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とき始めている

わかるわかるわかるよについて

先日、マモ先生の書道教室で、直近のなりたい自分について書にしたためました。ボクは「とく」でした。

これには、色々な意味を含ませています。欲張りなんです。

ボクが自分の好きなように生きる、
自分を解放(解く)することで、
ボクが輪の中に溶けていく(溶く)、
そうすることで関わる人が得をする。

最近、職場を変えたのですが、これを実践しています。もちろん、実践できるベースがあるのが大前提で、まずはボクが呼吸しやすい環境に、周りの人たちの寛大さに感謝なのです。

解放といっても様々ですが、ボクの場合は好きな服を着ないとモチベーションが上がりません。幸い素っ裸でなければ、常識の範囲内であれば、服装は自由なので、以前の職場と異なり好きなものを好きなように着ています。

これが思っていた以上に心地よいんですよね。無理をしない、の一部分にあたると思うのですが、やっぱり好きなものに包まれている方が幸せですよね。社内ではとにかくリラックスを第一に。クライアントのところに行く時も、カチッとし過ぎに失礼に当たらないかっこうを。

ただ、ボクの服装は目を引くらしく、上から下までみなさんからいじっていただけるのですが、これが以前は面倒くさかったのですが、今では「輝いている自分」を受け入れているのでストレスを感じません。

「輝いている自分」を受け入れたことで、服装に無頓着な人からのいちゃもんが全くなりました。それってボクの覚悟が決まったからだと思うんですよ。

むかしは、いじられたら嫌だな、目立っていると思われていないかなとか思っていました。それが今は、目立つの上等、どうぞどうぞいじってください、というスタンスですから。

そうなると不思議なもので周りの対応も変わってくるんですよね。気の持ち方は大事ですよね。

服装の快適さが影響しているのかどうかはわかりませんが、以前よりも仕事を頼まれることにネガティブなイメージが湧かなくなったんですよね。ボクができるだろうか……ボクでいいのだろうか……そんなことが浮かばなくなりました。

「頼んだ人も責任があるんだから、もちろんいいモノは作るけども、それで結果がどうなっても知らねえし」

くらいの気の持ちようです。投げやりではなく、自分が責任を一身に背負わなくなったんですよね。

責任感はもちろん持って取り組んでいますが、後ろ向きではないから頼まれた仕事にも前向きに臨めるし、以前では考えられなかった困っている人の仕事まで引き受けるように。

入社間もなくて仕事量が少ないという側面もありますが、それでも自分から進んで取りに行っている自分に、自分自身が驚いています。これも自分を解いて、輪の中に溶ける覚悟を持ったから、いい方向に向かっているんでしょうね。

解いて、溶けて、さあ次は人の得になるか。ここは結果なので、大切だけどあまり気にしないようにしています。今は、解けていること、溶け込もうとしていること。ここにフォーカスして自分を褒め褒めしています。

自分が変わると、相手の見方も変わるんですよね。例えば、この仕事はここまででいいじゃんとか、これは私の仕事じゃないからサポートはいいでしょうとか。

これは、いつかのボクです。少し前ならばその空気というか、スタンスに苛立ちを覚えていたと思います。でも、今は気持ちが分かるからイライラしないんですよね。

「そうか、そうか、そうだよね。ボクもそうだったもん。うんうん、わかる、わかる、めっちゃわかる」

くらいです。もっと細部まで詰めてやって、みんなで分担してやろうよ、とか言えるけども、人はコントロールできないので、まずは自分が動いて、それで気付いてもらおうと。言うべき人は他にいるわけですからね。

書にして、視覚で捉えて、みんなに思いを話したことで、覚悟が決まりました。そう考えると文字にするって大切だなって。日本人が元旦に書き初めをするのがようやくわかりました。

なんでもやってみる。これに尽きますよね。やらずに頭ばかりで考えていると、頭の中に浮かんでくる言葉に支配されて、どんどん動かなくなりますからね。動けるならば動く。これ、大事ですよね。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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