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『蜜蜂と遠雷』短評:映像美と「才能」

公開二日目『蜜蜂と遠雷』を見てきた。

原作は恩田陸の同名小説、流石に原作小説全ての内容を二時間に収めるのは難しく、映画版は4人の主人公のうち亜矢(松岡茉優)のみにポイントを絞った構成を取っている。

さて、この作品「天才の競演」というのが一つのテーマになっている。本邦でよく見られる構成としては「天才」と「努力」の対比というのがよく行われ、最終的には「天才」は努力によって乗り越えられるべき存在と規定している。しかしこの映画では基本的に「異なるタイプの天才」の競争を描いており、基本的に凡人は登場しない。もっとも才能に欠けると思われる明石は残念ながら早々に退場する。森絵都の『DIVE!』とも共通するような構成だが、厳しい世界がうまく描かれていた。

特に天才指揮者小野寺に対するシーンが興味深かった。厳父的な存在である小野寺に対し、マサルは圧力を感じながらも立ち向かい、風間は意に介さず、亜夜は母の喪失を思い出して萎縮する。小説版は未読だがキャラクターの特性を浮き彫りにするシーンだったと思う。

ストーリー以外では、映像演出が最近の邦画の中でも出色の出来だった。作品の内容から必然的にピアノ演奏のシーンが多くなるが、シャープでクリーンな演出で見ていて飽きさせない。直上からの映像は幾何学的で美しく、下からの映像は演奏者の形相が生々しく見える。最初と最後に登場する雨に濡れた黒い馬はピアノの暗喩だと映画が終わった後になって初めて気づいた。光の使い方もうまく、コンテスターの緊張とコンクールという特殊な空間をモヤのような効果で表現している。

松岡茉優による亜矢の覚醒シーンは素晴らしく、小野寺の前で萎縮している表情からは別人と思える表情でのラストシーンは鳥肌がたった。また、松坂桃李も他の人物のコンプレックを抱える、それでも大人な明石の人物像を違和感なく浮き彫りにする出色の演技だった。

このような邦画が増えて欲しい。公開期間中にもう一度行きたいと思わせる出来だった。






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