見出し画像

「インドに行くと人生観が変わる」から生まれる問い10選

前回、こんなタイトルで記事を書いた。「インド在住」がよく聞かれる3つのこと

3つの質問とは端的にいうと、
①インドはいつもカレー食べてる?
②インドに行くと好きか嫌いか真っ二つに分かれるって本当?
③インドに行くと人生観が変わるってマジ?

この3つ。

どれも一言で答えるのは難しい。中でも答え方が難しいのは③の「インドに行くと人生観が変わるってマジ?」になる。問いが問いを呼んじゃうんだ、これが。

今回はなぜその問いが難しいのか。どんな問いが浮かぶのかをまとめてみた。

※ちなみに「人生観が変わるとはそもそもどんなことか」とか地域も広く時代も変わっていく「インド」とはそもそもどこを指すのか。などの超本質的なテーマは今の僕の手には到底負えないのでそこはスルーで頼んます!

⓪お断り

このnoteをアップして、何人かに意見を頂きました。特定の方には共感を頂いたものの、別の意見も頂きました。それは、「長い」「不必要な問いがあるのでは?」「さかもっちゃんがどう人生観が変わったのかを読みたかった」などなど。

単純に僕の編集力が足りたいことも大きい。
だが、それ以外に2つ理由がある。

①主観と客観が入り交じる。

例えば僕自身が「インドで人生観が変わったか」という純粋な主観のお話がある。次に「インドでの他者の人生観の変化の瞬間に立ち会う」という順主観的な話。「インドで人生観が変わったとされる人の話を日本で聞く」という順客観的な話。「インドに行くと人生観が変わる」という客観的な話。

僕はどの立場も多く味わってきてしまい、まだ自分の中でも整理し切れていない。

②他者を語る危険性

文化人類学科を卒業した。そこで他者を語ることには色んな危険性が入り交じることを学んだ。僕らは時に他者を自分達とは全く切り離した存在として語ってしまう。でも実は他者と自己は鏡のような存在。

例えば相手を「未開」と語る時に自分を「文明」の側に置いて自己像を確立することやそのことによって例えば支配する理由付にしてきた歴史がある。これらをオリエンタリズム批判という。

「インドで人生観が変わる」「インドとは人生観を変える国だ!」と一言で片付けられないのはそんな背景もある。

とはいえ

それらを加味しても、以下の文章が読みにくいのは一重に僕の力不足。それも含めて、備忘録として一旦このまま残しておきます。

いつか編集し直す日が来ることを祈って。

①実際に訪印した日本人に人生観の変化はあるのか。

正直、ありそう。
「イエスかノーで答えなさい」と問われたら、そう答えるかな。インドのサンタナグループにて14年間携わってきた。そのサンタナは顧客の98%は日本国籍の人達。デリーやバラナシにもゲストハウスの支店があり、毎年数千人のお客さんが来る。14年なので、ゆうに数万人インドを訪れる日本人を見てきたし、インドを安心して楽しめるサービスを現地で展開していた。

そして帰国後の彼らのインド体験の影響を聞かせてもらってきた経験から答えるとそうなる。

実際に直接聞いた人達から考えると、大きなインパクトを受けている人の方が多い。インドがその後の人生のターニングポイントになったという話を聞かせてもらうのだ。インド前後に他の国を訪れた人もいるが、インドから最も大きなインパクトを受けた人が多かった。

もちろん例外もたくさんいる。たとえば身近な人で、僕の奥さんは3年住んでいたが
「インドで人生観変わる?そんなのはなかったわw」と一蹴(^_^;

しかも人によってインドからどんな影響を受けたかは違う。一般化できるのかは大いに怪しい。ちなみに僕はインドで行っていたサービスとしてもホームステイやローカルの学校などと関わる体験型、またヨガ留学など長期型のサービスも多かった。

そういったところから考え、誰が、どんな形でも、どんな期間でも、インドに訪れさえすれば大きな変化がある、と言えるかどうかは大分怪しい。

②人生観が変わる国はなぜ他の国ではなくインドなのか

インドを訪れる日本人を見てきて、確かにインドから大きな影響を受けた人が多かった。だが、それはたまたま僕がインドに住んでいて、特に体験型・長期型の旅行者との出会いが多かったからとも言える。

もし例えばアフリカや中南米で日本人をたくさん迎えるゲストハウスやホテルに長年関わってきたらどうか?しかも体験型・長期型だったら。そしてこう聞かれたらどう答えただろか?

