聖書の世界観に関連する聖句と考察

※ここでは聖書の中の世界観はどのようなものかを知る為の聖句集とその解釈を提供します。引用は『口語訳聖書』がベースです。

聖書の世界観の図



まとめ(聖書の世界観)

天(シャーマイム) <第一の天>

※神(יְהֹוָה)や天使が住んでいるところ。天は神の「王座(み座)」である(イザヤ66:1,マタイ5:34,使徒7:49)。神は人の姿をしていおり(エゼ1:26)、衣は雪のように白く(ダニ7:9)、光そのものを衣としており(詩篇104:2)、腰から上の周囲は琥珀金のような火が煌き(エゼ1:27,8:2)、碧玉、赤めのうといった宝石のように輝いている(黙4:3)。頭は羊毛のように白い(ダニ7:9)。玉座は高い位置にあり(イザヤ6:1)、玉座はサファイアにように青く(出24:10,エゼ1:26,10:1)、全体として火の炎のようである(ダニ7:9)。み座からは雷と稲妻と声(轟き)が出ている(黙4:5)。周囲にはエメラルドの虹の輝きがあり(黙4:3,エゼ1:28)、下側からは火の炎が吹き出ている(ダニ7:10)。衣の裾は神殿に満ちている(イザヤ6:1)。


神のみ座の周りにはセラフィムたち(「燃えるもの」の意)が飛んでいる(イザヤ6:2)。単数はセーラーフ(שָׂרָף)、複数はセラーフィーム(שְׂרָפִ֨ים)。黙示録の中の「四つの生き物」は、イザヤ6章のセラフィムとエゼキエル1,10章のケルビムの両方の特徴を持ちつつ、両方とも微妙に異なっている(黙4:6-8)。ケルビムは単数はケルーブ(כְּרוּב)、複数はケルビーム(כְּרֻבִ֖ים)。イザヤ書におけるセラフィムは神の長い裾の上方に居るように描かれるのに対し、エゼキエル書におけるケルビムは「水晶(氷)のように輝く大空」の下に居る(イザ6:1-2,エゼ1:22,25-26,10:1)。一方、黙示録の四つの生き物は「水晶(氷)に似たガラスのような(透明な)海」の上に居る(黙4:6)。他の聖句でも、ケルビムは位置的には神の下に居るとされる(サム上4:4,サム下6:2,列王下19:15,詩篇18:10,80:1,99:1,イザ37:16,エゼ9:3)。そしてケルビムは神の乗り物ともある(サム下22:11,詩篇18:10)。


※「水晶のように輝く大空」と「水晶に似たガラスのような海」は、「氷のように輝く大空」「氷のように透明な海」と訳出する方が正確と思われるので、以下の文ではそのように訳出して記すことにする。



結論から先に言えば、黙示録の四つの生き物はセラフィムとケルビムの両方を表している。つまり、ケルビムの中の一つの位のセラフィムを表している。それは契約の箱の構造からも推察できる。契約の箱は木材に金を被せて作られており、その蓋は「純金の覆い」で作られた。蓋の上部には二つのケルビムが置かれ、神はそのケルビムの間に降臨した。箱の上部には「金の縁飾り」が作られ、四つの「金の輪」が箱の四隅にある「四つの脚部」の上に取り付けられた。そしてその輪に「さお」が通され、レビ人たちはその竿をもって契約の箱を運んだ(出25:10-22)。これはエゼキエル1章の神の戦車(乗り物)の象徴でもある。契約の箱と、神の乗り物と、黙示録の対応関係は以下の通りである。



したがって、契約の箱の上の二つのケルビムは、イザヤ6章におけるセラフィムに相当する。セラフィムは恐らくケルビムの中の一つの役職なのであろう。セラフィムとケルビムは全く別の存在ではなく、ケルビムの中にセラフィムの位もあるということである。ケルビムにも色々いるということ。そうでなければ、幕屋の垂れ幕や天幕布に多くのケルビムの刺繍がなされていることの説明がつかない(出26:1,26:31)。一方、「氷のように輝く大空」の下にいる四つのケルビムと車輪は、契約の箱における四つの輪と四つの脚部に相当する。これら全体が神の戦車(乗り物)なのである。神はケルビム(セラフィムも含む)の上に座し、ケルビムと車輪によって天を移動するが、これは契約の箱がレビ人たちによって運ばれるのと同様である。したがって黙示録の著者ヨハネは、天の乗り物の姿を描くのに、ケルビムの中の位の一つであるセラフィムを描いたのであろう。その場合、イザヤにはセラフィムは顔を覆い隠していたから顔が見えなかったが、ヨハネの時は顔を覆い隠していなかったので、はじめて顔が見えたと言えるかもしれない。


ちなみに、契約の箱の、アカシア材に金をかぶせた箱そのものは、律法契約の証の板を運んでいるが、それは大きな意味で贖われた「天地」を表し、律法契約にあるエルサレムを象徴している。地が神の「足台」であるように、エルサレムの神殿も神の「足台」だからである(イザヤ66:1,歴上28:2,詩篇99:5)。いわば神はエルサレムを霊的に運び、民全体の進路を導かれるようである。荒野においてイスラエルの民を雲によって導いたのと同じようにして。そして、キリストの一度限りの血が「純金の覆い」に振りかけられることで、天地とエルサレムは完全に贖われ、新たな天地、新たなエルサレムとなる。つまり、神の乗り物とは天だけでなく地も含んでおり、天地全体が神の意志によって動く神の乗り物なのである。


これを示唆するのは、エゼキエルの方は「氷のように輝く大空」と述べ、黙示録の方は「氷のような透明な海」と呼んでいることである。聖書では、地の上に大空(天蓋)があり、天蓋の上には「上の水」があり、その上の水の上に神がいると見なされていた。エゼキエルの方は地上から見上げた天であったので、上方に見えるのは「大空」(天蓋)であった。しかし、黙示録の方は天上から見た天であったので、神のみ座の下にあるのは「海」であったのであろう。


※エゼキエルの幻のケルビム(四つの生き物)は、黙示録7:1-3の地の四隅に立ち、地の四方の風を抑えている四人の天使と関連性がある。そこには証印を押す別の天使も登場するが、これに類似した人はエゼキエルのケルビムの幻の中でも登場する(9:1-4)。この天使たちは地の「四隅」に立っている。さて、地の「果て」(または縁)を意味するヘブライ語(カーナーフ:כָּנָף)は「翼」(複数)の意味である(ヨブ37:3,38:13,イザ11:12,24:16,エゼ7:2)。すなわち、大地の四方の四隅には縁(翼)があるということから、地の四隅には四人の天使が立ち、風を管理していると見なされたのかもしれない。ケルビムは大空(天蓋)の下にいるが、この大空の形とは、平面上の板のようではあるはずがない。大空(ラーキーア)はドーム型(半球状)の形をしているのだから、神の座す大空の形もドーム型のはずである。そのドームの下の四隅の四方、つまり縁の所に、四つのケルビムが翼を広げて飛んでいるということは、四つのケルビムはこの四人の天使と重なる。よって、ケルビムは地の四方の四隅、つまり地の果て(縁)に立っていると思われる。さらにこのケルビムの翼は「互いに連なっている」(エゼ1:9)のだから、ケルビムの翼は全地の縁を取り囲んでいるというと想像される。その翼の音が「大水の音」(エゼ1:24)のようであるとは、地の縁は上の水と下の水の接点であるからかもしれない(あるいは滝のイメージ?)。「車輪」については、「地の上」(エゼ1:15)にあり、「輪の中に輪」(エゼ1:15)のある形状をしている。これは恐らく天地の象徴である。大空(天蓋)と大地、つまり天と地は互いに半球状の形がペアとなっているような球形であり、間にある大地の表面はフラット(平面)である。これが「輪の中に輪」があるように表現されているのかもしれない。そして、この輪がケルビムの後にぴったり付いて行くのは、大地は神の乗り物である天に従属して動くということであろう(エゼ1:19-21)。またこの車輪は、エデンの園に人類が再び入らないように守るケルビムの間にある回転する刃とも重なる(創3:24)。これらケルビムと車輪は方向を変えずに移動するが(エゼ1:9,10:11)、それは地の中心の方に常に体を向けて立っているからであろう。また、これらには目が沢山ついている(エゼ1:18,10:12)し、ケルビムには四つの顔があるが(エゼ1:6,10,10:14)、これはエデンの園の時と同じように、地の縁の外に誰も出ないように監視し、守護する目的があると思われる。要するに、エゼキエルのこの幻で言いたいことは、全天地は神の意志によって動き、誰もその秩序と支配から逃れることはできないという畏敬の念である。全天地がいわば神の戦車(乗り物)であって、それは契約の箱全体の象徴である。神はその万軍の主(ヤーウェ)であり(詩篇46:7,黙4:8)、天は神の「王座」であると同時に、地は神の「足台」なのである(イザ66:1)。


