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プールサイドの思い出

小学生のころの夏休みは、よく市営プールに行っていた。家族と一緒のときは車で連れていってもらったけれど、友達と行く場合は自転車で待ち合わせていった。自転車だとプールまではたしか30分以上かかったと思う。
くらくらするような強い日ざしの下で自転車を漕いでいると、着替えが面倒だからと服の中に着込んだ水着がじんわりと汗を吸って肌にはりついてしまう。それが暑苦しくてたまらない。一刻も早くプールに着いて服を脱ぎたいといつも思っていた。
そして一日中プールで泳ぎ回った帰り道、夕方の生ぬるい空気のなかを自転車で帰っていくのは本当にだるかった。途中で眠たくなって、目を覚ますために前後を走る友達に無理やり大きい声で話しかけながら帰ったりもした。自転車を漕いでいても、身体にはさっきまでの水の中にいた時の感覚が残っていて、それは家に帰って夜眠るときにもまだあって、シーツの上に伸ばした足には水をきる時の重い感触、目をつむったまぶたには、プールの底深くまで潜って、見上げたときの水面でゆれる太陽のきらきらが映って、もう眠たいのにおかしくてくすくす笑いがこみあげてきた。

プールサイドで食事するのがすきだった。市営プールには小さな売店があって、そこにはフライドポテトやアメリカンドック、焼きそば等お祭りの屋台みたいなメニューしかなかったけれど、どれもプールサイドで食べると不思議なくらいおいしく感じられた。わたしが気に入ってよく食べていたのは、日清のカップヌードル(シーフード味)だった。注文すると、お店の人がお湯を入れて手渡してくれるのだけれど、入れてくれるお湯の量が少なめで、だから家で食べるときよりも味が濃くて塩辛かった。その熱くて塩辛い味が、ずっと水のなかにいて冷たくなったお腹には、たまらなくおいしかった。しょっぱくっておいしいね、と母に言ったら、誤って水着の身体にかかってやけどしないように、わざとお湯の量を少なめにしてあるのよと教えてくれた。大人はいろんなことを考えるものだなぁと感心したのをよく覚えている。


それからその頃のプールといえばセットで思い出すことがある。当時、わたしの左足の内腿のあたりには、小さな石のかけらのようなものが埋まっていた。特に痛みなどの違和感はなかったから、一体いつ、なんのはずみで入ったものなのかはわからなかった。気づいたときにはその黒い石は、米粒ほどの大きさを皮膚からちらりと覗かせて埋まっていた。普段はその石のことなんてほとんど忘れていたけれど、水着を着ると足がむき出しになるからちょうどいいということで、母はわたしがプールサイドにあがって休憩しているとき、そのタイミングを利用してピンセットを手に持ち、その石をほじくりだそうと試みていた。母は手先が器用で細かい作業が好きだったからか、いつも熱中してそれをやっていた。

けれども石は肉の中でくるくると滑ってしまったりして、ピンセットで掴むのは難しかった。石が入っている穴を広げようと母が指でひっぱると、わたしは痛がったりくすぐったかったりして嫌がり、その都度作業は中断したから、なかなかうまくいかなかった。

でもある日、石は取れたのだった。やはりいつかの夏にプールサイドで。いつもどおり母がピンセットを手にして、そのときも途中でわたしが痛がってやめてもらおうとしたのだけれど、珍しく母がもう少しで取れそうだからといって譲らなかった。たしかに石はいつもより外に出ているように見えた。
正直、痛みは我慢できないほどのものではなかった。それよりも石がとれてしまうのはつまらないと思って、いつも途中で嫌がっていた気がする。足に石が埋まっていることも、プールサイドでのこの恒例の儀式もおかしくて、内心気に入っていたから。なくなってしまうのは惜しい気がした。でも母は本当に取りたかったのだろう、目が今日こそはと本気だった。私は観念した。ようやく石がとれた時はやっぱりうれしくて、母といっしょに大喜びした。

石は歯の詰め物みたいないびつな形をしていて、全体が鉛筆の芯のような色だった。取り出してみたら小指の爪くらいの大きさで、穴から見えていたよりも大きかったので、母もわたしもびっくりした。
しばらく石は捨てずに取っておいて、たまに指先で転がして遊んでみたりしていたが、いつの間にかどこかにやってしまった。内腿には小さな穴だけがぽつんと残っていたが徐々に塞がり、今となってはもうどこにあったのかすら、わからなくなった。

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