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悩みから見る、ヌーソロジーと変換人型ゲシュタルトとタロットの関連性について

他のブログに載せていたものですが、こちらに移動します。
(一部加筆修正をおこなっております)


上記は思いつきのツイートですが、長くなったのでブログで忘備録的に補足を含めて書いていこうと思います。
元のツイートにあったサイトがこちらです。引用元のサイトになります。

人間の悩みはタロット恋人

まず人の悩みのお話です。

本音が言えない問題だったり、人目を気にし過ぎる問題だったり、孤独感を感じる問題だったり、 批判された時のことだったり、周囲のことでイライラしたり、嫉妬してしまったり・・・など、 ほとんど他者との人間関係から生じるものとなっています。

https://raimuspace.com/blog/2021/10/30/noosologyex-4/

人間の悩みですが、これはタロットカード6恋人に現れています。
タロットの絵柄を見ると、二人の女性に挟まれているどっちつかずの男性が描かれています。
そして他サイトへの寄稿ですが、数字の6について、こんなお話を書いた事があります。

外部に対して自己の反応を押し出すというよりも、外部と自己という反する二つの調和や調整を行っていく度数

https://hoshinoko-syotengai.blogspot.com/2022/09/number-6.html

要するに自分とは異なる存在である「他者側」が優位になって、その要望に応えたり調整をするのがタロットの恋人や数字の6のイメージです。

言い換えると自己と他者の関係性の中で生まれた事象に対し、自分の内情との摩擦が辛くなると「悩み」になるという感じですね。だから悩みを感じない人は、他者と自己の違いや優位性を感じていなかったり、感じていても、そういうものだと受け取っているのではないでしょうか。

タロット恋人や数字の6が表すのは、「自己と他者との違いが苦しく感じ始める」とか「苦しい状況だと感じている」段階です。

社会性はタロットの運命の輪

続いて社会性のルールについてです。

特に人間の社会は「こういう人が必ず優れてる」みたいに決められたルールってのがだいたいあるので、 その基準で「優」と「劣」があって、その優劣を気にする人がほとんどという感じになるわけです。 (例:お金が稼げるほど優れてる、学歴が高いほど優れてる、運動ができるほど優れてる、モテるほど優れてる、喧嘩が強いほど優れてる、より多くの仲間を作れるほど優れている、etc・・・)

社会性はタロット10の運命の輪に表されており、それは一つの輪の周期によって動いていると言えます。

因みに今の世の中は、土星の周期で動いており、約29年×3回=約87年のサイクルで、人間の寿命の目安とか社会性がこれ位ですねといった感じになっているそうです。

運命の輪のイラストをよく見れば、運命の輪のには取っ手が描かれており、これを持ったり、動かそうとする意識が11の力です。
つまり運命の輪を止めたり、逆回転させる方向性を自覚したものが、11の力のカードになります。

少し余談ですがスピリチュアルで言う全惑星の意識は、運命の輪の周期の全部経験して抱えるイメージでしょうか。

今は土星の意識なので、それ以外の周期の生き方を模索し、経験すると全惑星の意識となりますね。
これは土星以外の価値観で物事を捉える感覚と言って良いでしょう。
私の個人的な考察では惑星は「意識の層」なので、この辺りも考慮して良いかも知れません。

続けて元のブログのお話。

他者が決めた優劣」を気にし過ぎるほど、「優れた他者になりたい」という欲求から、本来の自分でない誰か(他者)になるような「他者化」が進んでしまいます。

恐らくですが、引用元のブログに書いてある「他者化」が運命の輪にどっぷりと浸る事になるかと思います。

タロットカードの運命の輪に「社会的な成功」という意味の占い的なニュアンスがあるのもその事を言っているのでしょう。
つまり社会成功は、他者や環境からの価値観で認められる側面があるとか、大きいと言う事です。

とは言え、運命の輪にどっぷり浸かる事は「悪い話」ではないですよ。
つまり「人間の経験」として一つの輪の中に入らないと、入る事そのものや、他にもある入れる輪の違い(惑星意識の違い)が分からないからです。

なのでタロット運命の輪の段階にあるポイントは、一つの輪(一つの価値観)に浸ったら、次の輪(次の価値観)入ってみよう!…になります。

言いかえると、社会的な成功や手応えを得たら、次は全く異なる価値観で捉えませんか?なので、ある意味で言えば「転落人生」を味わう事も含まれます。

この転落人生とは、土星的な意識には転落に見えますが、金星意識からすれば、なんて面白おかしな人生だ!といった経験になると言う感じです。

これを繰り返すうちに、物事の変化事態を一つの物差しで測って、良い事だとか、悪い事だを無くしてく作業で、多角的に物事を捉えていく感覚を育てるようなイメージになりますね。

