見出し画像

雲南日本商工会通信2021年1月号「副会長の挨拶」

 奇妙な新年です。
 これだけ世界的にひとつの話題が長期に亘り、人々の生活や仕事、行動にまで影響を与えたことは、ちょっと誰にもない経験でしょうね。たぶん、第二次世界大戦でさえ、南米やアフリカでは変わらぬ日常を過ごしていた人はいたでしょうけど、今回のコロナ騒動はほぼ例外なく70億人に影響しているのでしょう。
 コロナに始まり、コロナ変異種に暮れる2020年は何かあっという間に終わりました。自粛で行動を制限され、長い1年と感じた人もいるかもしれませんが、あまり行動的だったという人はいないでしょう。IoTやAI、キャッシュレスなど世界がイノベーションで明るい未来を描き、企業がシノギを削るというこれまでの発展パターン、正の側面に対し、原発への疑問、CO2排出の温暖化問題、気候変動など一部にあった負の側面にトドメを刺すようなコロナ騒動で、世界全体の正ベクトルに急ブレーキがかかったという奇妙で革新的な1年でした。
 先日、大橋武夫という戦時中、中国で日本陸軍参謀として戦っていた人の古い書籍を読んでいたら、ある箇所に「1938年の武漢作戦にあたり、私は中国の伝染病発生状態を調べ、病種毎に色分けして地図を塗っていたら、武漢地区は真っ黒になってしまった。……なんと、地球上のあらゆる伝染病が集まっていたのである」というような記述があり、いやはや、戦時中の日本の情報収集能力は驚くべきもので、今回のコロナウイルスが武漢から発症したのは、このような背景に一定の裏付けがあるものなんだなあと妙に納得できました。
 おそらく武漢にはいくつかの特徴があるのでしょう。春秋戦国時代前からの歴史の舞台で人間活動が盛んであること、戦乱や交易に伴い南北の民族の交わる地域であること、武漢までは揚子江を使って大型船が入り海外(東)からも物資やネズミも入り、西からはシルクロードの物資も入る東西・南北の交流地だったこと、雲南四川と流れる揚子江の産物や土壌も流れ込むこと、夏も40℃を超える酷暑であり内陸部でありながら湿度も高いこと、「武漢は伝染病の巣窟」というのを今から80年以上前に指摘していたこの参謀の慧眼には恐れ入ります。新型伝染病のコロナが武漢から発生したのは単なる偶然ではないのかもしれません。
 さて、新年になってみなが一様に思うのは、2021年はどんな1年になるんだろうという事でしょう。
 経験のない事案への予想は、希望的過ぎる予測になるか、悲観的過ぎる予測になるか、専門家といえども、なかなか正確な想定ではできないもののようです。これについてはWHOが当初、コロナはパンデミックでないとか、ヒトヒト感染しないとか、コロコロ変わったので、人々の専門家に対する評価を落としてしまいました。(尾身会長は信頼できそうな落ち着いた人柄で私は好きですけど)
 ワクチンが普及し効果を発揮し、「やれやれ去年は大変だったなあ」とやっと自由な日常を取り戻し喪が明ける「世界の春」とでもいうような2021年になるのか、世界各地の感染は治まらずオリンピックも中止され赤字企業も失業も財政危機も増えてさらにヒドイ2021年になるのか、ワクチン普及にも時間差異が生じ抗体を持つ人と持たない人で行動自由度が異なる抗体デバイドのような新型分断が進む複雑な社会になるのか、ワクチンの効かない新変異種が出現し再度猛威をふるい長期的な社会的氷河期を覚悟する必要が出るのか、いろんなレベルの想定はあっても基本的には未来はわからない混沌というのが今の姿でしょう。
 こんな状況でコロナについて何を言っても根拠のない気休めの寝言にしかならないので、来年の干支の話でもして、数千年の歴史が教える戒めを思い出して、最悪に備えて、良い事が起きればラッキーと思って幸せを感じた方が得策なのでしょう。
 2021年、来年の干支は「辛丑(かのと・うし)」です。
 いきなり「辛(かのと)」という「つらい、からい」という文字から始まるのは、いかにもいまの状況にピッタリで新年早々から暗くなりますけど、本来の「辛」の文字は、「かたい、宝石、磨けば輝く、傷つきやすい、試練、ストレス」などの意味を含むそうです。「試練、ストレス」などは、まさに今の状況です。「辛」文字の成り立ちは、「上」+「一」+「干」の組み合わせで、本来の意味は、「上に向かって」「陽のエネルギーで」「求める、為す、冒す」ということで、革新を意味し(釈名)、往々にして「殺傷を伴う(白虎通)」内容を含み、それが矛盾、闘争、犠牲を生むために現代では「つらい」「からい」という意味になっているとの安岡正篤先生の説明です。
 いずれにしても物事は連続しているわけで、庚(かのえ)の次の辛(かのと)は、庚の革新がさらに進む、進行するということで、コロナによる社会や生活の自粛は今年も進行することは覚悟しておいた方が良さそうです。2020年のネズミ年はまさにネズミ算式にコロナが増えてしまいました。年が変わったからと言って、これまでのように行きたい所に自由に行ける環境にすぐに戻ることは期待しない方がいいのでしょう(そうなれば望外のラッキー!と考え、あまり期待はしない方が良いようです)。
 丑(うし)は便宜的に「牛」ですが、「丑」の文字は、右の手を上に伸ばした象形文字で、今まで曲がっていたものを伸ばすという意味から、「始める」「結ぶ」「掴む」という意味があり、糸偏に丑で、紐(ひも)にもなります。干支の始め、子(鼠)に発生したものが次の丑(牛)年には、右手を挙げて新たなスタートを切る、掴もうとするという事らしいですから、それが何を掴もうとするか、スタートするかで、かなり様相は変わってきてしまいます。
 コロナという人類に対する新たな疫病蔓延体制がスタートを切るのか、それに対応した新しい生活パターンや仕事パターンがいよいよ本格的にスタートを切るのか、いずれにしても2020年の続きとしての2021年が始まるわけで、干支の解釈から今年、劇的な変化は期待できない、コロナを完全克服できるわけではないようです。
 この辛と丑の二つの意味が合わさるのが辛丑の意味で、「ヘタすると血を見るようなこともある革新、変化の年」で、牛のように動きは鈍いが2020年の状況がさらに継続、進行するということのようで、それを想定して、しっかり準備を始めなさい、新たなものを掴むことを始めなさいという事が干支からのメッセージのようです。
 新年の挨拶からあまり景気の良い話題ではなく申し訳ないですが、ワクチンや医療技術の開発に過度の期待をすることなく、2021年も今の状況がしばらくは継続するという無難なところを覚悟しておいた方が、意外な良い小さな出来事の喜びが増すというものでしょう。
 AI、IT、IoT、DX、などなど、額に汗しなくても生きていけるほど正のベクトル方向に変化の激しい「夢のような現代の進歩」ならばこそ、大地震や巨大台風や巨大疫病など、負の方向にも「揺れ戻しが激しい」ということで、全体としてのプラスとマイナスは案外、バランスを保とうとして「天行健なり、日々新たなり」と言えるものかもしれません。
 コロナも基礎疾患がなければ生き残れる可能性が高いようですから、まずは自粛による運動不足を自覚し、暴飲暴食を控えた皆さまのご健康をお祈りして、新年の挨拶とさせていただきます。
 「病は口から入り、禍は口から出る」というのは、いつの時代も正しいのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?