「エチオピアに行けば人生観変わるって本当ですか?」
「アルゼンチンに行けば人生観変わるって本当ですか?」

実際にケニアのキベラスラムで活動している早川千晶さんにこの都市伝説について話してみたとき、「そりゃ、アフリカの方が人生観変わるでしょ!」とこれまた一蹴されてしまった。

また、こういった単純な比較よりもこうも言えるのかも知れない。どこ行ったって何かしらの影響はあるとも。日本国内だってカルチャーショックを受ける場所はいくらでもある。「同じ日本なのに!!」と衝撃がむしろ大きいことだってあり得る。

何かしら同じような価値感を持っている人達にとってどんな場所や人と出会うと変化が起こりやすいのか。ひとまとまりに出来るかどうかはおいておいて、例えば「日本人」にとって変化を起こしやすい国や地域があるのかという問い。

つまり、なぜ人生観が変わる国は、他の国ではなくてインドとされたのか?という問いが出てくる。

③インドである理由は?

上の早川千晶さんの言葉ではないが、純粋に価値感が揺さぶられる、今までの固定観念がぶち壊される、常識が通じない、という体験は必ずしもインドだけで起こることではないだろう。

それでも「人生観の変化」が語られるのがインドだと言うことの理由はなんだろうか。いくつか考えてみた。

①距離

物理的に遠すぎないということ。これは1つの要因になってくるのは、海外旅行者にとってそこまで遠くなくて実際に足を運ぶのが時間的・経済的にそう難しくない要因になる。インドも「アジア」という言葉で纏められる地域の中に入ってくる。

②文化

文化的に受け入れる素地がある。仏教やヨガの他にもカレーを日常的に食すなど受け入れる素地があるということも1つになる。「人生観が変わる」ためには違いが必要になるが、違いすぎてはただの全く異なる、別物として受け入れられてしまう。この文化的な近さも1つの要因ではないか。

③海外旅行先として選ばれる

上の①と②の結果として、海外旅行先に選ぶ人が多いということも「インドに行くと人生観が変わる」として広く語られる理由になってくる。仮にアフリカや中南米の方が「人生観が変わる」としても、実際に足を踏み入れる人が少なければ広がり方も限定されてしまうだろう。

仮にこれらが要因の1つだとしたら、インドが日本と遠く全く違うからではなくてむしろその近さや同質さも理由なのではないか。そうだとしたら、インドは日本人にとって遠いようで近い国なのかもしれない。

④誰が言い始めどう広がった都市伝説なのか?

この都市伝説が生まれていった時期は海外旅行が一般的になってからではないか。とすると少なくとも戦後になるだろう。どういった人が訪れて、どんな影響があったのか、それをどう語ったのか。そしてその結果どう広がりインドのイメージが一般化していったのか。

戦後と言っても77年ある。影響力がある人達を考えてみてざっとこんな人達が思い浮かぶ。

三島由紀夫、ビートルズ、横尾忠則、ジョブス、沢木耕太郎、藤原伸也、椎名誠、妹尾河童、遠藤周作、、、

他にもゴダイゴの「ガンダーラ」の歌詞のイメージもありそうだ。

こうした著名人の影響は大きいのではないか。特にビートルズ。ビートルズ自体、世界的な影響力があったわけだが、彼らがインドでインスピレーションを受けたことは有名だ。

ミーティングビートルズインインディアの中でこんな解説があった。

「物質的に満たされても、精神は満たされないことを痛感し、心の安らぎを求めてインドに行ったビートルズ」と説明されている。実際に、後にポール・マッカートニーはこう語っている。