※神の側近には、四つの生き物(セラフィム位のケルビム)と、神の右に座す主イエス・キリストと、二十四人の長老たちがある。そして、その周りには幾万の幾万倍もの天使たちが居て(ダニ7:10,黙5:11)、み座の左右に立って神と対話し(列王上22:19)、神を常に賛美している(詩148:2,黙5:12)。つまり、「氷のように透明な海」の上にある天は第一の天を構成していると思われる。一方、かつてはサタンもその天使たちの集会に出席していたが(ヨブ1:6)、サタンに従う悪霊たちは本来の住処であるこの天を捨て置いて地上の女たちと結婚した為、タルタロスに拘束されている(ペテ二2:4,ユダ6)。そして終末、サタンとその軍は天使長ミカエルの軍との戦いに敗れて地に投げ落とされる(黙12:9,ルカ10:18)。


※使徒パウロは「第三の天(=パラダイス)」(パラデイソス:παράδεισος)の幻か実体験により、人が聞くことを許されない言語を聞き、神の啓示を受けたことがある(コリ二12:1-4)。しかし、パウロはこれを他人事のように書いているので、もしかするとこれは『ヨハネ黙示録』の著者ヨハネのことかもしれない(黙1:10)。どちらにせよ、ここから天は少なくとも三段階あることが理解できる。ユダヤ教のタルムードの伝統では天は七階層あるとされるが、これは聖書中には示されない。第一の天、第二の天といった表現は聖書にはないが、「天」あるいは「天の天」、そしてこの箇所の「第三の天」といった表現は存在する。終末に聖徒は復活および昇天すると(コリ一15:51-52,テサ一4:16-17)、恐らくパウロが体験したのと同じようにこの第三の天(パラダイス)に入り、主イエス・キリストと共に王また祭司として神の国を千年間統治することになっている(コリ一4:8,エペソ3:6,ペテ一2:5,黙1:6,5:10,20:6)。


しかし、この「第三の天」は、おそらく「新しい天と地」の天を表している(イザヤ65:17,66:22,第二ペテロ3:13,黙21:1)。このように解釈する場合、「第一の天」は物質的天地が創造される前に創造された霊的な天、「第二の天」は次いで創造された物質的な天地の天、そして「第三の天」は、サタンの支配と人間の罪から清められることで再創造された「新しい天と地」の天、ということになろう。すると、パウロは「第三の天」(=新しい天)をパラダイスと呼んでいたが、「新しい地」の方もパラダイスに相当すると言えることになる。但し「新しい地」がパラダイスと直接同定される箇所は聖書中にはない。そもそも、パラダイスは七十人訳ではエデンの園の「園」にあてられたギリシア語である。また、神はこの物質的天地そのものを滅ぼし尽くすことを目的とするとは考えられない。むしろ今の天地を再創造して、かつてのエデン(「楽しみ」の意)の園を「新しい天地」として回復させ、かつ新たに堅固なものとする計画であると思われる。さらに、この観点からルカ23:43を考慮すると、パラダイスは三種類あることが想定される(シェオールとハデースの項目を参照)。


この「新しい天」は「新しいエルサレム」が置かれる所である。神の住む天にあるこのエルサレムは「天のエルサレム」とも呼ばれている(ヘブ12:22)。「新しいエルサレム」は地上のエルサレムのことではない。「上なるエルサレム」が神のエクレシア(教会)を生み出した母なのである(ガラ4:26)。この母なるエルサレムこそ、エルサレムの王(メシア)なるキリストを生んだ『天の女』であろうと思われる(黙12:1-2)。律法契約に基づく地上のエルサレムはこの「上なるエルサレム」の模型に過ぎず、やがては廃れるものであった。実際は神のエクレシアは「上なるエルサレム」から霊によって生み出されたのである。それで、この新たに生まれたエルサレムは「新しいエルサレム」」また「天のエルサレム」と呼ばれる(ヘブ12:22,黙3:12、21:2)。またこの新しいエルサレムは、神のエクレシアであるから、小羊なる主イエスの花嫁として描かれている(黙19:7,21:2)。この「新しいエルサレム」は神の住む天(第一の天)から下り、「新しい地」を支配する「新しい天」となる(黙21:1-2)。この聖なる都にはもはや神殿はなく、太陽や月のある「第二の天」(物質天)の支配は受けない(黙21:22-23)。これは「新しい地」では神の直接支配が回復し、神の天幕(つまり天)が人と共に住み、神と人が直接的関係で結ばれ、太陽や月で表されるような悪霊や人間が、人を宗教や政治的な権威によって支配することはもはやなくなるという意味であると思われる。したがって、この「新しい天」とは第二の天が消失したようなものである。もっと正確に言えば、第一の天の権威が第二の天に降りてくることにより、第二の天に表される以前の支配権が消失し、神が直接的に地を支配する第三の天になるということであると思われる。


※天は神の「王座」、地は神の「足台」とも呼ばれている(イザヤ66:1,マタイ5:34-35,使徒7:49)。また神は海の波を踏みつける(つまり波の高さを制限している)という表現もある(ヨブ9:8)。神が天から地を見下ろすといなご(ばった)や塵のように小さく見える全人類を観察できる(イザヤ40:15,22)。


※ヤコブは天使が天と地を梯子(または階段)で行き来している夢を見、それは「天の門」と呼ばれている(創28:11-13,17)。終末に主イエスは天から雲に乗って下ってくる(マタイ26:64,マルコ14:62,ルカ21:27,使徒1:11,黙1:7)。神は、暗雲を戦車、風(霊)を翼、風(霊)を使者、火と炎を僕とする(詩篇104:3,4)。神は地に移動する時はケルビムに乗り、暗い濃い雲を仮庵としてやって来る(詩篇18:10,11,エゼキエル1章)。


「氷のように透明な海」と「氷のように輝く大空」<第二の天>


※「上の水」を黙示録では「氷のように透明な海」(黙4:6)、「大空」をエゼキエルでは「氷のように輝く大空(ラーキーア)」(エゼ1:22,25-26,10:1)と呼んでいる。これは天蓋である。つまり、神や天使たちの住む「第一の天」(霊的天)と人間が住む「第二の天」(物質的天)を分け隔てる境界となる。「上の水」「氷のように透明な海」は第二の天の最も高い所(天の天)に属する。「大空(=天)」また「氷のように輝く大空」は第二の天に属する。そして、この氷の大空は、神の戦車(乗り物)の土台でもある。氷の大空の下にはケルビムと車輪があり、これは瞬時の移動が可能なので、神はこれに乗って移動する。神は「天の円(=天蓋のこと)」(ヨブ22:14)を歩まれるとあるが、実際の神はみ座に座しているので、神が歩まれるとは、実際には天の戦車(乗り物)、つまり天蓋に乗って歩まれる、という意味である(詩篇18:10,エゼキエル1章)。また、神はケルビムの上に座すともあるが(詩篇80:1,99:1)、これも実際には神は神の戦車(乗り物)の上にあるみ座に座しているのである(エゼ1:26,イザヤ6:1,詩篇9:4)。これは神の契約の箱を担いで移動することで幕屋全体も移動することに相当するかもしれない。そして幕屋における至聖所が第一の天を構成していると思われる。ケルビムは「氷のように輝く大空」の直下にいるが、ケルビムは神の戦車(乗り物)と一体化しているから「第一の天」の一部であって、「第二の天」の領域の存在と見なす必要はないであろう。ケルビムと車輪はエデンの園を守護していた時のように(創3:24)、第一の天への入り口を守護しつつ、神の乗り物として存在しているのだと思われる(詩篇18:10)。したがって、第一の天そのものは神の戦車(乗り物)であって、第二の天地を雲に隠された霊によって「乗り進」んでいるということが理解できる(ヨブ22:14,詩68:33)。

天の天(=諸天の天),上の水(=洪水:マブール)<第二の天>


※創世記1章では、「大空(=天)」と「天の大空」は区別されているとの解釈がある。「上の水」と「下の水」を分けるのは「大空(=天)」の方であり、太陽や月や星といった天体が置かれるのは「天の大空(=天空)」の方であると。確かにそのような言い方になっている。そして、「大空(=天)」は大気圏内で、「天の大空(=天空)」は宇宙空間であるというのである。


