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イヤイヤしたときに思い出す、ジュリアナ園長の言葉

娘がスーパーで、これが絶対ほしいとなにか握りしめてガンとして動かなかったとき、思い出すことばがある。

それはまだ私がうら若き社会人一年目。
大学出たての娘っこだった私は、ある保育園に就職していた。
そこの園長先生。ジュリアナ世代の女性園長。明るい茶髪を二つ結びにして、目をカッと見開き、
「え、そのサンダルなに?」
と、初日の新人(私の同期)を指差すやいなや、その場を凍りつかせた、目力半端ない名物園長先生。
カラオケでは、率先してタオルを振り回し、みんなで熱唱。しかし、保護者の信頼は厚く、よく相談にのっているジュリアナ園長。

その園長含み全職員とそのお子さんもいれて親睦会があり、お弁当を囲んでいたときのことだ。

私の向かいには、主任の先生(保育園では園長の次にえらい人)。ジュリアナ園長と同い年ながら、いつも微笑みを称えている、癒しの主任。菩薩の主任。
園長が父なら、主任は母。そんなイメージ。

食事をしながら、園長先生が話しているのをみんなで聞いていた。
園長先生は連れてきていた小学生の娘さんが遊んでいるのを見ながら、その成長に目を細め、小さいときは大変だったなぁと言ったのだ。

「○○(娘さん)が、スーパーの床で大の字になったときは、もう置いて帰ろうかと思った」
と。

私はまだ結婚も遠い未来にあった頃で、先生方はみんなこどもの扱いがうまい(こどもを扱うというその考え方がもうダメなんだと今ならわかる)と思っていて、なかでもガッとこどもたちをまとめる園長先生が、娘さんにてこずっている姿が全く想像できなかった。
そこで、向かいの主任先生に思わず聞いた。
「保育園の子と、自分のお子さんは違いますか?」
そしたら、菩薩の主任先生は即座に
「ぜんぜん違うよー!!!!ぜんぜん!」
と、手をぶんぶん振りながら言ったのだ。

そういうもんかなー。なんて、そのときは思っただけだったけど、今ならわかる。

保育園の子達、なんであんなにいいこなんだろうとむしろ思う。イヤイヤは園でもあるし、ケンカもあるし、先生に甘えることもある。
でも、家庭の姿とはぜんぜん違うんだろうなと、今なら想像できる。

よく、何人もみて先生さすがプロですね、みたいに言われるが、もちろん、プロとしてのちょっとしたコツはあるけれども、基本的には集団と個ではこどもの動きはぜんぜん違う。
大人だってどんなに家庭的な会社でも、社内と家で顔がちがうように、こどもだって違う。
それはどっちが良いかとかではなく、保育園では、保育園の中で過ごしやすいように各々が自然と振る舞っているということなのだと思う。

人数が多いほうが大変だと、単純には言えない。

だから、面白いけど目力ひとつで職員が震え上がるような園長先生の娘さんだって、包容力の塊みたいな穏やか主任先生の娘さんだって、壮絶イヤイヤを家庭内で繰り広げる。

と思うと、うちごときがイヤイヤしない子を育てようとしたって百年早い。というか無理。むしろイヤイヤしてるのが正常(こどもの方の個人差はあって、性格でイヤイヤそんなにしない子もおります、もちろん。そんなときはラッキーって思って下さい)。

未購入の商品を握りしめて、上目使いの我が子を見るたび、園長先生のことばと主任先生との会話を思い出して、慰められている。

そして、今、ほんのすこーしだけど、何回かに一回だけど、いらないよーといわれて自分で考えて棚に返してくれるようになってきた。
あのイヤイヤの時期があったから、今、小さな成長がこんなに噛み締められる……と思うことにしよう。


ちなみに……一般的なお店でのイヤイヤって、お菓子などを離さないイメージあると思いますが……

娘がこれほしいと駄々をこねた中で最大のものは、2リットルぐらい??入った木工用ボンドだった。
そんな自分の体半分くらいのやつ、どっからひきずってきたの!

……どう考えてもいらん!!

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