見出し画像

「夢幻回航」10回 酎ハイ呑兵衛

猶は結局ドクター佐治の所に入院となってしまった。
猶の上司は事情を聴いて、猶の容態を確認してから帰っていった。

沙都子と世機も家に戻ることを決めた。

猶のことは心配だったが、佐治に任せておけば大丈夫だろう。
力の抜けた足取りで、ゆるゆるとドクター佐治の病院をあとにした。

廃校の跡地の病院をあとにして、玄関を出たところで、うす暗くなってしまった空を見上げた。
昼間の時間が短くなる季節だとはいえ、佐治のところに居た時間がそれだけ長かったという事だ。
この辺りはまだ夜空に星が見えるほどには、光害の影響がが少なかった。
空には一番星が瞬いていた。
沙都子は無理矢理に思考を切り替えようと、明るい調子で「今晩のご飯は何」と、世機に尋ねてみた。
世機は意地悪く笑うと、「今日はおめぇの番だよ」と言って沙都子の方をポンポンと叩いた。

「レトルトのカレーでいい?」
「明るく言ってもだめだね、ちゃんと作れ」
世機は容赦なく言ってのけた。
沙都子の料理嫌いは子供の時からだが、それは師匠の稜華(りょうか)の影響でもある。
なにせ2人の師匠である稜華は家庭的な事が苦手で、修行のためと称してすべて世機にやらせたような人である。
沙都子と槇は師匠と一緒になって、「女だからって家事をやらなければいけないなんて間違っている!」とか言い出す始末だった。

師匠は弟子たちに公平に仕事を割り振ったが、沙都子と槇の2人が師匠の真似をして、世機に仕事を押し付けてくるのだ。
それでも槇の方は年頃になってくると、料理をおぼえ、家事をやるようになった。
でも沙都子はあまりそういったことには興味が出ることはなかった。
まあ、それでも最近は台所には立つようになったのが。

そんなことを思い出しながら歩いていると、眼の前に電車の駅が見えてきた。
しかし不便だね。
世機はつくづく思う。
車やバイクならば、簡単に帰宅できるし、目的地に移動できる。
なぜ師匠は電車やバスを好んだのだろう。
敵からの攻撃を避けたいというのならば、猶の車のようにしても良いはずである。

そう言えば師匠は、電車やバスの待ち時間に考え事ができるって言ってたかな。
思考をまとめるのに丁度いい隙間時間だって言っていた。
オレも先生に倣ってやっているわけではないが、そういった用途に使っている。
音楽を聴いたり本を読んだりというのは、あまりやらない。

もちろんその程度の時間では、ゆっくりと思索に費やせるものではない。
あくまでもまとめの時間。
その時にあったことをコンパクトにまとめて、頭の中で整理するための時間。
そういった使い方しか出来ない。
充分に思索を巡らせるのは安定したねぐらに帰ってから、軽く酒でも飲みながら、というのが師匠の稜華からの影響である。

師匠の稜華はよく酒を飲んだ。
夜になるとグラスを傾けながら、本を読んだり、なにか調べ物をしたり、連盟に提出する書類などを仕上げていたものだ。
そんな姿を子供の頃から見ていたので、沙都子も槇も、そして世機も、酒は自然に飲むようになり、師匠のように夜の寛いだ時間を持つようになった。

太らなかったのは、日々の鍛錬と、節制のおかげか。

沙都子は暮れゆく車窓を眺めていた。
この辺は田舎なので、電車に乗る人数も少なくて、楽に座れる。
シートにもたれ掛かり、首を回して世機を見やる。
世機は肩や首を回してコリを解しながら、関節を鳴らしたりしている。
沙都子も真似をして、肩を回してみるが、なんだか落ち着かない。
猶のことが頭をよぎる。
心配だったが、ドクター佐治はああ見えて意外と名医の名で知られている。
彼の伝説は、枚挙につきない。
だが、猶とこの事件の関わり方というものを考えて、猶と関わらなければならないか。
猶はどう思うだろう。
一緒に仕事をしたがっていたし、どうすれば良いものか、沙都子は注意しなければならないと思った.

