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怪談『牡丹灯籠』―圓朝作の特徴について考えてみた


はじめに

カランコロン…と下駄を鳴らし、女中に牡丹の花の模様のついた灯籠を持たせて、夜毎恋しい男の元を訪れる幽霊――。

怪談『牡丹灯籠』は、落語・講談・歌舞伎・映画などに幅広く取り上げられ、三大怪談にも数えられる有名な怪談噺である。中国は明の時代に作られた「牡丹灯記」(『剪灯新話』所載)を原典とし、江戸時代には浅井了意により京都を舞台にした「牡丹灯籠」として翻案された(『伽婢子』所載)。その後、様々に翻案・改作される中で、人口に膾炙する有名な怪談に成長していったといえるだろう。

現在、落語・講談として口演されるストーリーの基本的なところは、そのほとんどが三遊亭圓朝『怪談牡丹灯籠』の速記本(明治17年)に依る。歌舞伎では、この圓朝の落語を原作として、明治25年(1892)に三世河竹新七の脚色により歌舞伎座で上演された。なお、現在の歌舞伎で『牡丹灯籠』として上演されるのは、昭和49年(1974)年に劇作家の大西信行氏が文学座のために書き下ろした脚本に依るものである。

因果因縁に依らない怪異譚

圓朝の『怪談牡丹灯籠』は、浅井了意の「牡丹灯籠」をベースとしながらも、怪異を主旨としない壮大な物語へとリメイクされている。本作においては、その題名とは裏腹に、お露新三郎の怪談はサイドストーリーに過ぎない。全体を貫くのは、お露の父・飯島平左衛門の過去の悪事(殺し)と、平左衛門に殺された男の息子による仇討ち物語であり、そこに、お露新三郎の悲恋怪異譚・伴蔵お峰、および、お国源治郎の破滅譚が複雑に絡み合っていく構造となっている。

そのためか、お露新三郎を巡って起こる怪異や悲劇の数々については、明確な因果因縁が示されない。伝統的な怪談・怪異譚においては、因果因縁は怪異を引き起こす最大のトリガーである。殺した女性の幽霊に苦しめられ破滅するもの(四谷怪談、皿屋敷、等)、悪事の因果が子々孫々の代まで報いるもの(累もの、佐賀怪猫伝、等)など、起こる怪異と怪異の被害を受ける人物との間には、明確な因果関係がある。つまり、怪異は必然的に起こるものであり、被害を受ける側も、ある意味納得づくでその怪異に巻き込まれてゆく。従って、読み手からしても「(自分が・親が・祖先が)あんなことをしたのだから、幽霊に苦しめられたり取り殺されたりしても仕方がないよね」と納得できる仕立てになっている場合が多い。

ところが、圓朝の『怪談牡丹灯籠』で展開されるのは、こうした因果因縁に依らない怪異譚である。まず、新三郎とお露がここまで惹かれあった直接的な要因が描かれない。因果因縁による物語の場合、悲劇的な結末を迎える男女は、たいてい前世もしくは親の代に何らかの因縁がある。たとえば『真景累ヶ淵』なら、深見新五郎とお園、新吉と豊志賀はそれぞれ恋仲となりやがて破滅していくが、新五郎/新吉の父・深見新左衛門は、お園/豊志賀の父・皆川宗悦を理不尽に殺害した過去がある。それぞれが惹かれ合うのは、まぎれもなく親の因縁の導きである。一方、お露・新三郎の場合、良石和尚の言葉によって「逃れがたい悪因縁」とは語られるものの、それがどのような悪因縁かまでは説明されないため、二人の出会いに必然性を見出せない点が特徴的である。

また、お露の幽霊が新三郎を取り殺した理由も実はよく分からない。もっとも、この点に関しては、後に種明かしが行われて、「お露の幽霊は新三郎を取り殺していなかった」ことが明らかになるのだが、少なくともお札はがしの場面まで読み進めてきた読者にとっては、「新三郎を取り殺したのはお露の幽霊だ」と思えるような筋立て・仕組みになっている。しかしながら、お露が新三郎を取り殺すだけの説得的な理由が語られないために、読み手にはどうにも釈然としない思いが残される。恋しさが募りに募って冥界に連れ去ったのか、あるいはお札によって来訪を拒まれたことへの恨みから殺したのか、様々に想像はできるものの、圓朝の原作では、そのあたりが実に巧妙にぼかされている。

このように、お露新三郎譚における「因果関係の曖昧さ」は、他の怪談のパターンと比べても特異だといえるのだが、その特異性は、原典(『剪灯新話』)と比較してもより明確になる。