「クレイジーな’60年代の終わり、自分を安定させる何かを求めていた時に、瞑想に出会った。狂乱のただ中にあっても、瞑想することで、心の落ち着きを取り戻すことができる。」

こういった言葉の中にヒントがありそうだ。

戦後、高度経済成長の中で何か置き忘れてきたもの、大切なものがインドで見いだしていった。精神性、宗教、瞑想、などをインドからのインパクトを受ける。ある意味分りやすいストーリーかも知れない。

ただちなみに今調べた中で直接的に「人生観が変わった」という言葉は誰も使ってはいない。(いや、ここでこの人が使ってるよー、とかあれば是非教えてください!!)

ここは一つ一つじっくり調査をしていきたいところ。

⑤インドをどう見ているのか。

多くの日本人から問われる「インド=人生観を変える国」この問い。この言葉が使わって語られるインド。そこから読み解いていける「インドをどのような場所としてみているのか」という問い。

よく聞く単語を列挙してみる。

神秘的、信仰、精神性、未知の国、貧富の差が激しい、多様性、貧困ながら幸せな国、混沌、動物との共生、汚い、危険、経済成長著しい、、、

インドという他者を例えば上記のように観ているとしたら、その逆の日本の姿・自分の姿をどうをみているのだろうか。いくつかあげてみる。

神秘的:平凡、現実的
精神的:物質的
貧富の差が激しい:一億層中流
多様性:画一性
貧困ながら幸せな国:裕福ながら不幸せな国
動物との共生:人間だけの社会

これらはあくまで一例だが、当てはまるところも大きいように見える。インドをどう見るのかはそのまま僕たち(日本人)が自分自身をどう見るのかが見て取れるだろう。また、戦後の高度経済成長期と共にこういった他者と自己のイメージが確立されていったとしても不思議ではないように見える。

⑥インドの人はどうなのか?

この都市伝説を何度も投げかけられてモヤモヤしたことの1つ。それはこの都市伝説を語るときに「インドに人が置き去りにされてはいないか。」ということ。実際に、インド人はどうなのか?これには2つの問いがある。

①インド人は日本に来たら人生観は変わるのか?

インド人も日本に来たら人生観が変わるのだろうか。いや、例えば日本ではない国でそんな風に語られる国はあるのだろうか。近しい都市伝説はあるのだろうか。

②日本のその都市伝説をどう思うのだろうか?

インドの人にとって母国であるインドは、他の国の人達の人生観を変える場所。そんな噂がまことしやかに語られることについてどう思うのだろうか。良い方向に導くと嬉しく思うのか、それとも「インド」と一括り、紋切り型に語られることに辟易とするのか。どっちでもないのか。

「インドに行くと人生観が変わるって本当?」という都市伝説を語っているとき、インドのことを語っているようで実はそこに「インドの人達」への視点がなくなっているように思えるのだ。

⑦日本人は人生観を変えたい人が多い?

実は上記のインドに「日本に行ったら人生観が変わる、という都市伝説があるかないか。今のところなさそう。インドからの知人に聞く限り、そんな話は聞いたことがない。

僕はある一時帰国の時にあまりにこの質問をぶつけられ、思ったことがある。それはこの質問にフォーカスするということは「人生観の変化」に興味があるのではないか。どこかで「今とは違う人生がある。インドに行くとその扉を開いてくれる。」そんな期待があるのではないか。と

この都市伝説がまことしやかに語られる社会、インドがではなくて日本がどういう場所なのかを表しているのではないか。そう思えてくる。

やはりどこか、「閉塞感」という言葉が語られるような社会なのだろうか。やはり生きづらい場所なのだろうか。人生の観方を何かが、どこかが変えてくれる。そんな期待感が高い国なのではないだろうか、と。