しかし、1章20節では鳥は「天の大空(=天空)」のおもてを飛ぶように命じられている。マソラ本文ではここは「鳥は地の上、天の大空の表面上を飛べ」となっている。もし天の大空が宇宙空間のことであれば、鳥は宇宙空間を飛んでいることになってしまう。しかし、七十人訳では「鳥は地の上、天の大空の下へ飛べ」となっている。これなら鳥は宇宙空間の下を飛んでいることになる。どちらの表現が正しいのだろうか。恐らく、マソラ本文は地上の人間の視点から天を見ている。地上から見上げた視点で、天の大空の表面上を飛べという意味だろう。しかし七十人訳は神の視点から天を見ているように再解釈して翻訳したと思われる。それで、上から見下ろした視点で、天の大空の下に沿って飛べと意訳したのだろう。したがって、意味合いとしてはどちらも同じ意味になると思われる。地上から見た時、鳥は「天の大空」の下側を飛んでいることになる。そうであれば、「天の大空」は宇宙空間を指すという主張の可能性は残る。


しかし、「大空(ラーキーア:רָקִ֫יעַ)」は丸天井の天蓋を指す語で、「天(シャーマイム:שָׁמַ֫יִם)」は天蓋も含んだその内部の空間全体を指す語と見なされる。その場合、「天の大空」は、天という空間を持つ大空(天蓋)を指す意味になる(※七十人訳で大空(ラーキーア)に当てられたギリシャ語はステレオーマ(στερέωμα)で、これは「堅い、堅固なもの」という意味を持つ。「立体」を意味する英語のステレオ(stereo)もこの語に由来し、ステレオタイプは頭が固いという意味合いを持つ)。そう見なした場合、「天の大空」は「大空」の言い換えに過ぎないということになる。つまり、「天の大空」は単に”天にある大空”、”天に属する大空”という意味合いである。また、創世記1:17では天体は「天の大空」の”中”に置かれたと書かれているから、この場合、天体は「大空(天蓋)」の内部、つまり「天」に置かれていることになるだろう。


※「天の天」(申10:14,列上8:27,歴下2:6,歴下6:18,ネヘ9:6,詩篇68:33,148:4,で全部))という表現は、厳密には「諸天の天」(シェメー・ハッシャーマイム:שְׁמֵ֨י הַשָּׁמַ֜יִם)だが、「大空」である「天(シャーマイム)」は元々複数形である。また「天」とは「高み」を指す語である。よって、「諸天の天」とは、「大空(天)」の”最も高い所”を指していると思われる。さらにソロモンによれば、神は「天」にも「天の天」にも収まることができないのだから(列上8:27,歴下2:6,6:18)、神が住まわれる天(第一の天)は、「天の天」ではないはずである。それは神が古からの「天の天」に”乗られる”(あるいは乗り進む)という表現からも、神自身は「天の天」の上の領域に住みつつ、天の領域内をいわば「押し曲げて(あるいは垂れる、傾ける)」降臨することが分かる(詩編68:33,144:5)。


では、「天の天」はどの天のことなのだろうか。そして、創世記1:14-20の「天の大空」は「天の天」と同一の表現なのだろうか。創世記1:8には「大空」は「天」と呼ばれたと書いてあるので、「天の天」は「天の大空」の言い換えであると読み込むことはできそうではある。しかし、詩篇148:4では「いと高き天(天の天)よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ」とあり、「天の天」は「天の上にある水」(上の水)と同列に置かれているように思える。また、詩篇29:10では、神は「洪水(マブール:מַבּוּל)」に座すと書かれており、これは「上の水」のことであろうと思われる。さらに、ヨブ22:14では、神は「彼は天の円(=丸天井(フーグ))を歩まれる」という表現もある。他にも詩篇68:33では、「古からの天の天」と述べられており、創造の際の原始の水はテホーム(淵)であった。したがって「天の天」は「上の水」のことのように思われる。


しかし、ネヘミヤ9:6では「あなたが天と、天の天とその全軍(万象)…を造られた」と述べられている(ネヘミヤ9:6)。この表現は「天の天」に「全軍(万象)」、つまり天体が存在すると読めるのではないだろうか。しかし、原典をよく見ると、最初の「天」には目的格が置かれ、実際には「天を、(つまり)天の天と全軍、…」と書かれている。したがって、「天」の中に「天の天」(つまり上の水)とその「全軍」(天体や鳥を含む)が含まれると読む方が妥当である。「天の全軍」に関する表現は、「こうして天と地と、その万象(全軍)とが完成した」(創2:1,詩33:6,イザ45:12)、「あなたはまた目を上げて天を望み、日、月、星すなわちすべて天の万象(全軍)を見…」(申4:19,17:3)、「わたしは主がその玉座にすわり、天の万軍(全軍)がそのかたわらに、右左に立っているのを見た」(列上22:19,歴下18:18)、「またアシラ像を造り、天の万象(全軍)を拝み、かつバアルに仕え…」(列下17:19,21:3,5,23:4-5;歴下33:3,5,エレ8:2,19:13)といった表現に分類できる。すなわち、「天の全軍」とは、①天と地の全創造物のこと、②天体のこと、③天使たちのことの、三つを指して用いられている。ネヘミヤがここで述べているのは恐らく①のことであろう。


また、「北(の天)(ツァーフォーン:צָפוֹן)」が空間(虚空,トーフー:תֹּ֫הוּ)の上に張り伸ばされており、地は何もない処(無の空間)に浮かんでいるとある(ヨブ26:7)。そして天地(物質界)は神自らが支え、天幕のように張り伸ばしているとある(ヨブ9:8,イザ44:26)。つまり、天地は神の力によって吊り下げられているようなイメージであり、天地の下の空間は無の空間(虚空:トーフー)のように浮かんでいると考えられていたことが分かる。「北」という言い方をあえてしているのは、大地から見て北側(天上側)は神が支えており、大地から見て南側(地下側)は虚空であるためであろう。ちなみにこの部分の口語訳は「彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる」(ヨブ26:7)となっているが、これでは天が北側にある空間に張られていることになってしまう。空間に天が張られるというのはイメージしがたく意味をなさない。しかし、原典ではここは「北を虚空の上に張り伸ばし、地を何もない上に掛けられる(吊るされる)」である。明瞭に、北にいるのは神であり、天地は神の力によって張られて吊り下げられており、その天地の下に広がるのが虚空なのである。


結論としては、「天の天」は何を表すのだろうか。「天の天」とは天の最も高い所、つまり「上の水」のある領域のことを指していると思われる。そして、この「天の天」(上の水)自体は第二の天の領域にある。そして、「天の大空」は「大空(=天)」の言い換えであって、厳密には”天の領域に属する大空(天蓋)”の意味である。そして、創世記1:14の原典によれば、その大空の”中”に太陽や月や星といった天体が置かれている。そしてその大空の下に鳥が飛んでいる。第一の天(霊的天)と第二の天(物質天)の境界となるのは、天上側は神の乗り物の「上の水(洪水:マブール)」、つまり黙示録の「氷のように透明な海」である。そして地上側は「大空(ラーキーア)」でありエゼキエルの「氷のように輝く大空」となる。よって神は天に座し、「上の水」である「洪水(マブール)」とその「天の円(=丸天井(フーグ)」の上をいわば歩いておられるかのような表現がもたらされる。そして時に「天を押し曲げて」地上に降臨されるが、その際には雲や風に乗って霊によって降臨される(詩篇144:5,詩篇104:2)。

大空(=天,ラーキーア),天の大空(=天空)<第二の天>


※「大空(ラーキーア:רָקִ֫יעַ)」は「天(シャーマイム:שָׁמַ֫יִם)」とも呼ばれる(創世記1:8)。ラーキーアの直訳は「打ち延ばされたもの」であり、英語ではファーマメント(firmament)と訳される。「蒼穹」とも。半球のドーム状をした層(天蓋)が、「上の水」と「下の水」を分け隔てている。「水」はヘブライ語でマーイム(מָ֫יִם)。大空(ラーキーア)という語は、旧約聖書全体で全17回しか使用されず、しかも創世記の天地創造の場面と、エゼキエル書の神の戦車(乗り物)の場面がほとんどであり、あとは詩篇とダニエル書に数回用いられるのみである。語義からしても、これは大空というより蒼穹、天蓋、ファーマメントのことである。一般的な「空」にはシャハク(שַׁ֫חַק)が用いられており、こちらは「雲」と訳されることもあり、細かく砕かれた塵という意味合いがある。つまり、「大気」のことである。したがって、ラーキーアは「大空(=天蓋)」を指し、シャハクは「空(=大気)」を指していると思われる。「大空(=天蓋)」ではなく、「空(=大気)」と同様に、大空の内部の空間を表す用語は他に、「天」(シャーマイム)「中天」(メスーラネーマ)「空中」(アエール)といった語があると思われる。