今回のお話から少々ズレますが、下記のポストにも変化の事を書きました。

言い換えると、好し悪しなんて立場が変われば変わりますよって感じですね。そして再び引用元のブログ記事から抜粋です。

ヌーソロジーで言う「自我」は、どちらかというと他者化している意識のことを指しているので、 一般的な人間の自我もそういうものだと言えます。

この事から、ヌーソロジーの自我もタロットの運命の輪では無いか?と推察する事が出来ます。
数字の話で言えば、運命の輪の数字は10なので偶数の1(1+0)です。
この時の1の持つ方向性は、偶数なので内的(ヌーソロジーの外面)に向かう志向性で、そのための1で始まりも表します。

運命の輪にはまるとか浸かるとは、ある意味で自己への模索の最初の段階にもなるのです。
悩みのある人の方が、精神の方向性としては正常であると言えるかも知れません。

自己への回帰はタロットの力から始まる

逆回転を示唆するのは力のカード

では内的な方向、つまり本来の自己を見るにはどうすればいいのでしょうか。

そうした状況の中でも自分を見失いたくない場合、 本来の「自己」はその逆の方向性にあるため、 そっちに意識を向けなければなりません。

引用元に書いてある「逆の方向性」に意識を向けるカードがタロットでは11の力の段階です。いわゆる自己想起の最初の段階に入ります。

もちろんこれは、運命の輪の取っ手を自分の意志で動かす志向性で、今までとは逆側に回転させる意識を持つという事ですね。

自己想起は力から死神のカードまで

本来の自己を取りもどす作業は、自己想起で、その訓練は11の力から始まり、13の死神までで、何度も繰り返して行われます。

この繰り返し作業の中で、今の私は本来の自己では無いと言った観点から、余計な自我的な私を引きはがし、自己への再構築を行うイメージです。

つまり力のカードで逆回転が始まったら、いままで回転に乗っかっていた私は卒業しますよのイメージなので、あらたな自己(これが本来の自己)に興味を持ち始めますから、ある意味で私と新しい私のような二つの意識を捉えます。

そして12の吊られた男で、過去の価値観の引きはがしの模索を行い、13の死神で引きはがしの解体作業に入ります。

そして余計な自我を解体したら、再び11に戻り、スリムになった自己を改めて見直す…その繰り返しが永遠に続きます。

自我の確立の重要性

この引きはがしと再構築の段階が自己想起ですが、ある意味でこの段階は自我と自己の違いを見る訳ですから、自我の喪失も起こします。
いわゆる今まで生きて来た自我的な私の価値観の否定で、本質的な自己は与えられた価値観を持つ私とは違うのだといった感覚です。

だからこそ運命の輪でしっかり自我を確立した状態で無いと、本当に必要な自己的なアイデンティティを失う恐れもあります。

ヌーソロジーで言えば、自我極の位置が無い状態で自我の解体は出来ないといった事になるのではないかな?

だから取り戻す自己の位置を見失わない為に、現在の自分の位置をしっかり持つ事が重要になります。これが自我の持つ重要性。
いわゆる自分軸と呼ばれるもので、この位置から見失った自己を探すいわゆる拠点としての自我の位置です。
私は私だ~ですね。

このように自我の位置をしっかりと明確にした人だけが、力の段階に入れます。

言い換えると、タロット運命の輪までに作られた自分の価値観は、他者目線の価値観で形成されたもので、そんな自分の価値観(自我)は、私の本来の自己とは違うのではないかと考えて良いのです。

そしてそんな疑問から、他者の価値観と自分の価値観は異なるものだに入り、自分の視野で感じているものや見ているものから出来る価値観が、本質的な私を捉えるヒントになるはずだ…といった形で自己回帰への模索が可能になる訳です。

つまり未発達な自我での自己探求は、端的に言うと、遭難者を探すのに自分の戻る場所が分からないと、あなたも遭難しますよって感じです。

自我と自己との二重奏

タロットの力のカードの絵柄は、下半身が獣で上半身が人間(女性)の姿が描かれています。

2つの動物のイメージは、異なる2つの意識が肉体に内包するイメージです。
2つの意識の大元は、ヌーソロジーの他者と自己との関係性ではないかな?
と思います。
相方は異なる存在ですが、この関係性は永遠に離れないみたいなイメージかも知れません。

タロットの力のカードで言えば、二つの意識とは自我と自己の二重性を持つ段階を表しています。(タロットのみならず、自己他者を見るのはヌーソロジーだけなんじゃないかな?)