人が少ないから、世機は目立たないようにスマホを取り出した。
メッセージを送るだけだから目立たないようにする必要はないのだが、同盟支給のスマホは色がエグい!どうしても目立ってしまうので、世機はコレを使うのを遠慮したい気分だった。
紅葉と連絡を取って、猶の事を直接伝えたほうがいい気がした。
猶は紅葉のグループの構成員であるから、それが筋だろう。
連絡先は登録されていなかったので、山田にメッセージを送って、つなぎをつけてもらった。

山田によると、紅葉は極度の人見知りというか人嫌いなので、よほど仲良くなった者以外は連絡先やアドレスの類は一切教えないのだという。
よくそんな状態で仕事が出来るなと思ったが、そこは山田がうまく執り成して居るのだろう。
女性に苦労させられるという点で、世機は山田に親近感があった。

数十秒後、山田からメッセージが入った。
山田によると、世機のアドレスを教えたから、紅葉の方から連絡するということだった。
紅葉からの連絡を待つ間、普通の人々と同じように、ネットのニュースをチェックした。

沙都子は子供のように窓辺の夕日を眺めていたが、世機がスマホを取り出したのを見て、何をするのか興味があったようで、世機の手元のスマホの画面を眺めていた。
「紅葉ちゃんに連絡?」
「ああ」
「貴方好みじゃない。ドキドキする?」
時々こういった意地悪な表情を浮かべる。
オレを試しているのか?世機は「フッ」と、息を漏らした。
「バカ言ってんじゃねぇよ」
もう若かりし頃と違って、沙都子のこのような態度に照れるような精神状態ではなかったが、ほんの少しだけ嬉しかった。

沙都子は破天荒なところのある女である。
自分が見てやらないとなと、世機は思っていたが、沙都子はそんな世機に甘えているように見えた。
恋人同士と言うよりは、兄妹に近いのかも知れない。
肉体を重ねても、籍を入れるまで踏ん切りがつかないのも、そういった関係性もあるのかも知れない。
沙都子の妹の槇などは、早く結婚しろとうるさく沙都子に言っていた。
「おねぇちゃんが結婚しなきゃ、わたしが行けないんだからね」
と、会うたびに言ってくるらしい。

事件とは関係ない事だが、沙都子との事はなんとかしなければと、世機はいつも心のどこかに抱いていた。
この事件が解決したら、考えてみるか。
そんな事を考えていると、スマホの通知が出て、紅葉からのメッセージが入ったことを知らせた。

メッセージツールのアプリを動作させる。
今回はメッセージテキストなのもあってか、タクシーのときのようないらない自己紹介は継いていない。
可愛らしいアバターの画像が脇に出て、吹き出しでメッセージが表示される。
”こんばんは、かな?”
世機は気の利いた反応をしようと思ったが、思いつかなかった。
それでも返事を入力する。
”こんばんは、先程はどうも”
”面白くないこたえ。で、今回は何が聞きたいのですか”
紅葉の反応に、世機も苦笑する。
”猶さんのことです。貴方にも誤っておかなければと思ったのです”
”どうせ猶が押しかけたんでしょ”
紅葉は猶の性格なんて把握済みとでも言うように吐き出した。
”あの子は昔からそういうところがあって、でも噂通りの貴方方の実力ならば、守れたのじゃない?”
紅葉のメッセージに、世機は返答できなかった。
”貴方方を責めるのは違うってわかるの。でもあの子の性格ならばまた、事件に首を突っ込む。だから守ってあげてください。頼みます”
謝るつもりが、守ることをお願いされてしまった。
世機はハッキリ言って返事に困ってしまった。
猶をこの件にかかわらせたくはないという事を、紅葉に相談しようと思っていたのだ。
だが、紅葉は世機に守ってくれという。
弟子の修行のため、とでも言うことか。
世機は少し考えてから、”わかりました。出来る限りのことはします”と答えた。
猶は”お願いします”とだけメッセージにあらわし、接続を切った。

世機は本当に猶の事をどうしようか考え始めたが、やめることにした。
なるようになるさ、そう思って思考を切り替えた。

しばらくすると、2人の降りる駅に到着した。
電車内にアナウンスが流れた。
ゆっくりと電車が止まり、ドアが開いた。
ホームには客が何人か待っていたが、降りるほうが優先という暗黙の了解はちゃんと活きている。
沙都子が先に立って降り、続いて世機が降りた。
2人の載った車両からは、沙都子と世機の2人しか降りなかった。