※詩篇104:2では天のことを、水の中に「梁材」(正確な意味は不明である)を置いて築かれた「高殿(高楼)」に例えられている。すなわち、水の中に天蓋が作られ、それが上下の水を分けることで、神の座す天は高殿(屋根裏部屋のように)となった、という意味だと思われる。また「鋳た鏡のような空(シャハク)」(ヨブ37:18)という表現もある。神はこの「天の円(=丸天井(フーグ:חוּג))」(ヨブ22:14)を歩まれ、それを天幕(幕屋)のように張り伸ばされている(ヨブ22:14,イザ40:22,44:24,45:12,48:13,51:13,詩篇104:2)。とはいえ、神はみ座に座しているので、神が歩まれるとは、実際にはエゼキエルが見た天の戦車(乗り物)に乗って歩まれるのである(詩篇18:10,エゼキエル1章)。この「天の円」の「円」を指すフーグという語は、半球状の丸みを帯びた形(丸天井)として用いられる。したがって、大空は半円形の天幕のような形状をしているイメージであることが理解できる。そして、その天蓋が形成する内部の広大な空間を「天」と呼んでいる。


※「天の大空」(ビルキヤー・ハッシャマイム)(創1:14-20)は「大空(=天)」の言い換えであると思われる(「天の天」の項目を参照)。太陽や月や星といった天体はこの「天の大空」の”中に”置かれている。すなわち、ヘブライ人の世界観は、人間(地上)の視点から見た宇宙観であった。「上の水」の下に広がる「大空」の中に天体が置かれていると捉えていたようである。


※太陽(日)は「天の果て」から上り、天の果てまで巡る(詩19:6)。日の出と日没がある(伝道1:5)。ヨシュアの時代に太陽と月が静止したり(ヨシュア10:12-14,ハバクク3:11)、ヒゼキヤの時代に階段の影が十段逆戻りする奇跡があった(列下20:8-11,イザヤ38:4-8)。


※星座は「閉じ込められて」いる(ヨブ9:7)。聖書では、北斗(アシ星座)、オリオン(ケシル星座)、プレアデス(キマ星座)、十二宮(マザロト星座)、南の密室(南半球でしか見れない星座?)などが挙げられる(ヨブ9:9,38:31-32,イザヤ13:10,アモス5:8)。これらの星座は「鎖」や「網」で連結されている(ヨブ38:31)。これは現代の天体観測とも矛盾しない。惑星の軌道は地からの見かけでは不安定に見える。ユダ書もこの観測事実からヒントを得て、信仰の不安定な人を指して「彷徨う星」と述べている(ユダ13)。だから現代でも”惑星”と呼ばれているのである。一方、星座の方は太陽系の惑星よりも遥かに遠い銀河に見える星々である。だから地上からは星々の間の動きは少なく、星々全体が空を動くように見える。ヨブにはこれが「鎖」や「綱」で繋がれているように見えたのである。


※終末、天は巻物のように巻かれ、天にある太陽や月は暗くなり、星々はうらなりの無花果が落ちる時のように地上に落ちてくるという表現がある(イザヤ34:4,黙6:13,14)。これは、恐らく比喩であろうと思われるが、天体は大空(天蓋)の中に吊り下げられているか、張り付いているかのようなイメージだったのかもしれない。


中天(メスーラネーマ)/空(シャハク)/空中(アエール)<第二の天>


※「大空(ラーキーア)」は空間というより蒼穹、天蓋、ファーマメント(firmament)のことであり、「天(シャーマイム)」の方が空間をも包含した言い方であると思われる。創世記1章では「大空」は「天」と呼ばれているが、厳密には大空は天蓋の部分を指し、それによって形成される空間を「天」と呼んでいると考えた方が整合的である。


※「中天,中空」(メスーラネーマ:μεσουράνημα)という語は、ヨハネ黙示録に三回登場するのみである(黙8:13,14:6,16:17)。この語は「天」(ουρανός)+「中央,中間」(μέσος)の合成名詞である。この語は黙8:13と14:6では、一匹の鷲と福音を伝える天使が「中天」を飛んでいる。この場合は天の中央、つまり顔を見上げた時に真上に見える天の意味で用いられている。しかし、黙16:17では、あらゆる鳥が「中空」を飛んでいる。この場合は天の中間、つまり天と地の間の中間辺りという意味で用いられている。それは大気としての「空」、もしくは「雲」や雲のできる領域や層を表す「空」(シャハク)とほぼ変わらない領域であろう。あるいは、そこは主に鳥が飛んでいる領域であり、雲の形成される領域よりかは少し低いイメージかもしれない。また聖書には「天と地の間(または地と天の間)」という表現もあり、これも同一の表現であろう(歴上21:16,サム下18:9,エゼ8:3,ゼカ5:9)。さらに、新約聖書中の「空中,空気」(アエール:ἀήρ)も同様に大気を表す語である。終末に聖徒たちは雲に包まれて天に引き上げられるが、その際に「空中」(アエール)で主に会う(一テサ4:17)。悪霊たちは「空中,空気」(アエール)に権威を持つ支配者である(エペソ2:2)


※さて、サタンと悪霊たちはどの領域にいるのか。エペソ6:12には「私たちの格闘は…天上(エプーラニオス:ἐπουράνιος)における悪霊たちに対するもの」とある。また、エペソ2:2には「空中(アエール)の権威の支配者」とある。サタンが地に落ちるという描写はエゼキエル28:14-17,ルカ10:18,黙示録12:7-9にある。


①ヨブ1:6では、『サタンは神の子ら(天使たち)と共に神の前の只中に入って』きている。だから、この頃はまだ神の集会に出席することが許されている。よって、実際は天にいる。しかし、歓迎されていないのに入って来たような感じで、神に議論を吹っかけてすぐに退出してしまっている②エゼキエル28:14-17では、『神は、かつてエデンの園にいたケルブであったサタンを、神の山から追放し(継続)、滅ぼし(未完了)、地に投げ落とした(完了)』とある。エゼキエルの時代にはすでに、ケルブだったサタンは地に投げ落とされ、神の山(天のシオン)から追放された。それはもはや神の集会に出席できなくなった、という意味と思われる。しかし、滅ぼすことはまだ将来のこととされる。③ルカ10:18では、『イエスはサタンが稲妻のように天から落ちた(アオリスト過去)のを見ていた(未完了過去)』とある。イエスの時代にはさらに天から落ちていた。イエス自身がそれを見ていた。だから弟子たちが悪霊を征服できたのである。でもまだ実際には天にいる。サタンたちはイエスの弟子たちにもはや勝つことはできないという意味で地に落ちた、という意味と思われる。④黙示録12:7-9では、天で戦争が起こり、サタンと悪霊たちは敗北して地に投げ落とされた(アオリスト過去)とある。イエスが昇天した後に天でミカエル軍と戦争があったのだから、それまでは実際には天にいたのだろう。しかし、すでに堕落しており、神の集会からは追放されており、弟子たちの権威にも勝てなかった、という意味で地に落ちている。しかし、キリストの死と復活により贖いが果たされたことにより、戦争に敗北して、ついに完全に天から追放され、地に投げ落とされた。つまり、世の救いは確実となり、悪魔に対する裁きは確定した、ということ。残りの時間は執行猶予期間であるため、サタンは焦っているのである。⑤エペソ2:2では、「空中(アエール)の権威の支配者」とある。天から落ちたサタンは依然として空中に対してのみ権威を持っている。(しかし、もはや天に対抗する権威を持っていないし、イエスの弟子たちにも勝つことはできない)。彼らにできるのは、一人でも多くの者に救いを得させず、道連れにすることである。ここでは、彼らがどこから空中を支配しているかは書かれていない。とはいえ、支配するのだから空中よりかは上の領域であろう。⑥エペソ6:12では、「私たちの格闘は…天上における悪霊たちに対するもの」とある。悪霊たちは「天上」から「空中,空気」を支配していることを明らかにしている。しかし、彼らはすでに天から締め出されて、地に落ちている。つまり、この「天上」は、霊的天(第一の天)ではなく、物質天(第二の天)の天とみなす方が良いと思われる。古代から占星術信仰は偽りの信仰とされてきた。これは悪霊たちが霊的天の下にある物質天から世を支配することの象徴であろう。彼らはこの時代(アイオーン)における神と見なされている(二コリ4:4)。しかしそれは、真の神ではない偶像に過ぎない。したがってエゼキエルの預言はやがて成就し、彼らは滅ぼされることになる。


