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ユキウサギのつとめ

夜、布団に入って目をつむっていたら、外から音がきこえてきた。
きい、きい、きい、きい、きい、きい。
風が吹いて、どこか遠くでドアが開いたり閉まったりしているような、そんな音。
家の近くにある小学校のフェンスの扉かもしれない。
最後通った人がちゃんと閉めておかなかったんだな、なんて思う。
ゆりかごみたいな一定のリズムで、このまま眠るまでずっと続きそうだと思っていたら、扉からなにか出てきたみたいに、たたたたたたたっというすばしっこい足音がきこえてきて、そこでわたしは眠りにおちた。

 ******

眠りの中で、わたしは暗い夜道を走っていた。
さっき聞いていた足音は自分だったのかと思ったら、身体がいつもと違うものになっている。
わたしはいつかテレビでみた、雪原を全力疾走するユキウサギのことを思いだす。
ユキウサギは後ろから追ってきたキタキツネから逃れるべく、顔をまっすぐ前にむけて、身体をしなやかなバネみたいに伸ばして、風のような速さで大地を駈け抜けていた。
今のわたしもそれと同じくらい速かった。
地面にはうっすら白いものが積もっていて、足で踏んでも音はしなくてとても軽い。

雪と似ているけれど、これは雪じゃなくて桜の花びらだ。
道に落ちた花びらだけが、闇夜の中で灯りみたいにぼうっと光っている。

桜が咲くのは一年のうちでほんの僅かな時。
この季節、わたしの身体は日中のわたしが眠りについた夜にだけ、こんなふうになる。
昔誰かとそういう契約を交わした。
今がその時なのだと思いだして、すごくうれしかった。
こんなにうれしいのに起きるとそのことを忘れて、わたしは別の世界を生きている。
それを思うと切なくて、涙が出てくる。
でも今は泣いている場合じゃない。
走っているこの身に集中しなければ。

まわりにはわたし以外にもここを走っている仲間がいる。
仲間は空から落っこちてくる星みたいに加わって、群れはどんどん大きくなっていく。
スピードもじょじょに増して、今やわたしたちの身体は青白く発光している。
外からみたら流星群みたいにみえるのかもしれない。

わたしたちの務めは地上に咲いた桜を祝福すること。
この春、誰かの記憶に刻まれた桜も、誰にも気付かれなかった桜のことも、ひとつ残らず全部だ。
この世に咲くすべての桜の元に駆けつけて、等しくお祝いをしなくてはいけない。
決して取りこぼしのないようにと、上からきつく言われている。

夜な夜な小学校のフェンスの小さな扉から忍び込んだら、わたしたちは準備運動を始める。
グラウンドを何周もして、地面の白いチョークのしるしをうすくし、砂場を飛び越えて鉄棒につかまり、逆上がり補助具をぐるりと駆け上がる。

時間がないから急ごうって先頭から声がかかったら、はーいと返事をして、いざ出発の時だ。

いつか電車の吊革につかまって眺めていた窓の外の桜にも、今夜会いに行こう。


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