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With all my love,

運ゲーほど楽しいものはない。私は麻雀が運ゲーで或ることが好きだ。こんな残酷なことがわかりきったゲームに夢中になる人が好きだ。

どれだけ考えてもどれだけ理論上の最適解を選んだとしても、最終的な回答はすべて運で決まるなんて、こんなにハードなゲームはない。理論上の最適解は、必ずしもその日のその時の当たりとは限らない、しかし結果論での正解を引かなければ結果はついてこない。それでもなるべく、少しでも、結果論の正解を引く割合を高めるために理論上の正解を選べることが強さで――それが麻雀のおもしろさだと私は思う。

そんなさっぱり言うことを聞いてくれない恋人のような存在を選んで生業としていくことを選んだ人達って言葉を選ばなければ、狂っている。それでもそんなゲームに全力で向き合って少しでも勝利の可能性を引き上げる、そんな作業を怠らない麻雀プロが好きだ。だからこそどうしようもなく予想のつかない運と戦って、ねじ伏せて、時には味方につけて勝ちを得る、あるいはどうしようもなく不幸が耐える、そういう試合が大好きだ。麻雀という気がする。

そして、私は自分にはどうしようもできない運というものと戦う推しが好きだ、出来れば全ての対局において我が推しだけに最高のツモと配牌とすべての祝福が降り注いでほしい。絶対に不可能であるけれど、掴んだチャンスをすべて物にしてほしいから。私はいつも推しの選択がすべて結果論の正解になることを願っている、たとえ理論上の最適解ではなかったとしても。私は推しが選んだ理論上の最適解が多くの人の目に止まって褒められてほしいと思う、たとえ結果的には勝ちには届かなかったとしても!推しに特大の素晴らしい愛すべき運が降り注ぐように、そろそろ私は麻雀の神と輪廻の先まで添い遂げたい。

そんな不確定で努力が必ずしも報われないゲームだから、任意の麻雀プロが日の目を見る日が来るかどうかもまた、多分に運であると思う。勿論、強いと言われる人にはきっと放っといてもいつか"その日"が来るのだろう。しかし、麻雀の勝利は手にした運を最大限活かすことで、あるいはどうしようもない不運を最小限で切り抜けることで得られるだろうから、どんなに強い人でも運を切り離すことはできないはずだ。

でも、来るかもわからない"その日"をどういう状態で迎えるか。それだけは本人の力で変えられる。だから、私は浅井堂岐プロが好きだ。来るかも確定していない未来を見据えて、努力ができる方だから。数年前まだA2リーガーだったときに沢山勝って、来年A1に上がれる可能性が高くなったからYouTubeを始めたという話を聞くたびに、尊敬の念がやまない。たしかにA1に上がれば、雀王になれる可能性が生まれる、もしかしたらすぐ雀王になりMリーガーへのステップに足をかけるかもしれない。しかし、A1リーガーがかならず雀王になれるわけじゃない。あくまでその可能性があるだけでしかないのに、いつかその瞬間が訪れたときに全力を出せるように前々から土台を整えられるというのは、発想も行動力も並大抵のことではないと思う。

そして本当に一年で運も味方につけて雀王を取るのだから、先見の明にもほどがある。一年で取ったから先見の明と言いたくなるけれど、確定していないもののために準備をしておけるその胆力が好きだ、本当に。今でも日々練習して、強くなって、知名度を上げてすべての準備をし続けているのを私は画面の向こうで見ているから。全世界の人間の努力の中で、推しの努力が特段報われてほしい。実力だけじゃ届かない最後の一押しの運を、どうか。世界一の祝福が訪れるよう、私が麻雀の神様に布教してくるので。





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