ドアが閉まり、電車が再び動き始める。
薄暗くなって照明が照らすホームを歩きながら、世機は沙都子の肩を抱き寄せた。
衆目など意識していなかった。
本当に自然に、世機の身体が動いていた。
沙都子はチラと世機の顔を伺ったが、厳しい表情を見て、何も言わずにされるがままに任せた。

「ラーメンでも食べてく?」
沙都子は世機の肩に頭をもたせかけて、ほんの少しやさしい口調で言った。


猶は中村紅葉のお気に入りの一人だった。
彼女のチームは女性だけで構成されていたが、彼女が女性好きの同性愛者というわけではなかった。
彼女の過去に起因するトラウマが、男性を嫌う要因を作っていると言うだけだった。
山田は長い時間をかけて紅葉との関係を築いてきた。
紅葉も山田正広にはそれなりの信用と信頼を置いていたから、連盟の、彼女との連絡係は山田が全て行っていた。
同じ師匠と言うだけでなく、山田は美少女だった紅葉に対して、他の男のようには好色な態度は取らなかったのだ。
山田はイケメンというような男ではなかったが、そういったことは行動で表せる男だった。

紅葉は猶のことが気になって、山田に連絡を取った。
世機から連絡をもらって、おおよその経緯と、猶の容態と、ドクター佐治のところで入院ということは聞かされていたが、それでも自分で見ないことには安心できずに居たのだ。

中村紅葉は山田とだけは肉声で話すこともあった。
もちろん女性同士ならば、肉声で話すことのほうが多いのだが、妙齢になっても、男性に対する恐れと言うか嫌悪の気持ちだけはどうしても取れずに居た。
一生結婚は無理かと自分でも思っているほどだった。

だが、山田との関係は良好だった。
恋愛関係に発達しないのは、山田にとっては少々悲しい結果だったが、あれで居て、山田はプラトニックなのだ。

山田が電話に出た。
プライベートで使う、山田のスマホだったが、仕事中でも紅葉からの連絡は、山田は必ず受け取っていた。

「どうした?紅葉」
山田は電話では中村紅葉のことを紅葉と呼び捨てにしていた。
兄弟弟子だし、妹のようなものと公言していたし、山田の性格もあって、山田が紅葉と呼び捨てにするのを、周りの紅葉ファンも認めている様子であった。
まぁ、山田のことだから、認められなくても呼び捨てにしていただろうけれど。

「猶のこと」
「ドクター佐治から連絡を受けているよ。彼は名医だし、大丈夫だろう」
「でもやっぱり心配」
「行ってみるか?見舞い」
さり気なく紅葉を誘ってみる。
山田も猶のことが気になっていたが、あんまり大人数が押しかけても、猶の妨げになりのではと思っていたので、山田にしても遠慮がちだった。
「迎えに来てくれる?」
紅葉が気さくにこう言えるのは山田だけ。
山田もわかっていたが、それを特権とは思っていない。
紅葉への感情が処理できなかった時期には、地獄のような日々と感じていた。
今は、山田もそれなりに、紅葉との関係を楽しんでいた。

「18時でいいか?」
山田は休憩所で、タバコを灰皿に押し付けた。
今から出かければ間に合うかな。

「いいよ」
紅葉が答えた。
「わたしの家まで来てくれるの?」
「いいよ」
山田が答えた。
「猶の見舞いが終わったら、ラーメンと餃子が食べたい」
紅葉は子供のようなことを言い始めたが、山田は笑って承知した。

こちらは里神翔子。

里神は組織からのつなぎを、駅前のベンチでスマホを片手に待っていた。

駅の周りにはカップルも多く、里神翔子の気持ちを逆立てた。

里神も女である。
浮いた話もなかったわけではない。
それどころは、結婚もしていた。
結婚当初はお腹の中に子供もいた。

相手の男は仕事上知り合った同業者だった。
里神と同じように、世をすねて、裏の組織に身を投じた人物だったが、2人は結婚と、彼女の妊娠を切っ掛けに、引退を決意していたのである。
世情も安定したし、仕事自体減っていたというのもあった。
だがしかし、裏世界はそんなに甘くはなかった。

彼女やその夫に恨みを持つ者も多く、命を狙われたのだ。

家に爆弾が仕掛けられて、彼女が買い物から帰ってきた時を狙って、夫とともに居るところを爆破されたのだ。
その時に彼女の夫は彼女を庇って、覆いかぶさるようにして息絶えて、爆風と衝撃と、精神的なショックもあり、里神翔子は流産してしまった。

