見出し画像

Pale Blue.


どれだけ生まれ変わろうとも
意味がないくらい
どこか導かれるように
あなたと出逢いたい

米津玄師『Pale Blue』

ブルー、桃色、ミルク色の雲、朝焼けの空、一人だけの砂浜、海、波、まばたき。

 朝方、薔薇の棘で刺した傷に潮風がほんの少し染みた気がした。こんなものは痛くない。親指でぎゅっと血を絞り出して、痛みを呼び起こす。
 物理的に出来た傷はいつの間にか治るけれど、ひとに与えてしまった心の傷は時が経つだけで治るのだろうか。何羽目だろう。カモメが一瞬で一羽また、通り過ぎた。

 いつかは全て消えると繰り返す波のよう、行ったり来たりした僕の感情は、挙げ句、どう屁理屈をこねても彼女を失意の底に呑み込んだだけだった。
 だけど今更戻れない。僕が愛を受け取れなかっただけ。優しさがただただ、痛かった。

 愛とは何か、そんな不毛なことを考えても仕方ない。自分が居なくなった後の苦しみさえ、想像出来ない虚しさ。そんなもの、愛されていいのか。許されるわけがない。太陽の光がぼやける。あなたが隣にいたとしたら今、この景色は僕と同じに見えるのだろうか。
 僕が外した左手の薬指の指輪を、手のひらが波に優しく受け渡す。


あなたのそばにずっと、いたかったです。僕が僕のままだったなら。
 

 朝方、私はベッドに入って、布団をぎゅっと抱き締める。背中の辺りはここかな。優しく撫でてみる。

 つまらない映画を「もうやめちゃおう」そうしていきなり止めて、翌日思い直して、期待して観てみたけど、やっぱりつまらなかった。それなのに、このまま終わらなければいいと思う。のに。

 笑いを探してドラマに頼って、ちょっぴり笑ったけれど、ピアスがくすんでる事にふと気づいて何となく悲しくなって冷めてしまった。だったら、あのまま終わらなければ良かったと思う。のに。
 私はごろんとずっと天井を仰いでは、何度も指で目尻を拭った。

 その夜、彼の夢を見た。“元通り”の彼に、ただ僕の手を取って欲しいと言われて。私は彼にリードされるままで。夢心地で下手くそなワルツを踊る。

お揃いの薬指の指輪。

 泣き笑う私が私にもなぜか見えて。言葉通り元通り、私の事が私と判っている彼と私の視界がくるくるくるくる、入れ替わって。二人のちぐはぐなダンスは、何もかも起きていない、あの頃の私達の人生そのものだった。
 あぁ、もう私が彼を見てるの?彼が私を見てるの?ぐちゃぐちゃに混ざり合っててももうどうでもいいな、私の口を使って話したっていいよ、あなたの言葉を聞きたい。ただただ、あなたの腕の中に。ただただ、ずっといたい。



 ある晴れた日の朝、彼は事故に遭いほとんど全ての記憶を失くしてしまった。私の事も判らなくなった。あれから今日でちょうど五年だね。それにもうすぐあなたの誕生日じゃない。どこにいるの。
 ねぇ、だからちょっとくらいは、ずれた私達だったけど、目の前からふっと猫みたいにいなくなっちゃった理由なんか、それだけなんだよね。

 
 枯れたエーデルワイスは蘇る。
 黒ずんだピアスは輝きを取り戻す。
 いつか棘を刺した薔薇の花は二人を覆い尽くす。
 愛は言葉を必要としない。
 永遠の誓いが祝福を約束する。
 思いは困難を乗り越える。
 運命を歌う夢が、二人を導く。


ブルー、桃色、ミルク色の雲、朝焼けの空、一人だけの砂浜、海、波、まばたき。

 薄いブルーの中に、幾筋もの桃色が溶け込んでいるみたいな空。こんな朝に、こんなところでひとりで何をしてるんだろう。彼の誕生日、桜を見に行くつもりだったのにな…。
 砂浜にしゃがみ込む。なびく髪を耳に掛ける。春めく風も、海の風も気持ちがいい。
 優しく押寄せる波は、私を追いかけて来ては、あっという間に沖へと引いてしまう。必死に追いかけてみるけれど、怖くなるところから絶対に踏み込めない。終わらない追いかけっこ。彼と私みたい。

 「…あ。なんだろう」
寄せる波が冷たくて、おそるおそる手で砂をはらう。光に翳してみる。青い…古びていてところどころ剥げかけているけれど、おそらくシャツのボタンだった。
これって…。
 綺麗な飾りボタンが好きで、彼のシャツのものを全部縫い直したことがある。輸入ものだから、それに違いなかった。どうしてここに…?
 思い出せば、記憶を失った彼は気分転換だと言っては、早朝から家を空ける事が多かった。もしかしてここに来てたの…?

「ひとりきりで、何を思ってたの…!」

 私は、涙を堪えきれず、思いきり泣いた。私の感情が戻って来る気がした。記憶を失くしてから、曖昧な笑顔しか浮かべなくなった彼に、優しくできたのかな私。もしかして同情だと思ってたの?それが辛くていなくなったの?
「何も思い出せなくても私はあなたと生きたい」と思ったことが間違いだったの、迷惑だったの、わたし、私…、


顔を覆って俯いていた私はフッと何かを感じて顔を上げた。目を細める。ひかりの中に影を捉え、立ち上がる。

 赤、青、黄色。無造作に下ろした左手にあるのは鮮やかな花束。遠目にもはっきりと分かるブルーがかったジャケットを着た男が、ゆっくりと足を運ぶ、彼女の元へ。生まれ変わった気分だ、とでも言いたげに。
 手には思い出せる限りの彼女の好きな花をありったけ、集めて。

ああ、私、きっとあなたに恋をする。花束と一緒に。
(End.)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?