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「静かなる海」 これだから韓国ドラマは止められない(ネタバレを含みます)

2021年も韓国ドラマの躍進は止まらなかった 「ヴンチェンツォ」「海街チャチャチャ」「D・P」「マイネーム」「イカゲーム」「地獄が呼んでいる」Netflixでの韓国ドラマは次々にヒットしている。
個人的には「イカゲーム」はあまり好きではないけど「地獄」は楽しめた。
「海街」や「ヴンチェンツォ」は中だるみして後半は観ていない
6話から10話位の話が見やすい気がする(僕の集中力がなさすぎるもかもしれない)「D・P」に関しては以前Noteに書いたのでそちらを確認して頂けたら嬉しいです。

今回は12月24日のクリスマスイヴに公開された「静かなる海」について話していこうと思います。

主演はペ・ドゥナとコン・ユ 

はっきりいってコン・ユはあまり好きではないがペ・ドゥナが好きなので観てみました。

アメリカもののSFホラーを踏襲しつつ韓国映画の色をしっかり刻みつけることに成功したドラマとなっている。

いや韓国映画はもうそれ自体が1つのブランド化しているとって過言ではないだろう。海外にも認められたポン・ジュノ監督や前述した世界的にヒットを飛ばし続けているNetfix系の韓国ドラマの認知。         静かなる海もそのブランドを改めて表明したといえるドラマに仕上がっている。

このドラマの言いたいことは「希望」だと思う

退廃した地球を救うことの出来る「月の水」               しかしそれは人類が扱うには困難すぎるものだった            でも「月の水」は可能性だ 人体実験な中で生まれた「ルナ」彼女もまた「可能性」だ。

物語はスパイや兄弟愛、恐怖などの盛り上げポイントはあるが、あくまで引き立てワードであって本題ではない。

僕は世代的にガンダム世代なのでここで「ニュータイプ」のことを考えてしまった。ガンダムを知らない人に説明しとくと「ニュータイプ」とは可能性のことだ。宇宙に飛び出した人が人と人が精神で分かり合えることが出来る 感じあえることができる存在こそ「ニュータイプ」

ただそれは兵器という面だけフォーカスされてしまう。そう戦争の道具となってしまった。

月の水を飲んでも死に至らず 身体的に進化した「ルナ」も同じだ

地球救済という名目で実験体となり 人類救済のため生かされ「道具」として消費される。

「可能性」

あくまでも人類の判断で「希望」にもなるし、「絶望」にもなる

人類は目先の利益のためにその可能性を「絶望」とするのか?

僕はこの静かなる海をそのように観た

最後のシーンで私達はルナに何を見ただろう

人類の利益だろうか はたまた人類の安寧だろうか


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