※「空」(シャハク:שַׁ֫חַק)の領域には「雲」がある。雲は主にアーナーン(עָנָן)を用いるが、シャハク(塵の層を意味する)が用いられることもある。雲には水が含まれており、雷と共に雨をもたらす(ヨブ26:8,28:26,36:28,37:11,箴言3:20,16:15)。雲は水滴が引き上げられ、霧のようになって形成され、雨となって降り注ぐことはヨブやソロモンも知っていた(ヨブ36:27-29,伝道11:3)。雲は時間の経過と共にはかなく消え去り、数えることができない(ヨブ7:9,38:37)。空には雨、雪、雹、風の為の「倉」があると述べられているが、この倉は雲のことであろう(申28:12,ヨブ38:22,詩篇135:7,エレ10:13)。この倉には「天の窓」(天の水門)が付いており、大洪水の時はそこから豪雨が地に降り注いだ(創7:11,8:2,イザ24:18,マラ3:10)。神が地上に現れる時は、暗い濃い雲によって身を隠される(詩篇18:11,104:3,マタイ17:5)。イエスが天に上っていった時も、雲に隠れて見えなくなったが(使徒1:9)、また雲に乗って雲と共に再び来られる(マタイ24:30,26:64,黙1:7)。終末、生き残っている聖徒たちも雲のうちに取り去られる(一テサ4:17)。神は雲の為に稲妻も造られた。稲妻は「天の端」から「天の端」までひらめき渡るが、これは「東方」と「西方」を指している(ルカ17:24,マタイ24:27)。


※風はその倉から南に吹きつけ、また北に戻って循環を繰り返す(伝道1:6)。神は「天の四方」から「四方の風」を送るが(エレ49:36,ダニ7:2)、これは東西南北に広がり四つに分裂したギリシア帝国を表す時にも用いられているから、東西南北のことと思われる(ダニ11:4)。


地(=陸、アーレツ(地),テーベール(大地))


※「地(アーレツ:אָ֫רֶץ)の基」あるいは「大地(テーベール:תֵּבֵל)の基」とも。地は神の「足台」でもある(イザヤ66:1)。大海の上に、海底が隆起して山や谷が形成された(詩篇104:5-9)。地は人間や地の獣や地を這う生き物が住むところである(創1:24-26)。「天の柱」および「(地の)柱」は恐らく山のことで、地震が起きると山々も揺れ動く(ヨブ9:5,26:11)。幕屋の中庭は地上の象徴であると思われ、火の燃える祭壇は地下を、銅の水盤(銅の海)は海を、銅の柱(ボアズとヤキン)は山を表してもいると思われる(エレ27:19)。


※イザヤ40:22には「地の円(フーグ:חוּג)」といった表現が出てくる。似た表現に「天の円」(ヨブ22:14)がある。フーグには「円(circle)」また「丸天井(vault)」の意味があるが、丸天井が丸みを帯びているからという理由で、これは地が球体の証拠だと説明されることがある。しかし、この語に「球」の意味はないし、例えこれが大地の形への言及だとしても半球状にしかならない。つまり、「地の円」とは、「地の丸天井(天蓋)」という意味に取るのが自然と言える。あるいは、地は天から神の視点から見た時に平面的な円形に見えるという意味にも取れ得る。あるいは人の視点から地を見た時、地は円形に広がって見えるという意味にも取れ得る。しかし、いずれにせよ、この語自体には「球」の意味はない。更なる反証として、イザヤ22:18に「球,玉(セネーファー:צְנֵפָה)」という語が用いられていることが挙げられる。地が球形であることを示したいのなら、セネーファーを用いたはずだと言うのである。また、ヨブ26:10には「神は水の面に円を描き(動詞で同音:フーグ)、光と闇の境界とされた」とある。平面説ではこれはスポットライト的な意味だと捉えるが、球体説では球の反対側の半球には光が届かないから光と闇の境界ができると捉える。しかし、箴言8:27を見ると「彼(神)が天を造り、海のおもてに、大空(円:フーグ)を張られたとき」とある。これは海の表面上に丸天井の天蓋を張られたという意味に読むのが自然である。だから、ヨブ26:10も、海の表面に丸天井の天蓋を設けて、丸天井の範囲を太陽が巡る間は昼(光)となり、太陽が丸天井の背後に隠れると夜(闇)となる。だから「円(=丸天井)」は光と闇の境界となる、という意味であると思われる。


※アーレツ(אָ֫רֶץ)は土から形成された「地」という意味合いで、テーベール(תֵּבֵל)は居住地としての「地」という意味合いがある。アーレツは「地」と訳され、テーベールは「大地」「世界」と訳されることが多い。詩編24:1-2では、「テーベール(大地)とそこに住む者」とあり、住みかとしての地とそこに住む人が並べられている。アーレツ(地=陸)は揺れ動くことがある。実際に地震は起きる。しかし、テーベール(居住地)としては地は不動であり、地は人間の居住地として永遠(オーラーム:定めることのできない未来まで)に変わることがない。「大地(テーベール)の基」という表現は二度出てくる(サム下22:16,詩篇18:15)。この場合、「海の底」「川底」のことを「大地の基」と呼んでいるので、「大地の基」とは人の居住地となる地の基礎となった地という意味になる。


※地には「果て」(カーツァー:קָצָה)や「縁(カーナーフ:כָּנָף)」がある(ヨブ28:24,ヨブ38:13など)。カーツァー(果て)は「終わり」を意味し(ヨブ28:24,イザ40:28,41:5,9,エレ25:31,33)、カーナーフ(縁)は「翼(複数)」の意味である(ヨブ37:3,38:13,イザ11:12,24:16,エゼ7:2)。そして、天に達する程の高さの木であれば、「全地」の「果て」(ソーフェ:סוֹף)までも見渡せる(ダニ4:11,4:20-22)。また、「これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか」という表現もある(ヨブ38:13)。これらから、地は平面的な理解がなされていたと考えられなくもない。しかし、聖書では「全地」は必ず地球全体を指して用いられない(マルコ1:5)。したがって、高き大木から見渡せたのはバビロン王の支配領域であるバビロンの全地という意味であろう。また地には「四隅」「四方」がある。天使は地の「四隅」に立ち、地の「四方の風」が吹くのを抑えている(黙7:1)。また「四方」の「天の果て」と「地の果て」、つまり全天地の領域から選民が集められる(マタイ24:31,マルコ13:27)。ゴグ・マゴグは「四隅」の諸国民と呼ばれる(黙20:8)。しかし、イザヤ40:22には「地の円」(フーグ:חוּג)と書いてもある。これがもし地形を指しているのならば、地は平面な円形(もしくは半球上の円形)でなくてはならない。しかし、これが天蓋(丸天井)を指すのであれば、四角形の地の中に丸天井が入っている形状も考え得る。しかし、地の四隅、あるいは四方という表現があったとしても、地が四角形である必要はない。円形の地の四つの方角の四つの隅(つまり縁)に天使が立つという意味であろう。それは人間の立つ位置からは東西南北で譬えられるとしても、厳密にいって東西南北にはならない。なぜなら地は平面的な円形と見なされていたと考える場合、北極点が地の中央になるはずで、地の縁はすべて南極側になるはずだからである。その場合、東から昇り、西に沈む太陽の軌道は地の円の上でぐるぐると周回するような軌道になる。聖書では「北」を神の座す天を指して用いることが多いが、地の中心が北極点とすると、その北極点の真上は天蓋の最も高い部分に相当するから、神の居る天を表現する比喩として「北」が用いられるのである(詩篇48:2,75:6,イザ14:13)。しかし、球体説では、「地の果て」や「地の縁」といった表現はあくまで地上の端のことであって、地上と海との境界を指していると理解する。つまり、地の果ての先には海があるということである。また「四隅」や「四方」という表現を、東西南北を指すと理解する。


また聖書では前方を東、後方を西、左側を(神の居る)北、右側を南として表現される(ヨブ23:9,イザ9:12,サム上23:24)。その際、神の居る方を北と見なし(詩篇48:2,75:6,イザ14:13)、南はネゲブ(乾き切った場所の意。イスラエル南方の荒野一帯を指す)と呼ばれる。


