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【マッサージフリークス】表現は自由だけどそれをハックするな。

現在、ネットで子どもが多く所持している家庭用ゲーム機ニンテンドースイッチにて、過度に性的なゲーム『マッサージフリークス』が話題になっている。
それについて賛否はたくさんあるが、ゼロとイチかであまりにも単純にモノを考えると分からなくなるのでちょっとまわりみちしたいと思う。

突然だが自分はテレビゲームが好きだ。その理由の1つには現実では時間やお金、場所など制限があるが、ゲームではバーチャルの空間で思いっきり自由を感じられるからだ。
確かに「カルト宗教の教義にのっとって犯罪を起こすゲーム」とか「幼女に強姦するゲーム」などあったら倫理的に問題があるだろう。
それでも現実ではできないことをすることでそこで考えられることもある。昔ゲームは白い目でみられたが、親の目から隠れて現実ではできないことをすることによって得られるものもあった。

今は恋愛格差の時代。女の子に合法的にマッサージできない人にもバーチャルでさせることで社会の欠落を埋めることができるかもしれない。

しかし、ここで問題となってくるのが、表現の自由どうこうよりもこの『マッサージフリークス』という固有名詞の広告で得られる印象だ。プレイしてもいないしやりたくないので合ってるか分からないが、表現の自由でなにかを表現して社会を豊かにしたいというより、児童もやるニンテンドースイッチでギリギリのエロに踏み込むことで一定の層にテキトーに売ろう、ぐらいな印象しか受けないということだ。

例えば『ときめきメモリアル』。有野課長の実況しか見たことガないのであってるか分からないが。ゲームはエンタメなのである程度ポルノというかちょっと汚いモノで快楽を与える要素も必要になることがある。美少女と恋愛するというゲームだが、このゲームは勉強したりスポーツを鍛えたりして能力を上げて(現実と同じかは分からないけど)「一緒に帰って噂されると恥ずかしいし」に代表されるように、ライトノベルのようになんもない人が急にモテるのではなく、恋愛にはこういうのが必要かもね、というシミュレーション要素が面白くて、とても良いゲームだ。

『マッサージフリークス』も「まだ仲良くないのに身体を触って女の子に嫌われる」だの「女の子の好感度によってマッサージの気持ちいい場所が変わる」だのそれなりのゲーム要素があればよいが、僕がちょっと見た印象だとそれが分からないということだ。
そんなんならツイッターの絵師があげてる肌は見せないけどちょっとエロい絵とか普通にエロゲで良いだろ、と。
買ってレビューするべきだが、その気も起きない。xboxゲームパスにあるならやるけど。

表現の自由は大切だが、それは社会の人の良識があってこそ保たれる。SNS社会になって、色々なものが可視化された結果、格差で余裕もなくなったし、疑心暗鬼になり分断が増えた。
安部首相も殺されたのに、いまだに政治に関わらずゲームやアニメの趣味で独身で過ごすのが素晴らしい大人だとか、反対に子どももやがてエッチになり汚い面も持って大人になるという現実を拒否する大人だとか。

たまに漫画の広告でいじめっこに仕返しする広告とか流れるが、社会の複雑性を理解せず、ゼロかイチかでなにかを押し付ける表現が増えれば、幼稚な表現と人間が増えれば、そりゃ表現は制限されるだろうな。

スイッチでエッチなゲームをやりたいなら桂正和氏がキャラクターデザインで主人公の女の子の尻のズボンのしわが謎の技術でリアルに動くアクションもかなり面白い『アストラルチェイン』をやってくれ。

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