少なくとも日本は「人生観が変わるような変化」に興味がある、とは言えるのではないか。

⑧都市伝説の功罪

この都市伝説はどんな影響を及ぼすのだろうか。インドを訪れる日本人を見てきて、最初は語らないが後々「実は人生観が変わると聞いて、期待してきました。」と語る人は少なからずいる。

そんな彼らを見ていて功罪どちらの側面もあるようにも見える。功績と弊害を実体験からあげてみる。

都市伝説の功績

既に変化は起きていてその最後の確認のような形でインドに行く時。そのインドの使い方?は見ていて人生を上向きに変えるように見える。

例えば始めてインドを訪れた翌日に辞表を出したという友人がいる。そこだけ見るとまさに「インドに行くと人生観が変わる」のわかりやすい例に見える。しかし、よくよく聞いてみると会社を辞めたい気持ちは満載で最後の一押しをインドが手伝ってくれたということだった。

そこに過度の期待がなくうまくこの都市伝説を、というかインドを活用しているようなそんな使い方に見える。

都市伝説の弊害①

この都市伝説は「インドに行けば変えてくれる」という盲信を生みかねない。これはインドに限らないが、行けばそれでオールオッケー。そんな過度な期待は裏切られやすいだろうし、その後、必要以上に落ち込むことになる。

そんな時時に人は必要以上に「私は変わった!」と周りに伝えてしまったりする。(僕も大学一年生で初めてインドを訪れた後そんな感じがあった。いきっていた(^_^;))過度な期待を生み失望してしまう、そんな弊害が1つにある。

都市伝説の弊害②

インドへの誤解を生んだり、インドをステレオタイプに押し込めてしまう。行ったら人生観を変える国。というのは何か日本とは全く違う、とんでもない、常軌を逸した国や人々というイメージが先走ってしまう。そうでなくても実体験を伴わない言葉の一人歩きは、差別なども助長する可能性があったりもする。

等身大、ありのまま自分が出会ったインドやインド人をそのまま感じることを遠ざけてしまうかもしれない。

冒頭にも書いたがインドで実際に人生観が変わった、と思えるような人はたくさんいる。それはその人の経験がもたらしたものであり、そこから生まれた都市伝説そのものの影響ではないということが大切だろうと思う。

ただ、その都市伝説が行動をうまく導くことはあるのかも知れない。

⑨どんなメカニズムで人生観が変わり得るのか。

具体的に、ではどんなメカニズムが生じたときに実際に人生観が変わり得るのだろうか。何かしら共通点はあるのだろうか。もしその共通点を1つのモデルにしていければ再現性を高められるかも知れない。

2つの可能性があるのではないかと考えている。それは自己認識の変化と自己実現の可能性。自分とは何者なのか、そして自分の人生で何を大切にして生きていきたいのか。インドという他者と出会うことでそんな可能性があるのではないか。

①自己認識の変化

違いを見ることで自分がみえてくるというのは子育てしていたも思うところ。自分と他者の境界線があやふやなところから、段々他者と出会うことで自分が確立してくる。

そう考えていくとインド、もしくはインドで出会う人々などの「他者」との出会いによって実は導き出されているのは「自己」だったりする。何となく自分だと思っていたものの境界線がくっきりしたり、逆にその境界線がゆらぐようなこと。

今まで思っていた「自分」のイメージが変われば世界の観え方は変わるだろう。

他者の中に身を投じてフィールドワークを生業としてきた文化人類学的な人生観の変化とも言える。

②自己実現の可能性

異文化体験の1つの醍醐味は感情の変化。想像していなかった他者と出会うことで感情が揺さぶられることは多々ある。それがポジティブであれ、ネガティブであれ。大きく感情を刺激してくれるのだ。