※「北の果て」(イェルカー:יַרְכַּת)には神々の「集会の山」(ベハル・モーエド:בְּהַר־מֹועֵ֖ד)がある(イザヤ14:13)。イェルカー(יַרְכַּת)は「後部、奥部」を意味する。恐らく、これはシオンの山のことを指していると思われる。シオンの山は「北の果て」(イェルカー)にあるとされるからである(詩篇48:2)。これはシオンの山の北側の奥部に神殿が建てられていたからかもしれないが、エルサレムは実際に北の果てにある訳ではないのは事実である。よって、これらは地上的なエルサレムのあるシオンを指しているのではない。この「集会の山」は天の中央の上に座す神の居る天上にある霊的なシオンを指している。またこの「神の山」は、北側にあり(イザ40:2)、イスラエルの北部にあるバシャンやヘルモン山によって譬えられてもいる(詩篇68:15,89:12,133:3)。そして、この天のシオン(ヤーウェの家の山)とそこに建つ天のエルサレムは、終末には地上のいかなる山よりも高められる(ミカ4:1,ヘブライ12:21,22)。


以上の考察から、聖書には、地球が平面か球体かを直接示している箇所は皆無であると思われる。それらの聖句は平面的にも球体的にも解釈する余地がある。


下の水(=海(ヤーム))


※原始から存在する水は「淵,深淵(テホーム:תְּהוֹם)」と言う(創1:2,箴言8:24)。天地創造の三日目に、大空によって「上の水」と「下の水」が分けられ、「下の水」が集まって「地(=陸)」と「海」(ヤーム:יָם)が生じた(創1:9,10)。また、五日目には、海に「海の大いなる獣(海の巨獣)」(タンニーン:תַּנִּין)と「水に群がり動き回るあらゆる生き物(生きた魂)」が創られた(創1:20-23)。


海の巨獣(タンニーン:תַּנִּין)は、モーセがファラオの前で杖を蛇に変えた時にも使用されており、モーセの変えた蛇と魔術師が変えた蛇は共に「(大)蛇(タンニーン)」と訳されている(出7:9-13)。しかし通常一般的な「蛇」はナーハーシュ(נָחָשׁ)を用いる。また海の巨獣は「レビヤタン」(レヴィヤーターン:לִוְיָתָן)とも結び付けられ、神が創造の際にその海の巨獣(レビヤタン)の「頭を砕かれた」とある(詩篇74:13-14,イザヤ27:1)。レビヤタンは海の船の通り道に戯れ(詩篇104:26)、「砂漠の民」(詩篇72:9のLXXでは、砂漠の民はエチオピア人と訳される)の食用となるともある(詩篇74:14)。またヨブ41章にはレビヤタンの詳しい描写があり、その記述からワニと同定して解釈されることもある(ヨブ41章)。「ラハブ」(ラーハヴ:רָ֫הַב)も同様に海の巨獣と結び付けられているが、ラハブは主にエジプトのことを象徴する言葉として用いられている(イザヤ30:7,51:9,詩篇87:4,89:10)。またこの海の巨獣は、エゼキエル書では「エジプトの王ファラオ」にも当てはめられている(エゼ29:3)。したがって、総合的に見ると、タンニーンもレビヤタンもラハブも、エジプトに関連して使用されており、それはナイル川に住むナイルワニがモデルになっているようにも感じる。あるいは大蛇。そして、エジプトのワニや大蛇が示すのは、ダニエル書の海から上る四つの「大きな獣」や(ダニ7章)、黙示録の海から上る獣(黙13章)、「底知れぬ所」から上る獣(黙11:7)とも共通性があると思われるが、それが究極的に示すものは、「初めからの蛇」である「大いなる龍」(創3:1,黙12:9)であろう。この龍は終末に「底知れぬ所」(ギ語:アビュッソス、ヘ語:テホームに相当)に拘束されて投げ込まれ(黙20:2)、千年後には火の湖(ゲエンナに相当)に投げ込まれる(黙20:10)。ちなみに、ヨブ記40:15に登場する「ベヘモト」(ベヘーモート:בְּהֵמוֹת)は強力な地の野獣とされており、七十人訳では「獣」(テーリオン:θηρίον)と訳されている。カバと同定されることもあるが、レビヤタンが海からの獣(テーリオン)に対応するなら、ベヘモトは地からの獣(テーリオン)に対応するかもしれない。


「水に群がり動き回るあらゆる生き物(生きた魂)」は「(海の)魚」(ダーガー:דָּגָה)も含まれる(1:26)。ヨナ書には「(大きな)魚(ダーグ:דָּאג)」(ダーガーも並行して用いている)が登場する(ヨナ1:17)。これはクジラのことと解釈されることが多いが、特定はできない。


※海には「水の源(泉)」(ネーベク:נֵבֶךְ)がある(ヨブ38:16)。ノアの洪水の際には、天からの豪雨だけでなく、「淵の泉(テホームのマヤーン)」からも大量の水が流れ込んだことから、地下に大量の水が溜まっていると思われる(創7:11,8:2)。生ける「水の源(泉)」(マーコール:מָקוֹר)はヤーウェである(エレ2:13,17:13)。また妻は「水の源(泉)」(マコール)と呼ばれている(箴言5:18)。神は荒野に「水の源」(モーツァー:מוֹצָא)や「泉」(マヤーン:מַעְיָן)を湧き出させ(イザ41:18)、「水の泉」(マブア:מַבּ֫וּעַ)となり(イザ35:7)、その人自身を潤った園の「水の源」(モーツァー)のようにされる(イザ58:11)。主イエスが与える水は、その人の内で「水の泉」(ペーゲー:πηγή)となり、永遠の命への水が湧き出る(ヨハネ4:14)。それは「命の水の泉」と呼ばれている(黙7:17,21:6)。


※海の創造の際、神は海の水が地を覆うことのないように、海に「関(または戸)」を設け、水を集め、水に境を設けられた(ヨブ38:8,10,エレ5:22,詩篇33:7,詩篇104:9)。そしてこの時、淵(テホーム:תִּהוֺם)の複数形、テホーモート(תְּהֹמוֺת)が「倉」に収められた(詩篇33:7)。このテホーモートは、イスラエル人が紅海を渡った時の左右の紅海の水の壁のことを指しても用いられている(出15:5,8,イザヤ63:13)。また海の大波(高き所)を踏みつけ(ヨブ9:8)、波の高さを制限している(ヨブ38:11,箴言8:29)。海と川の水は循環している(伝道1:7)。水が固まって淵(テホーム)のおもては凍る(氷になる)(ヨブ38:30)。

海の底


※「海の底(カルカー・ハッヤーム:בְּקַרְקַ֣ע הַיָּ֔ם)」(アモス9:3)。海には「源」(泉)があり、水がそこから湧き出ているが、そこは「淵(テホーム)」とも呼ばれている(ヨブ38:16 ※淵の底という風に訳されているが、原語はテホーム(淵)のみ)。創世記7:2,8:11では、「淵(テホーム)の源(泉)」と「天の窓(水門)」は分けて記述されているようにも思える為、大洪水の時には上方の水だけでなく、海底からも大量の水が入り込んだかもしれない。そう解するなら、「上の水」の層が非現実的な厚さだったと想定する必要もない。

陰府(へ語:シェオール,ギ語:ハー(イ)デース)


※ヘブライ語で「陰府」(シェオール:שְׁאוֹל)、ギリシア語で「黄泉」(ハーデース:ᾍδης)。「滅び」(アバドーン:אֲבַדּוֹן)とも(ヨブ26:6)。「死の門」、「暗黒の門」とも(ヨブ38:17,詩9:13,詩107:18)。海の下にある(ヨブ26:5)。死者(レファーイーム:רְפָאִים)たちの集団が休んでいるところ(ヨブ26:5,詩篇88:10,箴言2:18,9:18,21:16,イザヤ26:14,26:19)。これは巨人族のレファイム人とは異なるだろう(申2:10-11)。コラとその家族は、神の裁きを受けて、地が裂け(地割れして)、落下し、生きながらシェオールに下った(民16:30-33)。


