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【DESIGNER INTERVIEW: HATRA 長見佳祐】CLOと描く、ファッションデザインと人間の未来

Tokyo新人デザイナーファッション大賞プロ部門に2019年度入賞、CREATORS TOKYOブランドの一員として活躍中のハトラ(HATRA)。デザイナーの長見佳祐さんはファッション3D CAD「CLO(クロ)」にいち早く取り組み、ヴァーチャルな表現や考えを、自身の活動に生かしています。意外に知られていない長見さんの今までと、ブランドのこれからを伺いました。

「ファッションに興味を持ったのは、高校生のときの友人の影響です。コレクション雑誌を見て、気にいったルックを模写していました。」

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ー長見さんは一見すると物静かで、言葉少なめな印象ですが、お話しをするととても熱いと感じていて。いつかしっかりとお話しを伺いたいと思っていました。今日はブランドのことだけでなく、個人的なこともお聞かせくださると嬉しいですが、今まで、そういった内容でインタビューを受けたことはありますか?

ちょうど現在発売中の『vanitas(ヴァニタス)』でインタビューをしていただきました。「ファッションとジェンダー」っていう特集で、編集委員の水野大二郎さん、蘆田裕史さんと。ハトラがもともとジェンダーフルイド(性別Genderと流動的なFluidをかけ合わせた言葉・直訳すると「流動的な性」の意味)や、ジェンダーニュートラルな表現をしていたので、それに絡めて。あと、そういったジェンダーを取り巻く環境が、今後、ヴァーチャルな次元でどう変わるのかっていう、まだ未知数なところで質問攻めにあい、大変でした(笑)。それ以外だと、インタビューは久しぶりですね。

ー今インタビューしたいリストに入ってるということは、時代の波に乗っている証拠だと感じますが。

乗ってる?波に?波には乗れてはいないです。作り手で、インタビューを受けたいって人、あまりいないんじゃないでしょうか。言葉にならない部分まで根掘り葉掘り聞かれると、それが踏み絵になってしまって、自分ができることが制限されるような気分になります。

ー未来のことを語るとそうなる可能性も高いですね。じゃあ、過去のことから行きましょう!起きたことは変えられないですよね?

僕、過去のことあまり聞かれないから。面白い話が出れば。

ーファッションに進もうと思ったきっかけは? 長見さんが進学された恵比寿のエスモードジャポン(以下、エスモード)には、パリ校に留学するコースがあるんですよね?

フランス人の先生が担任をされていて、彼のもとで1年学んだあと、パリに留学するっていうコースがありました。クラス全員が留学するわけでないんですけれど。2年次からパリ校で学べるというシステムでした(現在は3年次から留学)。

ーエスモードに行く前は?

広島の一般高校生でした。

ーファッションの道に進もうと思ったのはいつぐらいからですか?

そうですね、服飾専門学校に行こうと思ったのは、今思い返してもおしゃれな友人の影響から。彼と一緒に服を見たりすることが趣味になり始めたのが高校生の頃でした。服を着ることも好きだったんですけど、コレクション誌の存在も、彼の影響で知って。

ーどんな種類のコレクション雑誌を見ていたのですか?

『ギャッププレス』(Gap PRESS)とか『ファッションニュース』(FASHION NEWS)とかを見ていましたね。そして、それを描くようになったんです。

ー模写ですか? それは凄い!

美術部に所属していたので、ひたすらヴィクター&ロルフ(VIKTOR & ROLF)とか、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)とかを模写して描くっていうのをやっていて。それは役に立っていますね。当時は服作りというよりは、スタイルそのもの、むしろスタイリングの方に興味があって。最終的には、スタイリングというか、ファッションをトータルに表現できるような仕事がしたいと思っていました。

ー90年代後期から2000年代に入った頃ですね。スタイリストという職業が人気でした。

それはありますね。『メンズノンノ』(MEN'S NON-NO)だったり『ホットドックプレス』(Hot-Dog PRESS)が全盛の時で人気がありました。

ーそういった日本のファッション誌、とくにメンズ誌をたくさん読んでいましたか?

読んでたのは『メンズクラブ』(MEN'S CLUB)。全然流行ってはなかったんですけど。

ー確かに高校生にしては結構渋い選択ですね。

メンズウェア語録というか、語彙辞典みたいなのが載っていて、それを読むのが好きでした。

ーエスモードにしたのは、パリ留学が決め手ですか?

