文字数の割には、全然中身のない話

3324文字

いつもの時間

 6:20分に玄関を出て、エレベーター扉の右袖にある、下矢印のボタンを押す。1分も経たないうちに、エレベーター扉のローラーの音がして、縦長の網入りガラスの入った二枚引戸が、左側の壁に飲み込まれ、エレベーターが口をける。
 敷居レールを踏まないように、二歩目を大股で中に入る。左袖にある、エレベーター内の操作盤に体を向け、1を押して、閉じる矢印のボタンを押し、扉のローラー音がして、少し体が軽くなる。
 床が上に上がっていくのを、何回か確認する。足に徐々に体重がかかり停止する。扉は静かに壁に飲み込まれ、口を開けたエレベーター入口をくぐり、カビ臭いエントランスホールを抜け、両開き框戸の右扉の押し棒を、手のひらをあてて、体重を乗せて押す。
 タイル貼りの通路を抜け、急こう配で、輪っか状のすべり止めのついたコンクリートの道を、重力に逆らわず小股の早足で下り、左に私鉄の線路を見ながら、少し右にカーブした線路脇の道を歩く。
 しばらく行くと左側にある、十二・三段の階段を下りて、小道に合流する。左に5・6メートルのところにある、私鉄の低い高架をくぐり、入り組んだ民家と少し広めの駐車場の脇を抜け、バス通りに出る。
 バス通りを左に進み、何件かのアパート、駐車場、石材屋、葬儀屋を過ぎ、JRの高架をくぐり、短い商店街の端から駅前へ歩を進める。
 狭い駅前のバス停付近、バスの乗降客と混ざりながら、2階の私鉄改札への階段を上る。

 上がりきると、右手にスーパーがあり、左手には小さなコンビニ、その並びに私鉄の改札があり、その先に券売機がある。
 まっすぐ行くと反対の出口階段、その手前を左へ曲がり、また左へ戻る形で、私鉄のもう一方の改札があり、右にはJRの改札へ続く階段と隣にエスカレーターがある。

 JRを利用している私は、3階にあるJRの改札を目指し、階段とエスカレーターの方へ進む。私は自他共に認める、エスカレーター中毒者である。

(※エスカレーター中毒者とは、階段は普通に上り下り出来るが、立っていれば勝手に進むエスカレーターが、やめられなくなった人のこと。階段があるところでは、必ず両端を見渡しエスカレーターの有無を、確認してしまう人のこと。別に悪いわけではない。ただ、健康上の問題を引き起こす一因であるかもしれない。まぁ、階段を使わないくらいで、運動不足になるとは、思わないが。)

 今日はいつも通り、私鉄とJRへ乗り継ぐ人が、いないタイミングだったので、迷わず奥側にあるエスカレーターを目指す。エスカレーター中毒者としては気分が良い。スムーズだ。無意識に鼻歌を歌いだしそうだ。
 ここを気分よく通れるかどうかは、その日の調子に少しではあるが、影響がある?ような気がする。

 たまに、JRと私鉄の乗り継ぎのタイミングに遭遇すると、人の波に翻弄され、奥にあるエスカレーターにたどり着くのが困難になる。その時は、ぜぇぜぇと呼吸音を響かせ、腿のだるさを感じながら、階段を上がるしかない。
 そして、私鉄側からの乗り換えに遭遇した時は、試練の時を迎える。
 私鉄からの乗り換えは、改札からエスカレーターの距離が、さほど離れていないため、この駅から途中参加の私は、私鉄方面からのエスカレーター希望者の列の間に割って入る、いわゆる横入り(この時手は軽く上げる)をして、かつ、全くそんなこと気にしていない、みたいな感じの対応をするスキルが必須となる。この瞬間ストレスが最高潮に達する。考えただけでも気分は最悪だ。

 エスカレーターで改札階に着く頃、右上の天井からぶら下がる、緑の文字盤の時計をちらっと見る。6:45分にならないくらい。このタイミングだと、6:43分発の電車を降りた集団の波が、ちょうど改札でピークになる頃だ。
 下車した集団は、右側の出口改札なだれ込み、私鉄改札方面へ足を速める。たまに左側の改札の有効性に気付いた流れが、ホームへ向かう人の流れを細くするのである。
 集団の波を横に見ながら、改札を「ピッ」と鳴らし少し先にある、ホームへ階段を下っていく。

