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娘をカウンセラー代わりにする母親に育てられた女性たち

よく、娘をカウンセラー代わりににしている母親がいます。けっこうたくさんいて、びっくりするほど。

「私たちは友だち親子なのよ」という方もいますが、親子は友だちではありません。

親子は、水平関係よりも縦関係である方が、健全です。縦関係とは、決して親が権威をもっているとか、子どもは親の言うことを聞くべきということではありません。子どもが守られ、生活スキルを身につけ、人間として他者と関わっていくうえでの心のしなやかさやルールを身につけていくには、親が人間として成熟しリーダーシップをもつ必要があるという意味です。

親が失敗したら、失敗を我がこととして受け止め、回復できること。親が不安なら、子どもに当たるのではなく適切な第三者の支援を受けること。

人間として成熟するとは、決して完璧になるということではありません。むしろ、完璧ではない自分を承認できることともいえるでしょう。

母親に不安があったり、困ったりしているとき、夫や第三者の支援を適切に受ける主体性がないと、知らず知らずのうちに娘をカウンセラーにしてしまいます。

娘は母親を助けようとして、母親の顔色をうかがい先回りするようになります。「私の娘は気が利くのよ」なんて場合は、要注意かもしれません。

娘が母親のカウンセラーになると、娘が大人になる頃に、様々な不全感を感じることがあります。また、他者とのかかわりにおいて、難しさを感じることがあります。娘は、母親より幸せになってはいけないことをハビトゥス化してしまうこともあります。まるで、グリム童話の白雪姫のように。

グリム童話の白雪姫は、母親からの嫉妬を買い、母親に毒リンゴを食べさせられ、仮死状態になります。母親よりも幸せになってはいけないので、大人の女性になることを仮死することで避けてしまうのです。

母親のカウンセラーをやってきた娘は、心の発達をこのように仮死させている場合があります。

その母親の呪いを解くことはできますが、けっこうたいへんです。でも、母親からの呪いが解けると、娘は自分の人生をないがしろにしなくて済みます。

高度経済成長期後の核家族化の中で、母と娘のこじれは一層複雑なものとなりました。けれどもこれは、ポストモダンという時代を生き、女性が主体として生きていくうえでの過渡期的な課題なのかもしれないとも思えるのです。

長年、母親のカウンセラーをやってきた女性たちが、ご自身の苦痛をもって相談室にいらしてくださるとき、そして、娘をカウンセラーにしてきたかもしれないと自覚されたお母さんたちが、もう老女になってから、相談室にいらしてくださるとき、私はその勇敢な女性たちに心からの敬意を感じるのです。

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