そして実はその感情の奥には大切にしたいものが隠れている。

その大切にしたいものが満たされればポジティブな感情になり、満たされなければネガティブな感情になる。どうやらそんなメカニズムがある。奥にある大切にしたいものを大切にする。そんな自己実現の可能性がそこにはある。

世界というのが、自分が本当に大切にしたいものを大切にするフィールドと認識することで、世界の観方も変わるだろう。

こちらは感情やニーズ(大切にしたいもの)を大切にするNVC(共感コミュニケーション)的な人生観の変化になる。


時に「これはあり得ない!」とか「まじかよ!!」と思うような他者の存在はいつの間にか作り上げられていた「自分 」という認識を変えてくれたり、「大切にしたい」と思っていた実現したいものを導いてくれたりする、有り難い出会いになることがある。

ところで、この辺りの可能性は非営利型株式会社Saniwaとしても追究していきたいところ。インドに行く前の事前研修にできないかと、ワークショップの形を開発を進めている。時が来たら、モニター参加などを募集しようかと思う。

⑩これからどうなるのか?

最後の問い。
これらを見てきた上での問い。恐らく戦後、高度経済成長と共に生まれたこの都市伝説。インドを語っているようで、日本を語っている。そして相互関係を語っているのではないかと思うわけで。

そうなるとこの都市伝説がこれからどうなるのかとっても興味深い。そこからみえてくるものがあるのではないかと。例えば90年代頃は「インドは貧しいけど、笑顔が素敵」などとインド旅行者がブログなどでよく書いていた。

でも、日本とインドの経済状況は明らかに変化しているし、これからも劇的に変わっていくと言われている。情報も現地情報も瞬時に手に入れることも出来るようになってきている。精神性も一時に比べると日本でも広く語られるようになってきた。

日本もインドもそこに住む人達もその関係性も変わり続けている。この都市伝説はこれからも語り続けられるのか。少なくとも2023年11月現在はまだまだ聞かれるこの都市伝説。

これからも都市伝説として生き続けるのか、何か変化するのか、消滅していくのか。興味深いところ。

最後に

何のご縁か、インドとは関わり続ける半生を送ってきた。そしてだからこそ、同時にこの都市伝説を問われ続けてきた。その度に何だか言葉にならないモヤモヤを抱えてもきた。

今回はその一端を文字にしてみた。文章にしてみてまずはこれだけの問いがあるのだなと。しかも省いてまとめて10個にした。

見てもらったようにこの都市伝説には、インドだけのことでも、日本だけのことでも、インドと日本の相互関係だけでもなく、もっと広く「他者」と「自己」というテーマが隠れている。

ただただ都市伝説が独り歩きすれば、他者に対しての偏見や差別などを助長し兼ねない。逆に他者と自己の境界線を引きなおしたりそこが揺らいだり、出会いによって大切にしたいものを見つけ合うような、豊かな出会いの可能性もあり得る。

1つの都市伝説なのかもしれないけれど、広く深い意味が隠れている、そんな気がしている。

今回はざーっと並べてみたけど、これからじっくり一つ一つ掘り下げていこうかと。

ぼちぼち書いていきます。

お知らせ

非営利型株式会社Saniwaでは、人生観が変わる冒険をカジュアルに、というキャッチコピーを掲げ誰にでもインドを経験できるようなサービスを広げていってます。

いくつかお知らせです。

12月10日(日)府中インドの会 チャイ&トーク「府中×インド×人生観」

まさに今回のnoteの内容のテーマを他のインド体験者や日本語が堪能なインドの方と共に語り合ってみます。その報告もこのnoteでもしていこかと思います。

2024年2月10日~16日 インド呼吸ヨガリトリート

インド呼吸ヨガリトリート

僕も同行します。今のところ10名の参加者ですが、もう少し残席ありますー。

新しいサービス開発中

人生観が変わる?ワークショップなどもありつつ、自分の軸でインドを体験する。そんなサービスを開発中でモニターさんがインドから帰ってきたタイミングです。

こちらも近々ローンチする予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?