そうですね。

ー高校生の時にもう留学することを決めていたんですね。フランス語を勉強したりとか?

広島の日仏学院に通ってました。

ー晴れて上京して、恵比寿のエスモードジャポンでの1年はどうでしたか?

楽しかったですよ。行けて本当に良かったなと思っています。担任の先生が、デザイン担当とパターン担当といるんですけど、どちらの方も、今でもすごく尊敬しています。先生には恵まれた学校生活だったなと思います。

ーその時まで布に触ったことは?

高校生の時は、文化服装学院の『男性服』っていう、赤と白の表紙の教科書を見ていたんです。ブックオフで買って。(アトリエにあった本を手に)これですよ、僕が初めて型紙を引いて、服を作った本は。当時、端から端まで、食い入るように見てました。

ー素晴らしい。独学だったんですね!

やってましたね。好きだなと思って。でもそれでなんでスタイリストになろうと思ってたのか、今思うと謎ですが。

ー高校生ですからね。流行ってる仕事が好きになっちゃう気持ちも分かります。

でも入学して半年も経たないうちに、自分は全然向いてないなって思って。スタイリストってコミュニケーションの仕事だから、全く向いてない。ものづくりの方が向いてるってすぐに分かりました。

「パリでは本当に何百時間も立体裁断だけをする授業があって。ストイックな時間を過ごしました。その経験は確実に、現在の3D CADを始める動機になっています。」


ーそれで、ものづくりの方に進もうと、2年生のときに留学しますよね?そこで、マルティーヌ・シットボン(Martine Sitbon)とかアンヴァレリー・アッシュ(Anne Valerie Hash)といったブランドでインターンを経験されて。パリには何年いたのですか?

2006年から2010年までの約4年間です。2年生と3年生のコースなんですけど、日本の入学時期と半年ずつのずれがあるので、プラス1年。そしてその年に新設された4年目、マスターコースに進むことになりました。

ー優秀じゃないと行けないのかな? 何が一番評価されたと思いますか?

分からない...。それは分からないですよ。僕はパターン専攻だったんです。デザインは学ぶものではないだろうなと思って。街や生活から学ぶことはたくさんあったので、学業はデザインにおける「設計」に集中したい、それに時間を使いたいなと思って。ずっと、本当に何百時間も立体裁断だけをする授業があって。「ココ・シャネルと一緒に働いてました」みたいな先生がパターンの授業を担当してくださってトワルチェックを受け続けるんです。生徒はトワルを何反も買って、ひたすらトワルを組み続ける。

ー完璧な立体裁断の世界ですね。

立体でしたね。紙は使わない。ストイックな時間を過ごしました。その経験は確実に、現在の3D CADを始める動機になっています。

ー具体的に教えてください。立体裁断からどういう風に3Dの世界に繋がっていったのですか?

3D CAD「CLO(クロ)」(以下、CLO)の画面を見ていただくと分かるんですけど、右に2D(平面の製図)の画面があって、左に立体に起こされた服をアバターが着装した画面がある。あれは、立体裁断をしている時の感覚に非常に近いんです。立体裁断って、目の前では造形物を見ているけれど、同時に2Dの製図ではどうなっているのか、頭の中で展開図を予想しながら修正をするんですよね。2Dの世界は自分(の頭の中)にしか見えないから、周囲の人から見ると彫刻的な操作に見えるけれど、実際の自分の脳内ではCLOの画面と同じように、2Dと3Dが同時進行で作業を進めているんです。

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「CLO」の操作画面

ー確かに、その通りですね。自分の脳内では、すべての動作が同時進行です。

CLOを初めて見たとき、「この感覚だ」って、すぐ理解できました。

ー脳内で起きていることが可視化できた。

そうです。かつて特殊技能だと思われていたことの民主化というか。

ーちょっと話を戻しますが、パリでの生活はどうでしたか?どういう風に謳歌したかなと思って。感動したこととか。

普通に貧乏学生でした。謳歌するなんて感覚は正直18歳とかだと無いんですよ。地理歴史への予備知識が無いので、都市から降ってくる情報の厚みみたいなものは当時感じられなくて。それが良かったといえば良かった。学生は美術館の入場無料なので、ポンピドゥー・センターとか、散歩に行く感覚で利用してました。

ー学業で必死だったということですね?