※ルカ16:19-31のイエスの譬え話では、富んだ人は死後、ハーデース(シェオール)の中で炎による「責め苦」(バサノス:βάσανος)を味わっており、それに対して貧しい人ラザロははるか上方でアブラハムと共に「アブラハムの懐」に居て、両者の間には深い「大きな裂け目」(カスマ:χάσμα)があり、双方の間を渡り通ることができない。つまり、シェオール(ハーデース)にも二つの領域があると思われる。すなわち、貧しい人や善人が入る「アブラハムの懐」と、悪人が入る「(炎による)責め苦」の場所である。しかし、これは永遠の救いやゲエンナによる永遠の滅びの裁きではなく、終末に義人と悪人の復活がある日まで一時的に留まる場所であろう(ヨハネ5:28-29,使徒24:15,黙20:13-13)。


※イエスが磔柱に架けられた時、同じく左右に磔になっていた囚人の一人は、イエスに対する信仰を告白した。イエスはその時その人に「アーメン、わたしはあなたに言う、今日、あなたはわたしと共にパラダイスにいる」と言われた(ルカ23:43)。この今日(セーメロン)の位置が微妙である為、「わたしは今日あなたに言う」と訳出することも可能ではあるが、伝統的には「あなたは今日わたしと共にパラダイスにいる」と訳出されている。しかし、パラダイス(パラデイソス:παράδεισος)は二コリ12:4では「第三の天」のことを指している。イエスもこの囚人も、その日の内に復活して天に昇ったとは考えられない。したがって、このパラダイスは天ではないと思われる。イエスもこの囚人も、死後はハーデース(シェオール)に下ったのだから、このパラダイスはハーデース(シェオール)の一部であろう。とはいえ、彼らは責め苦(バサノス)に遭った訳ではないのだから、「アブラハムの懐」と同じ領域に下ったとするのが最も自然である。よって、パラダイスには三種類あることが想定される。一つは「第三の天(新しい天)」、もう一つは「新しい地」、もう一つが、新しい天地に復活することが期待される死者たちのいる所(=ハーデース内のアブラハムの懐の領域)となる。


底知れぬ所(ヘ語:テホーム:ギ語:アビュッソス)


※一部はシェオール(ハーデース)を包含している。なぜなら、キリストは死後ハーデースに居たが、同時にアビュッソスにも居たことになっているからである(ローマ10:7)。また、語義のごとく、人間には測り知ることのできない程の深い海底から先の地下は、どれもテホーム(アビュッソス:ἄβυσσος)で現されていることがあるから、底知れぬ所そのものは、海,海底,シェオール(ハーデース),タルタロス,悪魔が千年間拘束される場所をも包含した測り知れない地下部分一帯のことを指すイメージであろう。


※「タルタロス」(タルタローサス:ταρταρώσας)は、かつて大洪水の前時代、天から降りてきた天使たちが人間の娘と結婚して子をもうけ、巨人ネフィリムが地を圧政していたことに対する刑罰として下界に落とされ(タルタロオー(ταρταρόω)され)、拘禁されている場所である(創6:4,二ペテ2:4,ユダ6)。新改訳、新共同訳などは動詞タルタロオーを「地獄に引き渡し」と訳出しているが、ここはゲエンナとは異なる。そこは「大いなる日の裁きの為に」一時的に拘束されている留置場である(ユダ6)。そしてそこは「暗闇」(ゾフォス)である。悪霊はイエスに底知れぬ所(または滅ぼす、責め苦)に行くよう命じないで欲しいと嘆願しているから、タルタロスも底知れぬ所の一部であろう(ルカ8:31,マタイ8:29,マルコ1:24)。イエスはタルタロスにいる悪霊たちの所へも下って行って宣教した(一ペテ3:19)。


※獣は「底知れぬ所」から上って来る(黙11:7,17:8)。これは海の深みのことというよりも、一度いなくなった獣がものものしく復活してくる描写であろう。


※「底知れぬ所の穴」の鍵と拘束する鎖を持つ天使がおり、彼は「天から落ちた星」(黙9:1)、ヘブライ語でアバッドーン(Ἀβαδδών)、またギリシア語でアポリュオーンと(Ἀπολλύων)呼ばれる(黙9:11)。共に「滅ぼす者」という意味である。「穴」(フィレアル:φρέαρ)は「井戸」を指す語であり、恐らく海底の下にあるマグマの溜り場がイメージされている。その穴からは大きな炉の中からの噴煙が立ち昇り、太陽と空気(アエール)は暗くなる(黙9:2)。これは地下のマグマからの噴煙(ベスビオス火山からの噴火の印象)を連想させる為、地下はマグマに満ちていたと考えられていたかもしれない。そしてそこからイナゴに似た怪物の大群が出てくる(9:3)。また恐らく同じ天使は、サタンを千年のあいだ「底知れぬ所」に拘束する(黙20:1)。しかし、最終的な裁き(ゲエンナや火の湖)に関しては、アバドン(アポルオン)が投げ込むとは書かれていない。それ故、ゲエンナ(また火の湖)だけは「底知れぬ所」には含まれないかもしれない。したがって、「底知れぬ所」がゲエンナと異なるのは、そこに居るものが復活可能であり、または最終的な裁きをまだ受けてはいないことだと思われる。


地獄(ヘ語:ゲーヒンノーム:ギ語:ゲエンナ)/火の湖


※「ゲヘナ(ゲエンナ:γέεννα)」はヘブライ語で「ヒンノムの谷」(ゲー・ヒンノーム:גֵֽי־הִנֹּם֙)を意味する。「ヒンノムの子の谷(ベンヒンノムの谷)」(ベゲー・ベン・ヒンノーム:בְּגֵ֣יא בֶן־הִנֹּ֑ם)(歴下28:3,33:6,エレ7:31,7:32,19:2,19:6,32:35)、「ヒンノムの子らの谷」(列下23:10)、「ヒンノムの谷」(ヨシュア15:8,18:16,ネヘ11:30)などと呼ばれる。


ヒンノムの子の谷はエルサレムの南側にあり、かつてアハズ王とマナセ王がここで偶像礼拝を行った。アハズはここでバアルを拝み(歴下28:3)、犠牲の煙を立ち昇らせ、神が聖絶した諸民族と同様に(申12:31,レビ20:3)、自分の子供たちを火で焼いた(歴下28:3,列下16:3)。同様にマナセは、バアルや天の全軍(太陽や月や星々のこと)を礼拝し(歴二33:3)、自分の子らを火の中に通らせ、魔術、占い、呪術を行い、霊媒師と予言者を任命した(歴下33:6)。後に宗教改革を実施したヨシア王は、「ヒンノムの子らの谷」に作られた「トフェト」(תֹּ֫פֶת)と呼ばれた礼拝場を、礼拝に用いられないようにし、息子や娘たちを火の中に通してモレク神に捧げられないようにした(列下23:10)。


預言者エレミヤはこのことを痛烈に糾弾している(エレミヤ7:29-34,19:1-11,32:35)。エレミヤによれば、これは「わたし(ヤーウェ)が命じたこともなく、思いつきもしなかったこと」(エレ7:31)である。それ故、ヒンノムの子の谷とトフェトは「ほふりの谷」または「虐殺の谷」と呼ばれるようになる(エレ7:32,19:6)。ユダとエルサレムの偶像礼拝者は敵(バビロニア帝国のこと)に剣によって殺され(エレ19:7)、トフェトは死体で埋め尽くされ、鳥や獣の食物となる(エレ7:32-33,19:11)。そしてこエルサレムの都市は、恐怖の的となり、敵の包囲が長くつづく為に、民は我が子や仲間の肉を食らうようになる(エレ19:8,9)。これらはエルサレムがバビロニアに滅ぼされた時に成就した。


「ヒンノムの谷」は、イエスの時代にはもはや偶像礼拝の場でなく、死体やゴミの焼却場として使用されるようになっていたと言われる。その為、イエスは永遠の滅びの場として「ゲエンナ(ゲヘナ)」の語を用いた。聖書ではゲエンナは全12回用いられ、マタイ、マルコ、ルカ、ヤコブ書にしか登場しない。


イエスは、ゲエンナのことを、「火の燃える」(マタイ5:22,18:9)ところ、全身が投げ込まれるところ(マタイ5:30,18:8)、肉体だけでなく魂も共に滅ぼされるところ(マタイ10:28)、つまり「殺した後にゲエンナに投げ込む」(マルコ12:5)ところであり、また「消すことのできない火」(マルコ9:43)、「永遠の火」(マタイ18:9)、「うじは死なず、火は消されない」(マルコ9:47)ところと述べる。また、偽善者なる律法学者とパリサイ人は、ゲエンナの裁きを免れない(23:33)。それは彼らが神が遣わした預言者たちを迫害し、殺したからである(マタイ23:33-36)。また彼らは海や陸を渡って改宗者を作るが、彼らを自分たちの二倍にゲエンナに行くべきものとするからである(マタイ23:15)。また、舌(の誤用)は全身に汚点をつけ、生まれついた人生の車輪を燃やし、自らもゲエンナに燃やされる(ヤコブ3:6)。だから、誰でも自分の兄弟に怒りつづけ、兄弟を侮蔑の言葉で呼び、卑しい馬鹿者と言うならゲエンナに燃やされる(5:21-22)。姦淫の目で女を見続ける者、つまずきの経路になる者も同様である(マタイ5:27-30,18:7-10)。それゆえ、体の一部((右の)目や(右の)手や足)が己をつまずかせているなら、それを失って神の国に入る方が良い(マタイ5:27-30,18:7-10,マルコ9:43-48)。


