスイメージがあったが、物は試しと行った針灸が見事に体調回復につながった。みるみるコンディションが上がり、仕事に支障がないほどまでになったのだ。

引っ越した先の新潟でも針灸を探していたが、行ってみようという気になるところがなかなか見つからなかった。そんな時に、ISANAで見つけた兪堂。まず妻が施術を受け、体調が回復したことで、次はボクが行くことに。個性あふれるピカさんの施術は身体が整うのはもちろん、乱れた心も整うというのが面白く、今でもお世話になっている。

定期的なメンテナンスは、パソコン仕事がメインのボクにとっては欠かせない。そのきっかけをくれたISANAには感謝しかない。


カフェのはじまり

幼い頃に住んでいた場所にはカフェなどなく、行くのは町の洋食屋だったボク。それはそれで今の仕事に少なからず役立っているが、幼少期からISANAのようなオシャレなカフェに通っていたら、もっと感性が磨かれていたに違いないとも思っている。その点、我が子は2歳頃からISANAにボクと一緒に行っているので、「良いものに触れる」という最上の体験をしている。羨ましい。

ここ最近は回数こそ減ったが、我が子が5歳になるくらいまでは、ほぼ毎月定期的に通っていた。子どもがNGのカフェもあるが、ISANAは快く受け入れてくれた。懐が深いのである。そして、スタッフがみんなやさしいのだ。子どものお腹が冷えないように、リンゴジュースの氷を減らしてくれたり、ボクと我が子がスイーツをシェアできるようにお皿やフォークをそれぞれ用意してくれたり。

飲み物、食べ物が美味しいのはもちろんサービスも高く、またそれが嫌らしくなく自然なところが心地よく、何度も通いたくなるのだ。朝から晩まで汗を流して懸命に働く。典型的な昭和の会社人間のオヤジに育てられたボクは、競馬場、競輪場、競艇場などには連れて行ってもらったが、ソフィストケートされたカフェには一度も連れて行ってもらえなかった。そういう場所がなかった環境的要因も小さくないが、近くにISANAがあったことはきっと我が子の成長過程で何らかの影響を及ぼすと思う。ボク自身が幼少期の体験が制作過程で活きていると感じることが多々あるからだ。そう考えると、やっぱりISANAが身近にあった意味は大きいと思う。

我が子に「良いものに触れる体験」の場を作ってくれたことに感謝だ。

発想のはじまり

いつか自分が好きな場所で映像を撮りたい。そう思うようになったきっかけもISANAだった。きっと良い画が撮れるという確信、きっと撮影中にみんな笑顔になる飲み物、食べ物、サービスがあると思ったからだ。

その時は、やってきた。ISANAが閉店するまで本当に良かった。撮影は昨年の秋に行われた。ある企業さんの座談会を行う際、会社では味気ないというところからスタートし、ではカフェではどうでしょう?という提案が通り、ISANAで撮影することになった。

以前、ボクが移住者インタビューで使う写真の撮影をお願いしたことはあるが、大人数での撮影はなかなかないために準備、撮影当日、撮影後と大変だったと思うけど、まーくんもなぎちゃんも120%で対応してくれたことで、みんな満足する画が撮れた。

自分の好きなモノを周りの人も好きになってくれる。いささか強引な部分もあるけれど、みんなで好きをシェアできる喜びは途轍もない。それが実現できたことに、ボクは心から満足した。

ISANAでのカフェ撮影が成功事例となり、その後もカフェでの撮影がスムーズに提案として通ることになった。イメージとして「ボクらの時代」を新潟でもやりたいとずっと思っていて、なかなかやる機会がなかった中でのISANAでの撮影。それがカフェ撮影という、ひとつの枠組みを作るきっかけをくれた。今後も同様にカフェ撮影の依頼が来ると思うが、そのスタートがISANAであることがボクは嬉しいのだ。

きっかけをたくさんくれた場所が、今日をもって幕を閉じる。文頭では寂しくないと書いたけど、こう振り返ってみるとやっぱりしんみりする。それはそうだ、大切な場所がなくなってしまうのだから。強がっても仕方がない。

子どもは純粋だ。なぎちゃんに閉店する理由をストレートに聞いていた。その純粋な思いに、なぎちゃんも真っすぐに答えていた。そのやり取りに、またほっこりした。そうして、書いていいのかは分からないけど、「またやるよ!」となぎちゃんは我が子に言ってくれた。その一言があるから寂しいのは寂しいのだけれども、ちょっと救われているところもある。むしろ、わくわくしている。今度はどんなカタチでISANAが、みんなの前に現れるのか。その期待感が、明日からのボクの原動力になる。

いろいろ事情はあるのだろうけど、ネガティブな理由で閉店するわけではないと聞いて安堵している。昨日もたくさんの人が閉店を惜しんでISANAに来ていた。惜しまれながら終われるって素敵だなあと。直近でいえばコロナ禍で泣く泣く閉じた店もある。当初の思いとは裏腹な出来事に志半ばでシャッターを降ろした人もいる。そう考えると、幸せな幕引きなのだろう。全ての事情を知るわけではない、ボクの勝手な感想だけれども。
ボクもいずれ会社を去る時が来る。その時に惜しまれながら終われるようにしたいなって。理想をカタチにできるように。ボクにいろいろな刺激をくれたISANAに、ありったけの感謝の思いを込めて終わりたいと思う。

ありがとうございました。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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