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不動産投資に至ったわけ その2 父母の話前編


”不動産投資に至ったわけ”の2つめ、「両親からの影響について」。

うちの両親は、昔から家や土地が大好き。
私がまだ子供の頃は、2-3年に1度のペースであちらこちらをリフォームしてました。
中古物件で必要に迫られて、という理由もあったんでしょうけど。

リフォームの時に知らないおじさん(大工)たちが家の中をうろうろと出入りするのは、人一倍人見知りだった私には、あまり居心地の良いものではありませんでした。
それでも、作業途中のビスを打ち込む音や新しい木の香りやなどは、何か新しい未来を予感させてくれ、とても楽しい気持ちになったものです。

家族一緒に出かけたときなど、
父は空き地や売り物件を見つけると、やおら歩幅を大きめに取り、物件を横切るように歩き始めます。(歩幅からおおよそのメーター数を測っていたんでしょう。)
そして、なにやら満足げに得心した表情を浮かべているのでした。

そんな父親は、新聞に挟まっている不動産屋の折り込みチラシを私によく見せてきました。
値段の部分を隠しながら、
「この物件、いくらぐらいやと思う?」
なんていう、クイズ大会がしばしば開催されました。

小学生だった私に、そんなことは分かりません。
最初の頃は、周りにのっている物件の値段を横目に、適当に「3000万ぐらい~?」なんて答えていたように思います。
そうすると父は、「まだまだやな~」などと言いながら、自身の不動産うんちくを語りだすのでした。

そんなことを繰り返していると、小学生の私でも何となくの相場観がついてくるものです。
「この辺は、土地値が坪単価50ぐらいやな、建物は木造で30年ぐらいたってるから価値はないよな・・
あ、でも角地で近くにスーパーもあるから、ちょっとは色付けてもいいのかも・・」
なんていう想像をめぐらしながら答えてみると、意外と近い数字になったりしたものです。
すると、父も満足げに「お前もちょっとは分かってきたな~」などと言うのでした。

そんな幸せな小学生時代を過ごしていたある日、一本の電話が入りました。
「お隣さんが引っ越すにあたって、物件の売却を希望されています。ぜひ一度ご検討いただけませんか?」
想像ですが、そんな内容だったんでしょう。

当時の自宅とお隣さんは、こんな感じの配置でした。

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お隣さん宅は、いわゆる旗竿地ってやつです。
道路との接地は2m以上あったようなので、再建築不可物件ではなかったようですが、それでもなかなか売りにくかったんでしょう。

当初、父はあまり興味を示さなかったように思います。
いや、興味はあったかもですが、お隣さんは自宅の2倍以上の敷地面積。
金額もそれなりのものでした。

当時、両親は祖父と一緒に会社経営をしており、ようやく事業が安定したころだったのではないでしょうか。
収入はそれなりにあるものの、連帯保証をしている借入額もかなりあったように思います。

そんな中で、自宅の2倍以上もの敷地のある物件を買うというのは、なかなかのギャンブル。二の足を踏むのも当然。

しかし、そんな弱気な父を猛烈プッシュで購入に導いた人物がいました。
それは、母!でした。

母親は、呉服業を営む祖父の3姉妹の末っ子。
母親が生まれた時に、祖父から「また女か!」の一言で片づけられたと、当時のことを恨み交じりによく言います。

大正生まれの頑固爺さん、
母方の祖父は、それなりの資産家だったと記憶していますが、
「自分の跡を継げない女には用はない」とばかりに、まったくお金をかけてもらえなかったようです。
母親のパワーワードは「呉服屋なのに、着物1枚も仕立ててもらったことがない!」

そうして育った母親は、かなりの節約家、いや吝嗇家といっても差し支えないレベル。今風にいうと、ミニマリストでしょうか。
幸か不幸か、大嫌いな父親とそっくりに育ってしまったわけです。

そんな節約大好きな母親ですが、この物件は「是が非でもほしい!」の一点張りでした。
何かを欲しがるなんてことのほとんどない母親でしたが、この時はかなり強硬だったように記憶しています。

父親もずいぶん悩んだでしょうが、何度目かの不動産屋からの値下げの提案を受け入れて、購入に踏み切ることなったのでした。

しかし、購入するにあたって母親に条件を付けたのでした。
「お隣さんを購入はするけど、当分の間はそっちには住まない。今まで通り、今の家に住み続けるよ!」

続く・・・



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