原典「牡丹燈記」との比較

まずは「牡丹燈記」のあらすじを示しておこう。

主人公の喬生は、少し前に愛妻を失い、気の晴れぬ日々を送っている。今日は元宵節。人々は色とりどりの灯籠を掲げながら、楽しげに大路を行き来している。喬生は門前に佇み、その様子をぼんやりと眺めている。すると、ふいに目の前を、亡き妻に似た女性が、お付きの少女を連れて通りかかった。喬生がついふらふらと女性の後を付けていくと、女性が振り返ってほほえみ、声を掛けてきた。喬生は渡りに舟とばかりに女性を家に誘い、二人はそのまま一夜の契を結ぶ。女性の名は麗卿といい、湖心寺の辺りに住まいしていると話した。その後麗卿は、夜毎に喬生の家にやってくるようになった。

しかしあるとき、隣家の老人が喬生の家を覗き見ると、女性は髑髏であった。驚いた老人が喬生を諭し、湖心寺へ行かせてみると、果たしてそこには麗卿の棺があった。寺の法師に魔除けのお札を画いてもらい、家に貼ると幽霊は現れなくなった。一月ほどして、気の緩んだ喬生は、友人宅からの帰りに湖心寺の近くを通ってしまう。麗卿の幽霊に半ば無理矢理に寺の中へ引き入れられ、遂には棺の中に引きずり込まれて絶命する。
(※その後、悪霊と化した三人が道人に懲らしめられる話が続くが、割愛)

(『剪灯新話』)

一読して分かることは、喬生と麗卿の出会いには、両者の「恋を求める心」が大きく影響しているという点だ。喬生は妻を無くした悲しみから立ち直れず、つい亡き妻に似た面影を持つ麗卿(の幽霊)に惹かれてしまった。一方、麗卿のほうも、若くして亡くなり恋愛も結婚も叶わぬままの我が身を受け入れられず、死後もなお相手を求めて彷徨っていた。亡き妻を求める喬生の心と、男性を求める麗卿の心とが、皮肉にも引き合ってしまったという構図が明確に示されている。

また、割愛した部分であるが、麗卿の自白の言葉の中に、喬生との出会いは「冤家」(前世からの宿縁)であるという一節がある。現世の夫婦は前世の因縁によって決められたという仏教的な考え方をベースに、二人は離れがたい宿縁のもとに引き合わされたとされるのである。

このように、原典においても、男女が出会い起こる悲劇の裏には、両者の内的欲求や前世からの因縁が絡んでいることが明示されている。

人為的に引き起こされる悲劇

さて、圓朝作品におけるお露新三郎の怪異譚が、因果因縁や内的欲求に依らないものとして構築されているのだとすれば、二人の出会いから新三郎の死までの一連の出来事は、いったい何によって引き起こされるのか。そういった視点から読み返してみると、これらの出来事はすべて、周囲の人間の企みによって――つまり人為的に引き起こされていることに気付かされる。

まず、お露と新三郎との出会いは、飯島家に出入りする幇間医者・山本志丈の手引きによるものである。新三郎は独り身、世間的には妻を娶る年齢ではあるが、本人は特に気にすることもなく、女性に興味を示なさい。お露のほうも、父の後妻のお国と折り合いが悪く、柳島の別宅で鬱々と過ごしているところに、思いがけず新三郎を紹介されたというだけのことで、特に自らに恋を求める気持ちがあったわけではない。この設定は、原典「牡丹灯記」と大きく異なる点であろう。そんな二人を、志丈がお節介にも引き合わせたところから、事が起こるのである。

ただ、二人が出会ったことが即、怪異譚につながるわけではもちろんない。その後、もしも二人が定期的に逢うことが出来ていれば、お露は焦がれ死にすることもなく、二人の仲は円満に育まれ、何のことはないハッピーエンドに収まったであろう。しかし実際は、仲立ちをした山本志丈が、初対面時から約五ヶ月もの間、再び二人を引き合わせることもなく放置したことによって、お露は焦がれ死にをしてしまうことになる。今のように手軽な連絡手段のない時代、恋の成就には仲立ち者の役割がことのほか重大であったにも拘わらず、志丈は、「お露と新三郎を引き合わせたことが、お露の父・飯島平左衛門にバレたらお手討ちになるのでは」と杞憂を起こし、五ヶ月もの間、故意になりをひそめていたのである。つまり、お露の死(=お露が幽霊となる)の原因を作ったのも、山本志丈という「人間」であるといえるのだ。