 惜しいことに、この時間ホームに向かう下りのエスカレーターは使えない。残念だ。

 階段は下り線方向に降りている。
 右が上りホームで、左が下りホームだ。
 ホームに着くと、左へ曲がり階段脇を回り込んで、上り方向へ向かい、階段の下を通って、上り線の先頭車両付近を目指して歩く。

 いつも私は、上り電車を利用していて、先頭車両の3番目の入り口右側で待つことにしている。特に理由はないが、なんとなくしっくりくる場所だったのだろう。

 もちろん、今日もそのつもりで、その方向に目を向けた。

 しかし、今日は景色がいつもと違う。いつも私が立っている場所に誰かが立っている。
 身なりもきちんとしたスーツ姿で、さわやかな感じの青年が立っているのだ。
 私はぎゅっとつま先に力込め、歩みを止めた。

 さてどこにしようか。

と頭内の前のほうで、文字が左に流れる。
階段の脇から先頭車両の入口まで、人の具合を確認する。

 そんなに人が居るわけではない。

 私は、ほんの数秒前までの、好調な気分とは一転し、急激に気分がモヤモヤしてきた。そこまでがスムーズ過ぎたために、落胆を動揺をうまく抑えられない。同時にいびつな感情が、湧いてくる。

 なぜ今日に限って、あいつはあそこに立っているんだ。俺のスムーズな朝を返せ。
 いったい奴は何者なんだ。
 違う時間帯の常連で、今日は早出か何かで、たまたまここに居合わせたのか。全くの新参者なのか。はたまた、定期的に乗り場を変える、乗り場ハンターなのか。
 こんなに空いているのに、よりによって、なんでそこにしたんだ。
と、乗車待ちの位置ぐらいで、一人であれやこれや、人には見えない興奮をしてしまったのだ。

 冷静になれ。

 頭内の真上で、左へ文字が流れる。
 私は、おもむろに、誰も立っていない、いつもの立ち位置のドアを挟んで、左側で待つことにした。
 さっきまで調子が良かったせいで、いつもと大きく違うことをするのが、なんとなく嫌だった。ホームドアを見て、視線を上げる。

 こっちは、なかなか景色がいい。

 今まで気づかなかったが、この位置は、線路越しの見通しがいい。
 いつものところは、建物の位置関係で、視界の半分は建物で、あまり見通しが良いとは言えないが、こっちは建物が少し右に寄る関係で、少しの違いではあるが、見通しが、かなりよく感じる。なんか知らんが、曇った気持ちが消えている。

 景色を眺めながら、思いを巡らせた。
 実は、私も彼と同じことをしていたのかもしれない。
 一番最初は思いつくままに、どこか違う入り口のあたりに立っていた。
 何度か乗るうちに、どのあたりが自分的にちょうどいいのか、という観点で乗る位置を決めていた。
 ある日私は、前日までに感じ、収集した情報と感情をもとに、最近よく使っている入口付近で、待つことにしただけだ。

 私は気づいていないが、実はそこは昨日まで、違う人が待っていたのかもしれない。

 一呼吸置き、もう一度考えると、さっきのイライラと落胆、そして彼を敵視する気持ちが、少し恥ずかしくなってきた。
それにいい景色にも出会えた。

 そしてまたこんなことも考えた。
 もしかしたら彼も、このモヤモヤを、数分前に味わったのではないか。そして、移動してきた先が、私の、いや勝手に私が決めた定位置で、きっと彼も同じような境遇だったのかもしれない。そして彼の定位置を奪った人も、実は誰かに、自分勝手な定位置を奪われたのかもしれない。そんな連鎖が、どこまでも続いているのかもしれない。朝モヤの連鎖。
 
 じゃあ、定位置なんて決めなければいい。

と思えるほど、さっき抱いたゆがんだ感情は消え去っていた。

 そして、翌日私は、同じようにエスカレーターに乗り、改札を通り、いつもの場所へ向かったのだが、昨日の彼が、同じところに立っているのを見て、昨日とは違うモヤモヤを感じ、眉間に皺がよったのを、一瞬感じたのである。
 明日は何時に家を出ようか。

 昨日は昨日、今日は今日だ。
 人間は共存がテーマだ。

終わり

2024.03.01 さね


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