ファッションウィークはすごく楽しかった。イベントとしても面白かったんですけど、その期間だけ街に少しフィルターがかかるというか。その一瞬だけ街が変わる感じっていうのは、記憶に残っている。いい思い出としてあるかもしれない。

ー2005、2006年だと、学生でも入ろうと思えば入れた、良い時代ですね。

ジョン・ガリアーノ(John Galliano)、マックイーン(Alexander McQueen)、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)、エディ・スリマン(Hedi Slimane)それぞれの最盛期だったかもしれませんね。

ーガリアーノも自身のブランドを持っていましたね。ショーを見に行ったりはしてましたか?

『MODEM』(モデム。ファッションウィーク中に無料で配布される、手帳サイズのガイドブック)で、分かるところはできるだけ行きました。様子を見ながら会場の外で待っていて、最後に入れてもらえることも多かった。

ー 一番印象的だったショーは?

2007春夏のパリコレクションで発表された、フセイン・チャラヤン(Hussein Chalayan)の『ワンハンドレッドアンドイレブン』というタイトルのショーが非常に印象的でした。機械仕掛けでドレスがいろいろ変化するんですが、最後には帽子に服が全部収まってしまったり。盛り上がり方が普通ではなくて、服と同時に時代も変わるという感触を会場全体が共有していました。あの瞬間に立ち会えてよかったと思います。

111年間の間に起こった政治的、社会的変化を含む様々な出来事に影響を受けながら、ファッションがどのように変還してきたかを探究している。

「ものを作っていく中で、徐々に自分の“手癖”っていうのが見えてきて。これはパーカっていうアイテムのカテゴリに、ひとつ整理ができるかもしれないっていうふうに気づいた。」


ー首席で卒業して日本に帰ってきてすぐの、2010年にハトラを設立しましたよね。

実は実家が東京に移っていた関係で、東京に戻る形になりました。

ー2011秋冬シーズンに初めての展示会を開催していますね。初期のブランドを代表するアイテムとして、パーカがあって。「ポータブルな空間としての衣服」という解説がされていますが、なぜパーカだったのですか? 何を考えてそれにしたのかが知りたいです。最初から特化したアイテムを打ち出すっていうのは、印象に残るし、覚えやすくていいなっていうのは感じていましたが。長見さんにとってパーカとは、どんな意味があったのですか?

最初から決まってはいなかったですよ。「パーカブランドを立ち上げます」みたいな、整ったスタートの仕方じゃなかった。本当にカオスから始まったので。しかもシーズン単位で発表するという形でもなく始めたんです。ものを作っていく中で、徐々に自分の“手癖”っていうのが見えてきて。これはパーカっていうカテゴリーの中に、ひとつ整理ができるかもしれないっていうふうに、半年から1年くらい活動してみて気づいたのだと思います。学生の時作っていたものの中にも、確かにパーカだったり、それに類似する要素が見受けられて。自分の癖を実践を通して再解釈したということだと思います。

ー個人史の再解釈から生まれたパーカというわけですね。

「居心地のいい服」はパーカと同時に掲げていて。例えば腕が上げやすいとか、走っても嵩張らないとか、そういう「運動を前提にした動きやすさ」だけじゃなくて、その場にいるとか、座っているとか、ただそれだけの状態を快適にすることが「精神的に自由な状態を生む」っていうことが、今の時代にはあるんじゃないかなって思って。ちょうどSNSの黎明期だったこともあって、そういったことが多分パーカに繋がっていると思う。

ーこちらはもう少し暗い印象の受け止め方をしていました。パーカを被ると耳が塞がれて個室感が出るというか、街中で被ると音がちょっと遮断されて、ひとりになれる安心感が持てて、それが時代にマッチしている感覚なのかな?と思っていました。

はたから見たらそうかもしれないけど、物理的な孤立と、精神的な独立感は別のものなので。それはやはり精神的な自由のためにやってたんですよね。孤独になるためのものではないです。

ーブランドをスタートして今年で10年が経ちました。ここ何シーズンかで、ぐっとモードにスライドしたと感じます。何か気持ちの変化があったのでしょうか?

