見出し画像

#不適切にもほどがある

時代か加齢か

昭和に生まれ、昭和を生き、昭和を愛した男。これだけ立て続けに昭和と綴ると、より愛着がわいてくる。

仕事で昭和で区切った特集を作っているが、先日のMTGでクライアントが「昭和でレトロか…」と嘆いていた。昭和生まれのボクらが大正ロマン、と言うのと同じテンションで、昭和レトロが語られている。ため息もでるはずだ。

さて、話題のドラマ「不適切にもほどがある」。ここ最近のトレンド、タイムスリップものだ。主人公の阿部サダヲ扮する小川市郎が、昭和から令和に跳躍してドタバタするハートフルコメディ。

ここからはネタバレを含むので、ご注意を。

大物脚本家とのMTGの場面。昔話をはじめる脚本家にZ世代の面々は飽き飽きするが、同時代を生きた市郎は嬉々として脚本家の投げた球を打ち返す。会話のやり取りが面白くて、そのまま酒場までなだれ込むのも昭和あるあるだろう。

自分の昔話を膨らませる市郎に、ご満悦の脚本家。それを見て自分と重ねるボク。

クライアントとのMTG、友人との会話、会社での雑談と、あらゆる場面で、あらゆる話題に乗っかるボク。乗っかれていることを自慢したいわけではなく、昔のことを覚えている自分に感心すると同時に呆れる。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌から情報をかき集めていた時代が影響しているのか、10代の頃のことはよく覚えている。芸能人もスポーツ、音楽、ファッションなど、細かすぎる知識で笑いを取っていたように思う。

そのせいか、ボクも各ジャンルのことを広く浅く記憶している。翻って、今はどうか?

加齢による記憶の衰えはある。確実に老いていく身であるので、それは確実にあると思う。でも、それほど個人的に老いは感じてはいない。ただ、記憶力は細くなるように思う。

アーティスト、事件・事故、スポーツ選手の名前がパッと出てこないことが多々ある。なぜか、安易だけどインターネットの影響だと思う。

覚えていなくてもポケットには、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌がミックスされ、さらにインターネットも加わったスマホがある。忘れたらすぐに検索すれば、大概のことは事足りる。このいつでも、どこでも、きっと大抵のことは調べて分かる、という安心感と言う名の緊張感の欠如が、記憶を弱めているのだと思う。

だから思い出せないし、記憶ができない。以前は人の名前と顔が一致しないことなどなかったのに、たとえ忘れてもスマホがあるおかげかアドレス帳やSNSを開けば、ほぼ顔と名前が一致する。そうなると忘れても問題ないと思ってしまう。緊張感は自ずと緩んでいく。

覚えていなくても困らない時代なので、いたずらに嘆くこともないけれども、昨日のドラマを見て市郎と脚本家の会話に付いていけない、Z世代とのギャップについて思うところがあって書いてみた。

便利になることで失われることもある。そう、こうしてパソコンで文章を書いていることで漢字が書けなくなっている。子どもの宿題を見ていても、書き順が分からないことがある。弊害とは言わないけれど、危ういとは思っている。一方で、手書きの時代が続くとも思っていない自分がいる。これも、危うい。

日々、気付かぬうちに危うさの中に身を置いている。なんて、ね。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?