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雲南日本商工会通信2019年11月号「編集後記」

 5年前、香港雨傘革命のころ。フェニックステレビ(鳳凰衛視)のニュース番組を、昆明に住む中国人と見ていました。番組は雨傘革命について解説しています。
 鳳凰衛視は中国政府寄り。同学生運動に対する番組の見解を一言で表すと「学生のわがまま」です。中国人の友人はテレビに向かって「そうだ、そうだ!」と感情的に叫びます。友人は政治的なことに興味がない人なので、その反応を意外に感じながらも、私は「意識低いな、この人……」と心の中でつぶやいていました。
 時は流れ今年の夏。帰国した折に、日本人に帰化した元中国人の友人に会い、世間話をしました。この頃の世間の話題の中心は、徴用工問題を端に発する日韓問題のいざこざと、逃亡犯条例に抗議する香港のデモでした。
 私は、どちらかといえば日韓問題について意見を聞きたかったのですが、友人は圧倒的に香港デモに興味があるようです。「あいつら、中国人のくせに欧米諸国に応援を頼んでいる。長官のことを『死ね』と言って責め立てる記者もいた。何様のつもりかな、絶対に共感できない」と鼻息を荒くしていました。ちなみに、この友人も政治に興味のない人です。
 私もそうですが、日本人のほとんどが香港デモ側に共感しています。自由や民主主義への蹂躙に異議申し立てをすることに違和感がないし、中国に対する我々の潜在的脅威の本質もまた、そのあたりにあるからです。
 ただ中国に住む我々は、この2人の心情も理解する必要があります。「意識低い」、あるいは「情報制限による洗脳」で片づけられる話とも思えないからです。
 香港返還前、日本の評論家の多くが「香港の中国化」を危惧していました。しかし当時、作家の邱永漢氏は「中国の香港化」が進むと主張しました。中国大陸の経済が発展すれば、中国が香港のようになり、民主化も進むという論理です。ところが実際は「香港の中国化」が正解になりつつあります。
 これに対し、香港の人々は大いなる危機感を持ち、デモが続いています。しかし大陸の人々は危機感を持たないどころか、むしろ中国政府に大賛成の様子なのはなぜなのでしょうか。
 数号前の会報で、筆者は香港デモをする人々の心情が映画『天気の子』とシンクロしていると述べました。その流れでいうと、いまの大陸人の心情とオーバーラップするのは埼玉をディスりまくる映画『翔んで埼玉』じゃないかと思います。
 この映画は、そこに住んでいるだけで差別される埼玉県人が、そこに住んでいるだけで特権を持つ東京人に戦いを挑むという物語です。埼玉県人は戦いに勝利した後、日本全体を埼玉化する「革命」にまい進するところで話が終わります。なぜ「全国埼玉化」なのか。埼玉は確かにダサいけど、とても居心地がよく満足度も高い土地だからです。
 1980年代~1990年代の香港映画を見ると、大陸の人をディスる場面が結構出てきます。21世紀になっても、大陸人のマナーの悪さを非難する記事がよく見られました。「俺たちはダサい大陸人とは違う」。案外、そんな香港人の長年に渡る優越感、差別意識が、回りまわって今に至っているのではないかと思われるのです。

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