そう見えることは否定しませんが、僕としては、変わらずやってきたという感覚が強くあります。きっかけがあったとすれば、2017年に開催された『ジャパノラマ(Japanorama: NEW VISION ON ART SINCE 1970)』という展覧会に選ばれたことでしょうか。フランス北東部のメッス(Metz)という街にある、ポンピドゥ・センター・メス(パリのポンピドゥ・センター姉妹館)で、長谷川祐子さん(現・金沢21世紀美術館第4代目館長)がキュレーションした、日本美術の展覧会です。

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『ジャパノラマ(Japanorama: NEW VISION ON ART SINCE 1970)』より

さらに遡ると、2012年に東京都現代美術館で開催された『Future Beauty 日本ファッションの未来性』という展覧会があって。その出展をきっかけにKCI(The Kyoto Costume Institute・公益財団法人 京都服飾文化研究財団)さんともご縁がうまれました。そこからより大きな流れの中で、「自分にできることは何なのか?」を考えるようになりました。

ー他人にカテゴライズされて初めて、自分の立ち位置に気づくということはありますよね。あるいは自分の見え方が整理できたり。選ばれたときは嬉しかったですか?

何かしらの視線が活動に向けられるというのは幸運なことです。

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ーハトラのルック写真で、モデルがヒールのある靴を履くようになったときが2017年くらい。だからちょうど、展覧会開催のタイミングと一致しますね。

パーカというアイテムをブランドのシグネチャーにして、そこから広げていくというスタンスをとっていたのが2016年くらいまでで、その頃はボトムスを作っていなかったんですよ。あっても1型ぐらい。そもそもシューズの印象がなかったのは、そのためです。徐々にブランドの認知度や規模が広がっていく中で、コンセプトをキープしたままで、いかに広いカテゴリーに枝を生やせるかっていうのがひとつのチャレンジになっていきました。

ーブランド立上げから7年目にして、トータルコーディネートを考える段階にきたというわけですね。贅沢といえば贅沢だけれど、そうやって一つ一つの疑問を解決していくやり方は長見さんらしいです。

スタイリングとしてブランドの解釈を提出すると、ユーザーからその応答だったり、解釈のズレ、あるいは予想もしない反応が返ってきます。その緊張感にブランドが追いついてきたというのはあるかもしれませんね。

「CLOというか、3Dモデリングツールに関しては、あくまで「創造性を豊かにする」という点に、僕は意味を感じています。」


ーその後、3D CAD「CLO」に出会いますよね? CLOに近づいてみようと思ったきっかけは?

CLOに関しては、ずっと前から気になっていたんです。でも決定的だったのは、水野大二郎さんや金森香さんといった方々が企画された『ファッションは更新できるのか?会議』実行委員会主催のセミクローズドなファッション学会で、当時、雑誌『WIRED』の編集長だった若林恵さんがゲストでいらしたときでした。話を伺う中で、ファッションの領域には、こういうソフトがあるよねと、若林さんが、CLOや姉妹ソフトのマーベラスデザイナーを紹介したんです。業界外からも語られるようになったかと、焦りを感じたのを覚えて、そのあとすぐに勉強を始めました。

ー色々なことが一気に繋がった瞬間ですね。

デジタル化に対する興味はもともとあったんです。2010年代に入って徐々に身の回りの物事がオンライン上に集約され、それをみんなで、より面白いものにしていくっていうムーブメントに素朴な憧れがあったんです。まだインスタグラムもない頃、物理的な服をデジタル空間に持っていったときに、いったい何ができるか全然イメージがつかなかった。雑誌の特集でも「ファッション×デジタル」と銘打ったところで、当時はクリエーションではなくて、マーケティングの話になっていましたから。あるいは生産背景とか、営業におけるデジタル化の話ばかりで。ファッションとデジタルの関係がそれだけのはずが無いし、それだとしたら全然面白くないと感じていました。