それ以来自分が抜け出すことは許されないのだと思い込み、さらなる深みへと落ちていってしまうことになったのだが、その時の思い出が、カップルを見ると蘇ってきて、自分ももっと違った生き方が出来たのではないかと思って、苦しい思いがその身を焼いた。

手元のスマホがブルブルと震えて、着信を知らせてくれた。
里神翔子は急いでイヤホンタイプのヘッドセットを耳に装着して、画面上のボタンに手を添えた。

ワイヤレスタイプのヘッドセットから、クリアーな音質で、男とも女ともつかない中性的な声が響いてきた。
「おつかれ、翔子」
聞き慣れたその声は、実は翔子にもその正体はわからなかった。
おそらくこいつがリーダーなのだ。
翔子はそう思ったが、あえて詮索はしなかった。
金さえ貰えればいい、翔子はそう思っていた。
だから声の主にも大して感情はない。

「何の用なの?」
「君のことを嗅ぎ回っている連中のことは知っているよね」
声は静かに言った。
「協会の人たちでしょう」
「そう、その協会と連盟が、小林氏の事件で手を組んだのだ」
「やりづらいわね」
翔子が言う。
声がククと静かに笑い声を響かせる。
「いや、我々の計画が勧めやすくなったと言うべきだろうな」
「計画ですか」
「この国を牛耳る計画さ」
「まだそのようなことを考えておられたのですね」
「わたしがこの組織を立ち上げたのもそれが目的だったからね」
翔子が組織の誘われたときの勧誘の文句。
最近ではどこまでが本気なのかわからなかったが、このリーダーは本気なのだろう。

翔子は夫と子供を失ってから、死に場所を探して生きてきたように思う。
果たしてこのリーダーは、自分に死に場所を与えてくれるのだろうか。
翔子は暗い思いに取り憑かれ、意識がよそへ向いてしまうのを、必死でとどめた。

「我々のエージェントが2人、協会の中に居る。彼らに動いてもらって、協会と連盟を潰す」
声は淡々と聞こえるように言う。
ただ端々に感情が漏れているのは、声の張りからも推測できるが、この電話の相手は若いのかも知れない。
少なくとも自分と同じくらいかと、翔子は思っている。

「エージェントの名前は?」
「それは君にも教えられないな」
「連携が取れないんじゃない」
「向こうには君のことを教えてある。と言っても君はもともと有名人だからな」
声はそう言うと、また、低く笑った。
「用はそれだけなの?」
「鬼が書類を回収する時に、またあの連中と鉢合わせになったそうだ」
「あの連中?」
「君が戦ったあの連中だよ」

声は幾分楽しそうな調子だった。
翔子は沙都子の顔を思い浮かべた。
敵対心よりも、こんな自分じゃなかったら、いい友達になれたのではないかと、そんな感触を抱いたのを思い出す。
沙都子に対してはなぜか親近感があった。
だが、組織が本気で連盟や協会の相手をするのだったら、彼女とも今一度戦わなければならない。
今度やりあったら勝てるだろうか?
彼女もその相棒も相当に強い。
「君は一旦こちらへ戻ってきてくれ」
声は続ける。
「君の投入タイミングはわたしが考える。君は切り札の一つなんだ」
複数ある切り札か。
死に場所を求めている翔子には、温存される立場は望んだものではないが、それが雇い主の判断ならば、仕方があるまい。
「わかったわ。待機ってことね」
「ああ、その時になったら存分に働いてもらうよ」
本当に死にたいのならば、自ら命を絶つことも出来ただろうが、翔子のは自殺の意志はない。
あくまでも戦闘中の死、それが戦士として自分に課した十字架だった。
翔子はスマホを仕舞うと、ゆっくりと立ち上がった。
そしてフラフラとどこへともなく歩み去った。


ここから先は

0字
100円に設定していますが、全ての記事が無料で見られるはずです。 娯楽小説です。ちょっと息抜きに読んでください。

夢幻回航

100円

アクションホラーです。 小説ですが気軽に読んでいただける娯楽小説です。 仕事の合間や疲れた時の頭の清涼剤になれば嬉しいです。 気に入ってい…

サポートしていただければ嬉しいです。今後の活動に張り合いになります。