これはポストに書いたように「占いの獣を従えるニュアンスというより「獣と私は違います」という感覚でしょうか。」にあたります。
ここから先に進むと自我喪失からの自己形成の段階に入り、やがて「獣も私の一部です」という感覚まで行きます。

11力のカード以降の段階で重要な事は、自我と自己の見直しで、それは他者(今までの環境にそのもの)と今の私(自己を見出した私)と関係性の中で、また新たな自己を見出していく作業でもあります。

言い換えると、自己想起の始めの段階は2層の意識を捉える為にあって、その2つの意識は、私と自己は違うで、他者(自我を作り出した元)と自己(自己意識を見出した自我)は異なるものとして考え始めます。

言葉では端的に「自己」だと書きましたが、タロット11の最初に見出した自己は、環境によって作られた「自我意識」の要素が濃く、 そこから自我を解体し、再構築させた本来の自己を見出しますので、自我と自己との違いも徐々に分かり始めます。

ヌーソロジーの凄い所は、これを感覚では無く、思考で理解が出来るところですね。

自己想起から自己他者関係へ

自我と自己を同等に扱い始める悪魔のカード

さて。
タロットの世界では、次のカードが用意されていますから、どんどんと先に進みましょう。
タロットでは最終的には、自我と自己を同じ存在のように扱います。
ヌーソロジーで言えば等化になるのかな?違ってたらすみません。

タロットの自己想起はある意味で世界の終りまで永遠に続きます。
そして自我と自己が異なる存在であるとしたまま同等に扱う段階が、13の死神から15の悪魔の段階になります。

今までは11から13の段階で否定した自我があるから、本質的な自己が自我とは違うので分かるという感じでした。

それでも人間生きている限り、社会の要望や社会性の中で生きていきます。
だから地球上で暮らすには自我が必要で、自我あるから自己を見出す事が出来る。
そんな葛藤のような二重性を持ちながら、自我的な要求と自己的な要求の違いを見出して、すり合わせを行い続けます。

言い換えると自己を見る為には自我や環境、他者が必要だ。
そしてそこから見えた自己は環境でもまれる事で、更に本質的な自己を見出す事も出来る。
だとすればどちらも私にとっては必要なものである。
そんな感覚です。

更に言えば自我や他者があって初めて自己が成り立つ事でもあるので、「私」と言う自己の意識は自我と自己、他者と自己を見分ける事も出来るようになる訳です。

例えば見ているは、見る行為そのものですが、けっして全てが見えている訳ではありません。

見ると見えるは全く別の切り取られ方で、見る側は見えるを制限しているし、見たいものを制限している訳ですから、そう言った意味でも自分のバイアスで切り取る事無く、見るが見えると同じ範囲になるように馴染ませていく感覚とも言えるでしょう。

こうして自我と自己をすり合わせていく中で、他者(自我意識や環境の元)と自己の中でもすり合わせを無意識化で起こして行きます。

悪魔の次のタロットカードは16の塔で、塔のイラストのイメージは、今の環境や3次元空間(3次元時空)からの脱出のイメージです。

3次元時空の脱出は塔のカード

さて元の参考ブログから再び引用です。

「自身が今見ている三次元空間」をベースにしてロジカルに精神世界を捉えることで、 客観的に言える事象から全体像を掴んでいくことができるし、 論理的な知性を持った上でスピリチュアルな感性を掴んでいくこともできます。

引用元にあるように、こちらがヌーソロジーでの捉え方のようです。

このヌーソロジー的な4次元空間(既存の3次元時空とは異なる空間)へ行こうとする志向性が「4時限の後は給食」ですねというギャグに繋がるのかと。私はこのスタイルにとても惹かれています。

変換人型ゲシュタルトを正しく理解すると、 自身の意識の中でパズルのピースが当てはまるようにはっきりした感覚が出てくるはずです。 そして、そこまですると自己との接続が強まっていくわけです。

悩みの元の3次元時空からの脱出

更にヌーソロジーの構造が進むように、タロットも世界のカードまでは追いかける事が可能です。

3次元時空を脱出したら、17の星で開けた世界を見る事ができました。
ここでは自我の位置が仮の立ち位置となり、自己の位置から世界を見るイメージに変わります。そして18の月のカードで3つ目の意識を見出す事になります。
つまり自我と自己の統合です。
そして統合後の姿が19の太陽のカードの段階です。

自己統一は太陽のカード

太陽のカードには、中央の頭上の太陽。その下側に二人の子供が描かれています。
一方は普通の子供で物質的な存在。そしてしっぽの生えた子供がエーテル性の霊的(肉体を超えた精神的なの意味)な存在です。