ー確かに、デザイン発想や創造性の段階での、デジタル利用の話では無かったですね。

そんな中で、これなら自分らしくアプローチして、他領域の人にも分かりやすく説明できるかなって思ったのが、CLOとの関係性の始まりです。

ーハトラにとって、あるいは長見さんにとって、CLOとの出会いから拡がる未来とか、どういう予感がしているのか、具体的な話をお聞きしたいです。

先ほどもお話したように、ファッションがデジタルを扱おうとすると、どうしても“効率化”とか“最適化”っていう方向に向かってしまいがちだと思うんです。ファッションは大きな産業ですし、製品ができるまでに関わる人が多いので、何か新しいツールを使おうとすると、それにどういうメリットがあるのか?としか捉えられないこともあると思うんですけれど。CLOというか、3Dモデリングツールに関しては、そういった側面もありつつ、あくまで「創造性を豊かにする」という点に、僕は意味を感じています。3DCGという新しい領域が単なる最適化便利ツールのような形で業界に浸透してしまうのは、業界にとってすごくリスキーだと思っています。

ーデザイナーの頭の中にしかないものが、より分かりやすく、スピーディに共有できたらいいっていうことですね。でも、デザイナーが発する言葉やムードみたいなものから生まれる、認識のズレが、時には面白いものに化けるっていう可能性は減りますよね?

僕は、ずるいって思います。それって、相手の気遣いとか努力に甘えているだけだから。もちろん偶然や誤配から生まれる創造性を否定しません。というか、より多くのトライ&エラーを可能にするのがデジタルの強みです。ただ本当にそれが必要な部分と、きっちり伝える部分とは切り分けて考えないと、誰かの負担に頼ることになります。3Dに関しては、実は持っている機能のすべてを使いこなす必要がなくて、多々あるツールの1%だけでも各々使えれば、さっき言ったみたいなイメージや情報のシェアができて、より創造的なアトリエが作られると確信しています。そのことは以前開催した授業でも、よく言っていて。必ずしも、CLOが持つ機能のすべてを使う必要はないんです。

ースマホでも、実は全ての機能を使っている人なんていませんものね。CLOについての講座を開催すると、どういう方が参加されるんですか?

コロナ前の話にはなってしまうんですけど、職種はかなり幅広いですね。ファッションを元々学んでるって方は全体の3割くらい。建築の方だったり、フィギュアを作ってますっていう方もいらっしゃいました。あとはCGとか映像系の方も。もともとデジタルに馴染みのある方々が多めではありますね。

ーファッションを勉強していない人でも、服を作る自由があってもいいのではないか?という考えが根底にあるんですね?

ミシンに向かうまでのハードルが高すぎますよね。

「今まで別業界だと思っていたけれど、3Dデータを介すれば、その人たち全員とコラボレーションができる。その状況そのものが3D技術の面白さをそのまま体現している。」


ーしつこくて申し訳ありませんが、CLOの基礎を講座で継続的に伝えていって、その後にどういう世界が拡がっていると思いますか?

おもしろい服を考える人が増えたらうれしいです。

ー以前から、ラボ、研究所を設立したいとおっしゃっていました。今もその気持ちは変わらないですか?

変わらないですね。最終目標なので。

ーおそらく、ファッションデザイナーがCLOを解説するという点や、ファッションデザイナーが実際に頭に描いたものをどう落とし込んでいくのかが垣間見れるという点に、ファッション以外の分野の人達は興味があるのでしょうね。

いろんな専門性を持った人が集まること自体が面白くて。作業台とミシンを用意して、布を買って、さあ服を作りますって大変ですよね。CLOの講座には、これまで裁ちばさみにも触れたことないような方も軽い気持ちで参加してくれるんです。別の業界だと思っていた人と、3Dデータを経由して一緒に作品が作れる。講座の状況そのものが3D技術の面白さをそのまま体現していると思いました。

ー3Dを通して、長見さんが最終的にしたいことは何なのでしょうか?

自分の中で、驚きとか好奇心が生まれ続ける環境であれば、それが一番良い状態だと思っていて。つまりは、作り続けること自体が目標であってそれで何をしたいかっていうのは、むしろ手段に過ぎません。場所や機材や、3DCGに対する知識が繋がって、より大きなサプライズが日々の生活にあるっていうのが今目指すところです。

長見佳祐 Keisuke Nagami
1987年広島生まれ。2006年に渡仏、クチュール技術・立体裁断を学ぶ。2010年にHATRAを設立。「部屋」のような居心地を外に持ち出せる、ポータブルな空間としての衣服を提案する。2016年 (株)波取を設立。現在、ファッション3D CAD「CLO」の応用を通し、新しい身体表現の在り方を模索している。2018年度 JFLF AWARD受賞、2019年度 Tokyo新人ファッションデザイナー大賞プロ部門入賞。

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