村田沙耶香『コンビニ人間』書評
2016年の芥川賞受賞作である。芥川賞作品にしてはポップなタイトルで文章もとっつきやすく、売上は100万部を超えた。
何を描いているのか
表面的なとっつきやすさとは裏腹に、個人的にどうもすっきり読み下せず、読了した後も結局何の話だったのかよくわからない。リアリティは感じるものの、解題ができないまま自分の中で数年間整理がつかない状態だったのだが。最近noteを書くモチベーションが高まっているのでこの場で考えてみたい。
まず主人公である、彼女は暗黙の了解や空気、常識といったハイコンテクストな規律を認識できず、「一般人」になじむことができない。その一方で彼女は公式的、明快なルール=バイトマニュアルにはいともたやすく順応でき、バイト先では八面六臂の活躍をしている。
もう一人の重要人物である白羽は、上でいう「ハイコンテクストなルール」すなわち「大人は正社員として働くべき」「学生時代で恋愛して三十で結婚」といったカッコ付きの「常識」を十二分に認識しながら、それに適応できず苦しむ男である。彼はハイコンテクストなルールに苛まれていながら、その文法でもって他者をまた攻撃する。
この作品は、結局のところ、主人公、白羽、コンビニの三つの要素で成立しており、他のものは基本的に舞台装置に過ぎない。主人公は一度白羽との奇妙な生活を通してハイコンテクストルールへの順応を試みるが、結局コンビニというマニュアル世界へ帰還する。というあらすじである。
これを社会的抑圧と現代人との関係を描いた作品と読むのは自然であるし、文庫本の解説を書いている中村文則もその方向性で読み解いている。
社会は多様性に向かっていると表面的には言われるが、この小説にある通り決してそうではなく、実は内向きになっている。
この小説は、村田さんの会心の一撃だと僕は勝手に思っている。文学的な質の高さだけではなく。生き難さを増す「普通圧力」の社会に颯爽と登場した、まさに逆の意味で時代が産んだ小説でもある。
村田沙耶香『コンビニ人間』、文春文庫、2016年、p166−168
どう読めばいいのか?
ただ、本当にそうか?とは思う。まずこの小説の核となるのは主人公の設定である。彼女は、ハイコンテクストなルールへの適合ができないばかりでなくそれを感知することすらできない。ただ主人公の行動や生き様に関する周りの困惑を二次的に感じ取ることで自分が「ずれて」いることを感じ取る。
しかし、彼女の内面描写は極めて「常識的」かつ鋭敏で、白羽の自己欺瞞的な言動の本質を一瞬で見破り、それを言語化する。
「皆が足並みを揃えていないと駄目なんだ。なんで三十代半ばなのにバイトなのか。なんで一回も恋愛をしたことがないのか。性行為の数まで平然と聞いてくる。『ああ、風俗は数に入れないでくださいね』なんて事まで、笑いながらいうんだ、あいつかは!誰にも迷惑かけていないのに、ただ、少数右派というだけで、皆が僕の人生を簡単に強姦する」
どちらかというと白羽さんが性犯罪者寸前の人間だと思っていたので、迷惑をかけられたアルバイト女性や女性客のことも考えずんい、自分の苦しみの比喩として気軽に強姦という言葉を使う白羽さんを、被害者意識は強いのに、自分が被害者かもしれないとは考えない思考回路なんだなあ、と思って眺めた。
村田沙耶香『コンビニ人間』、文春文庫、2016年、p90
このような「ずれた人」を描写する場合、ワトソン的な人物を用意することが多いが、本作ではあえて主人公にすえ、その上極めて冷静で鋭くかつ常識的な「心の声」を描いている。物語の前半部分で、主人公は日常会話を「マニュアル化」することによって周囲とのコミュニケーションをとっているが、彼女の内面描写からそのようなズレを見てとることはできない。
ここが私が最も戸惑いを覚えた点である。彼女はどのような人間なのかよくわからない、多分「コンビニ人間」なのだ、では「コンビニ人間」とは何か?こうして考えると、彼女は普通の人間、現代人の典型なのではないかと思う、「いい歳してバイト」という人はいくらでもいるし、そのような特質だけを持って小説の主人公にはならない。
結局この小説は「コンビニなき人間の脆弱さ」を描いているのではないかと思うようになった。「コンビニ」と見るとどうしても自然:人口や労働者:企業の対立軸で考えてしまうが、この小説は徹頭徹尾コンビニを秩序と清潔さの象徴として描いている。コンビニというよりどころを失った主人公は荒んだ生活を送り、彼にとっての「コンビニ」を持たない白羽は自己と他人を傷つけ続ける未熟な存在だ。そしてこれはだれもがそうなのではないだろうか。
『コンビニ人間』は『モダン・タイムズ』ではないし『ムーンライト』でもない、そもそも社会的抑圧と個人、人工と自然といったで世界を見ていない。そうではなく、無機質な秩序と清潔さを失った現代人にはロマン主義的な純朴さや美しさもなく、饐えた臭いを放つか弱い存在であるといういわば不都合な真実こそ、本作品の核ではないか。
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