そして最終的に、新三郎を死に追いやったのも、他ならぬ「人間」である。お露の幽霊の来訪を阻む手段(お札・海音如来像)は、すでに良石和尚によって施されており、新三郎は真面目にその教えを守って実行していた。そのままいけば、順調に幽霊を遠ざけることができたにも拘わらず、伴蔵・お峰が幽霊と取引をしてお札をはがしてしまったがために、再び幽霊を家の中に招き入れることになってしまったのである。

しかし。

幽霊が再び家の中に入っただけでは、実は新三郎は死なずに済んだ。確かに、先述したとおり、お札はがしの場面を読む限りでは、読者の目には、「新三郎はお露の幽霊に取り殺された」ものと映る。しかしその認識は、後の場面で大いに覆されることになる。その場面を原文で示そう。

伴「実は幽霊に頼まれたと云うのも、萩原様のあゝ云う怪しい姿で死んだというのも、いろ/\訳があって皆私が拵らえた事、というのは私が萩原様の肋を蹴って殺して置いて、こっそりと新幡随院の墓場へ忍び、新塚を掘起し、骸骨を取出し、持帰って萩原の床の中へ並べて置き、怪しい死にざまに見せかけて白翁堂の老爺をば一ぺい欺め込こみ、又海音如来の御守もまんまと首尾好よく盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それから己が色々と法螺を吹いて近所の者を怖がらせ、皆あちこちへ引越したを好いしおにして、己も亦またおみねを連れ、百両の金を掴んで此の土地へ引込んで今の身の上…(後略)」

(三遊亭圓朝『怪談牡丹灯籠』第九編第十八回)

ここに来て、新三郎を殺したのはお露の幽霊ではなく、他ならぬ伴蔵であったことが判明するのである。伴蔵は、自身の浮気による揉め事が元で、女房のお峰を殺害するが、その後、下女に乗り移ったお峰の霊に苦しめられる中で、幽霊から金を受け取ってお札をはがしたのも、新三郎が死んだのも、「皆な私が拵へた事」だと白状する。伴蔵は新三郎を蹴殺し、わざわざお露の髑髏を掘り起こして床に並べ、新三郎の死は幽霊の仕業であるかのように見せかける細工まで行ったという。つまりこの一連の物語では、幽霊こそ登場するものの、幽霊による祟りや殺しは一切描かれていなかったということになる。その意味で、前述したスタンダードな怪談・怪異譚の枠組から大きく逸脱するものであるといえる。

対照的な人物像――お露と伴蔵

お露の幽霊は、新三郎を取り殺してはいなかった。

圓朝作におけるお露は、まこと純粋で清らかな恋心を最後まで持ち続けた幽霊だといえる。もちろんその恋情の激しさは常軌を逸するものではあるのだが、恋情が怨みへと替わった様子はみられない。対比的に示すならば、『雨月物語』の「吉備津の釜」における幽霊(磯良)は、明確に男(正太郎)を取り殺すために、毎晩男の家を訪れ、お札に阻まれてさらに怨みを募らせる。それに対してお露の幽霊は、お札を貼られ訪問を拒まれてなお、新三郎に対する恨みの気持ちを持つことなく、ただただ逢いたい恋しいと通い続ける。お露のけなげさを思うと、もはやこれは怪談ではなく、悲恋譚と位置づけるべきであるとさえ思えてくる。周りの心無い大人達に翻弄され、まっとうな形で恋を成就させることが叶わなかったにも拘わらず、誰をも怨まず殺さず、お露の幽霊はいつのまにか、物語の中から消えてしまう。

純粋無垢なお露と対照的に浮き彫りになるのは、悪と欲に塗れた伴蔵の姿である。最初こそお露とお米の幽霊に怯え戦いていたが、やがて金欲しさに幽霊と取引するほどの強かさを発揮する。金無垢の海音如来像を盗んで隠し、新三郎を裏切ってお札を剥がし、新三郎を蹴殺し、さらにはお峰を殺し、山本志丈を殺す。小心者に見えつつ胆力があり、成功体験を繰り返すごとに、より自己中心的で大胆な悪事を働くようになっていく。

伴蔵は、自分の利益・保身のために新三郎を殺しただけでなく、その罪をお露になつりつけた。幽霊とはいえ、お露側からしてみれば、新三郎殺しの汚名を着せられた上、ありもしない噂を流されるというのは、純粋な恋心を踏みにじる許しがたい仕打ちではないだろうか。お露の純粋さによって、幽霊まで手玉に取る狡猾老獪な伴蔵の姿がよりいっそう際立つように思われる。

幽霊に翻弄される人間の姿を描くのが従来の怪異譚の型であるとするなら、圓朝の『怪談牡丹灯籠』で描かれるのは、むしろ、「人間に翻弄にされる幽霊の姿」であるといえるのかもしれない。

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