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不動産投資に至ったわけ その2 父母の話後編

~~~~~~~~前回までのあらすじ~~~~~~~~
私がまだ小学生の頃の話。
土地や建物が大好きな私の両親は、隣家が売りに出されることを知ります。
自宅の2倍以上の敷地面積を持つ隣家。
興味はあるものの購入に二の足を踏む父を、母親が猛プッシュ。購入することとなったのですが・・・
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お隣さん宅を購入すると聞いた私は、ひそかにほくそ笑んでいました。

当時私にもマイルームが割り当てられていましたが、その部屋が4畳ほどでかなり狭かったのです。
ベットと学習机、それに小さな本棚(家族の本も収納されていた)が置かれており、もう他にスペースはほとんどない状態。おまけに夕方には、強烈な西日が差し込みます。
それに対して姉の部屋は、南向きの8畳部屋。
自分のお気に入りのものであふれる部屋を横目に見ながら、何か釈然としない不公平さを感じていたのでした。

そんな時に舞い込んできた、お隣さん宅を購入するとの吉報。
「お隣さん宅はうちより大きいし、きっと今より大きな部屋になるに違いない・・^^)」

そんな私の淡い期待は、すぐに打ち消されたのでした。

「お隣さんを購入はするけど、当分の間はそっちには住まない。今まで通り、今の家に住み続けるよ!」
父親はそういうと、何やらリフォーム会社さんとの打ち合わせを始めたのでした。

ほどなくして、今や自宅となった元お隣さん宅にリフォーム会社のおじさんたちがやってきました。
簡単な水回りの修繕や壁紙などの補修を終えると、それぞれの部屋に簡易的なカギを付け始めたのです。

それを見届けるや、父親は近くの専門学校へチラシも持って行きました。
「入居者募集!」

父親は「下宿を始める!」と言い出したのです。
当時は、シェアハウスなんてしゃれた言葉はまだありませんでした。

「こんな小汚い民家に住みたい学生なんていないんじゃない?」
「いや、そもそも何の知識もない素人が下宿なんか始めちゃって大丈夫なの?」

そんな私のネガティブな考えをよそに、すぐに6名の女子学生が入居するこにとなったのでした。

決め手は何といっても家賃の安さ。
私の記憶では、1部屋だいたい1.5万~2万程度だったと思います。
1階に2部屋、2階に4部屋。
2階の南向きの部屋が少し他より高い値段設定だったでしょうか。

お風呂、トイレ、キッチン、そして広めのダイニングは、共有スペースとなりました。

入居にあたって父がこだわったのは、次のようなことでした。
・入居時には必ず親同伴で契約をすること
・女子学生に限る
・家賃は、毎月直接持ってくること
・門限は、22時

父親なりのリスクマネジメントだったのだと思います。
女子学生を預かる以上、責任がともなうとも考えていたようです。

入居当初はおとなしくしていた女子学生たち。
しかし、遊びたい盛りの年齢に、門限22時は厳しすぎでした。
やがて一人のリーダーが頭角をあらわし、
前門の門限にうるさい大家を回避する、後門の出入り口を開発。
まんまと、門限は破られることになったのでした。

両親は、この下宿事業をずいぶん楽しんだと思います。
年に何度か開かれる女子学生たちとのパーティは、父親にとって何よりの楽しいイベントだったでしょう。
私ももちろん強制参加。みんなの前で無理やりカラオケを歌わさせられるという拷問を味わったのですが・・

「下宿はほとんど赤字だったけど、本業の会社経営との損益通算でずいぶん税金が助かったな~」
なんてことを、後に聞いたように思います。

下宿を始めて3年目、父親は、さらにすごいことをやってのけます。
女子学生たちを自分の会社にリクルーティングし始めたのです。
時は、1989-90年のバブルまっさかり。
どこもかしこも若い働き手を求めていたそんな時期に、いとも簡単に優秀な働き手を手に入れたのでした。

時は流れ・・

私が高校生になるころには下宿はやめてきれいに改装。
そして念願の引っ越しを果たし、私もようやく広い部屋を手に入れたのでした。

残った元の自宅はどうなったか・・

その頃は、バブルも崩壊し、本業の経営が少しずつおかしくなってきたところでした。
祖父、叔父、父の3人体制にも限界を感じていた状況でもあり、父親は独立を決断。
元の家を工場に改装して、そこで仕事を始めることになったのです。

そして、それが今私が経営している会社ということなります。
西日のきついマイルームには、今は工作機械が置かれ、何人かの従業員が毎日作業をしてくれています。

振り返ったとき、下宿をしていたあの頃の父親は、公私ともに最も充実していたのではないかと思います。
伸び盛りの会社を経営しながら、若い女子学生たちが巻き起こすさまざまな騒動を「やれやれ」などと言いながら、楽しんでいたのではないだろうかと。

父親のその時の楽しみを私も少し味わってみたい。
そんな思いが、不動産投資を始めてみようかと思うきっかけの一つになったのでした。


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