タロットの太陽は、3次元時空を支える存在の太陽でもありますから、二人の子供が太陽の元で等しく活動する段階と言えます。
端的に言うと、身体(物質)と精神の二重性を持ちながら、どちらも否定しないで生きていくイメージです。

二人の子供は、対の存在を表す事も可能です。
精神世界と物質世界
精神と身体
死と生
自己側と他者側
本質的な自己と環境的な自我

そのような全く別の性質のものが、太陽の元(3次元時空の中)で仲良くやっている姿です。

だから、実は「精神世界」を理解することだけでなく、 「物質世界」を理解することも安定するものになっていきます。

ヌーソロジーの太陽の解釈とは違うかも知れませんが、タロットの太陽は地球の上側にあるイメージで、地球は太陽の庇護の元…というニュアンスがピッタリのような気がします。

スピリチュアルの方の言う、宇宙魂とか、スタピの方が、この地球スタイルに馴染むかどうかは分かりませんが、地球上での本当の成功を表すのは太陽のカードのような状態と言えるでしょう。

話を運命の輪に戻しますが、太陽のカードまで来ると、社会的な成功を表す運命の輪と、二重性を持った太陽の成功はかなり状態が異なるものだと感じられるはずです。
なので人生の向上とか上昇の為に焦る必要は無いし、下降や下に向かう事を侮蔑する必要もないのです。

このように太陽のカードの世界から見れば、二重性とかダブルスタンダードは当たり前で、その間のグラデーションが3次元時空の生き方ですといった見方も出来ます。

二極の区別はあってもいいし、むしろ物凄く違うの区別があるけれど、そこに優位性も好し悪しは別の世界観の話で、究極まで行くと、自己も他者も全く違うからそれで良いの世界で、違いを侮らない世界です。

私は太陽のカードの世界を二極化の尺度から離れて、中空に留まるような感覚だと思っています。
いわゆる自己と自我の統一した世界観が太陽のカードの世界という感じですね。

変換人型ゲシュタルトは、タロットの審判(復活)

さて、ヌーソロジーの言う「変換人型ゲシュタルト」とは、タロットで言う所の20の審判(復活)になると考えています。
復活ならば「死者の目覚め」でいわゆる「ヒト」になるという事かと。

審判後の世界は十牛図で言えば、10番目の図:入鄽垂手(にってんすいしゅ)であり、町に出て人の為に働く、行動するになります。

澄み切った穏やかな心のまま周りに花を咲かせるように生きていく、それらを無心に行う…の世界観ですね。

個人的に20のカードは復活より「審判」だと思っているので、町に戻ったらとか、変換人やヒトになったらどうするか?を考えていくのもポイントだと思います。

タロット審判(復活)のカードには、棺桶から青い人が蘇っている姿が描かれています。
これが要するに、ヒトへの復活の志向性を持った姿で、スピリチュアルで言えばアストラル域の自燈明の系譜にあたるという考え方です。

アストラル域の解釈は、動物的行動を伴うものでもあるので、「どうするか?」のような自主性や能動性をもって選択を行うスタイルの事と言えます。

タロットカードの世界を進み続けようとするのなら、螺旋状に世界を円環のまま進む事になるでしょう。
そしてその為には21の世界で一区切りさせる必要があります。

世界のカードは何を含み持つのか

タロットの21の世界のカードは、中空に浮いている人物が見えます。
これは太陽のカードで表れている事を内包している状態です。
つまり太陽そのもの…かも知れません。

そして世界のカードはこれを内包していますから、世界の行先を自分で決める審判の言葉も含み持つのではないでしょうか。

今回の記事の冒頭で、悩みとは「自己と他者との違いが苦しく感じ始める」とか「苦しい状況だと感じている」段階と書きました。

そして運命の輪の輪から悩みからの脱出を重ねて自己想起に向かいます。

たどり着いた場所は、19の太陽のカードの世界で、自己と他者の違いはそのままに、両方の活動を活発にさせていく世界です。
これは悩みを悩みとしない段階とも言えますし、それがあるから21の世界のカードへ進むと言えます。

上記のサムネイル画像は、左が審判(復活)のカードで、右が世界のカードです。

世界のカードの四方の獣や天使の姿は、3次元時空の4つの構成要素を表します。
ヌーソロジーでも4は重要な数字で、自己と他者と他者と自己の4の関係性を表します。

4つの構成要素の内に自分という存在があるとするならば…。
一体何が見えてくるのでしょうか。

残念ながらタロットは世界のカードで一応の区切りがつけられていますので、この先を知るにはヌーソロジーからひも解いて行く方がスムーズでしょうね。

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