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稲荷参り

散歩をしていると少し雨が降ってきた。
日が暮れた午後七時前。都会でもないこの場所は外を歩く人も居ない。

私ひとりで車道をふらふらと歩く。
道の真ん中を歩くほどの勇気はなく、中途半端に歩道から車道の幅の三分の一ほどのところを歩く。

さっきまで曇りだった灰色の道はまた少し黒く滲み始めて、夜の訪れとともに闇になる。防犯灯に照らされてないところは躓くかもしれない。

歩けば歩くほど雨は強くなってくる。あいにく手ぶらで傘を持っていないので頭に雨粒を浴びながらの帰り道。雨に濡れた髪は普段風でなびくのがウソであるかのように肌にピタリとついて離れない。雨に濡れた日は気分が下がる。

雨が降ってきたから帰り始めたけれど、本当は川の近くの開けた場所でもう少し風を浴びていたかった。
雨のせいで十分に心が落ち着いていない。このまま帰るのも憂鬱。
しかたなく家に向かっているとき、たくさんの木で雨が弱くなっている神社の境内に入ってみた。
特別私が心の頼りにすることはない神様が祭られているところ。頼らなくても誠意は見せておかなきゃ罰当たり。祈ったりして、悩みを考えなくてよくなるのは人間にとって必要だからね。
今は悩みを置いていかなくても、常にだれでも悩みを置いていける場所があるってことがみんなの心の支えになる。こう見ると私もどうやら神社に頼って生きているらしい。日本人の心ってものかな。

手水舎くらいまで来たけれど、とくにすることもない。このままここにいても雨に濡れるだけだが、もう少し散歩したいとも思うので結局すこしづつしか歩かない。

ふと本殿の隣にある稲荷が気になった。
電気で点く行燈に照らされることもなければ、鈴緒の根本近くに蛍光灯があるわけでもない。ただその暗さに魅かれて鳥居に近づく。

鳥居の前に来た。
小さな鳥居が二重に立っている。お稲荷様への短い参道は奥に向かっての明るさのグラデーションで少し長く感じる。

ここにきて少し怖くなってきた。
この小さな鳥居をくぐるとどこか他の場所に繋がっているんじゃないか。そんな安直な神隠しへの本能的な恐怖と、物語の世界にいけたらいいなという子供的で現実逃避な期待が一緒にあって、ただ心の抵抗としか感じれない。

足をゆくっりすすめながら少し身を屈めて鳥居をくぐる。

残念で当たり前だけど特に何も起こらない。

少しの安堵を感じながら少し挨拶でもしようかと鈴緒までくる。緊急用に持っていた小銭を手に取ったけれど、そこに賽銭箱はなかった。
お賽銭を入れて鈴を鳴らすのが小さい頃からの習慣なので特に鈴を鳴らす気にはなれなかった。私が一方的に置いていくだけだから特に神様を呼ぶこともないかななんて。

手短な挨拶をしてその場で出てきた数個の悩みがどうなるといいか考えて、それを勝手にこうなりますようになんて祈る形にしてみる。

あれだけ言っておきながら、いざ頼ることになるとやっぱり心が軽くなる。
しかもさっきまでの恐怖も祈ったあとにはもうない。
楽にしてくれたお礼のお金も渡せないので、私のうちのなにかを少しもらっててください。

最後にお稲荷様に一礼をして感謝をしてからまた鳥居への短い参道をあるく。出るときは残念だけれど何も感じない。

こうして私の稲荷参りは終わった。

今思えばあの時私は冥界にいたんだと思う。雨の降って私以外いないときに一人小さな稲荷の鳥居をくぐるなんて、此岸から離れるには十分。
この世ではないとこにいたからこそ背負っているものを置いてこれるし、時には何かを置き忘れて帰ってきてしまうのだろう。

これを可能にしているのが宗教と人の信じる力なのだろう。だからあそこに行ったのは私だけじゃない。みんながいったことある場所だし、まだ心がそこへ行ったことない人はこの先きっと行きつくと思う。
やっぱり私は人らしい。この日本に生きて育った普通の弱い人。


今日私が行った場所のことなんて八百万の神様に敬意があれば誰もがいけるところ。でも人それぞれ此岸を離れて片足を入れた世界はその人だけの世界。だから私も感じるの。自分だけが冥界に行ってきたって。
冥界から帰ってきた私はいままでとはほんの少し違う。抱えていたものは置いてきて、恐怖を感じた場所から見事帰ってきたという自信で前を向く。
たぶん明日の私は今日より少しつよい。



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