※「ゲエンナ」は「火の湖」(テーン・リムネーン・トゥー・プロス:τὴν λίμνην τοῦ πυρὸς)、また「火と硫黄の湖」とも同一視される(黙19:20,20:10,14)。「火の湖」は、火と硫黄で燃えており(黙14:10,20:10)、その煙は永久に立ち上る(黙14:11)。そこに入る者には昼も夜も休みがなく(黙14:11,20:10)、「永遠に責め苦」(バサノス)に遭う(黙20:10)。そこに入るのは、獣と偽預言者は生きながら(黙19:20,20:10)、悪魔(黙20:10)、死とハーデース(シェオール)(黙20:14)、「命の書に書かれていない者たち」(黙20:15)、つまり「臆病な者、不信仰な者、忌むべき者、殺人者、淫行者、魔術者(麻薬の使用)、偶像礼拝者、あらゆる偽りの者」である(黙21:8)。そこは「第二の死」と呼ばれている(黙2:11,20:6,14,21:8)。


ユダ書によればそれは「永遠の火の刑罰」である(ユダ7)。イエスは羊と山羊の裁きの譬えで、自分の左にいる者たちは「悪魔とその使いたちの為に備えられた永遠の火」に入ると言われた(マタイ25:43)。


虚空(トーフー)


※「北(の天)(ツァーフォーン:צָפוֹן)」が空間(虚空,トーフー:תֹּ֫הוּ)の上に張り伸ばされており、地は何もない処(無の空間)に浮かんでいるとある(ヨブ26:7)。そして天地(物質界)は神自らが支え、天幕のように張り伸ばしているとある(ヨブ9:8,イザ44:26)。つまり、天地は神の力によって吊り下げられているようなイメージであり、天地の下の空間は無の空間(虚空:トーフー)のように浮かんでいると考えられていたことが分かる。「北」という言い方をあえてしているのは、大地から見て北側(天上側)は神が支えており、大地から見て南側(地下側)は虚空であるためであろう。ちなみにこの部分の口語訳は「彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる」(ヨブ26:7)となっているが、これでは天が北側にある空間に張られていることになってしまう。空間に天が張られるというのはイメージしがたく意味をなさない。しかし、原典ではここは「北を虚空の上に張り伸ばし、地を何もない上に掛けられる(吊るされる)」である。明瞭に、北にいるのは神であり、天地は神の力によって張られて吊り下げられており、その天地の下に広がるのが虚空なのである。


聖句リスト


■創世記1:1-5 1:1はじめに神は天(シャーマイム)と地(エレツ)とを創造された。1:2地は形なく、むなしく、闇が淵(テホーム)の面にあり、神の霊が水(マイム)の面を覆っていた。1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。1:5神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。


■創世記1:6-8 1:6神はまた言われた、「水の間に大空(ラーキーア,蒼穹)があって、水と水とを分けよ」。 1:7そのようになった。神は大空を造って、大空の下の水と大空の上の水とを分けられた。 1:8神はその大空を天(シャーマイム)と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。


■創世記1:9-10 1:9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、乾いた地が現れよ」。そのようになった。 1:10神はその乾いた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。


■創世記1:14-19 1:14神はまた言われた、「天の大空(ラーキーア・シャーマイム)に光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 1:15天の大空(ラーキーア・シャーマイム)にあって地を照らす光となれ」。そのようになった。 1:16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼を司らせ、小さい光に夜を司らせ、また星を造られた。 1:17神はこれらを天の大空(ラーキーア・シャーマイム)に置いて地を照らさせ、 1:18昼と夜とを司らせ、光と闇とを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 1:19夕となり、また朝となった。第四日である。


■創世記7:11 それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵(テホーム)の源は、ことごとく破れ、天の窓(アルッボート)が開けて、


■創世記8:2 また淵(テホーム)の源と、天の窓(アルッボート)とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。


■創世記11:4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そして我々は名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。


■創世記28:12 時に彼は夢をみた。一つの梯子が地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。


■民数記16:30-33  16:30しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとく呑み尽して、生きながら陰府(シェオール)に下らせられるならば、あなた方はこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。 16:31モーセが、これらのすべての言葉を述べ終ったとき、彼らの下の土地が裂け、 16:32地は口を開いて、彼らとその家族、ならびにコラに属するすべての人々と、すべての所有物を呑み尽した。 16:33すなわち、彼らと、彼らに属するものは、皆生きながら陰府(シェオール)に下り、地はその上を閉じ塞いで、彼らは会衆のうちから、断ち滅ぼされた。


■申命記4:17-19 4:17すなわち地の上におる諸々の獣の像、空を飛ぶ諸々の鳥の像、 4:18地に這う諸々の物の像、地の下の水の中におる諸々の魚の像を造ってはならない。 4:19あなたはまた目を上げて天を望み、日、月、星すなわちすべて天の万象を見、誘惑されてそれを拝み、それに仕えてはならない。それらのものは、あなたの神、主が全天下の万民に分けられたものである。


■申命記10:14 見よ、天と、諸々の天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。


■申命記28:64 主は地のこの果てから、かの果てまでの諸々の民のうちにあなた方を散らされるであろう。その所で、あなたもあなたの先祖たちも知らなかった木や石で造ったほかの神々にあなたは仕えるであろう。


■申命記32:22 わたしの怒りによって、火は燃えいで、陰府(シェオール)の深みにまで燃え行き、地とその産物とを焼き尽くし、山々の基を燃やすであろう。


■申命記33:17 彼の牛の初子は威厳があり、その角は野牛の角のよう、これをもって国々の民をことごとく突き倒し、地の果てにまで及ぶ。このような者はエフライムに幾万とあり、またこのような者はマナセに幾千とある」。


■ヨシュア記10:12-13 10:12主がアモリ人をイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。10:13民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空(天の半分)にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。


■サムエル記上2:8 貧しい者を、塵の中から立ち上がらせ、乏しい者を、あくたの中から引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、その柱の上に、世界(テーベール,大地)を据えられたからである。


■サムエル記上2:10 主と争うものは粉々に砕かれるであろう、主は彼らに向かって天から雷をとどろかし、地の果てまでも裁き、王に力を与え、油そそがれた者の力を強くされるであろう」。


■サムエル記下22:16 主の咎めと、その鼻の息吹とによって、海の底は現れ、世界(テーベール)の基が、あらわになった。


■列王記上8:27 しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天(天の天)もあなたを入れることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。


■列王記上8:49 あなたの住処である天で、彼らの祈と願いを聞いて、彼らを助け、


■歴代誌上16:30 全地よ、そのみ前におののけ。世界(テーベール)は堅く立って、動かされることはない。


■列王記上22:19 ミカヤは言った、「それゆえ主の言葉を聞きなさい。わたしは主がその玉座にすわり、天の万軍がそのかたわらに、右左に立っているのを見たが、


■ネヘミヤ9:6 またエズラは言った、「あなたは、ただあなたのみ、主でいらせられます。あなたは天と諸天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、これをことごとく保たれます。天の万軍はあなたを拝します。


■ヨブ9:5-9 9:5彼は、山を移されるが、山は知らない。彼は怒りをもって、これらを覆えされる。9:6彼が、地を震い動かしてその所を離れさせられると、その柱は揺らぐ。9:7彼が日に命じられると、日は出ない。彼はまた星を閉じこめられる。9:8彼はただひとり天を張り、海の波を踏まれた。9:9彼は北斗(アシ星座)、オリオン(ケシル星座)、プレアデス(キマ星座)および南の密室を造られた。


■ヨブ11:9 その量は地よりも長く、海よりも広い。


■17:16 これは下って陰府の関門にいたり、我々は共に塵に下るであろうか」。


■ヨブ22:12-14 22:12神は天に高くおられるではないか。見よ、いと高き星を。いかに高いことよ。22:13それであなたは言う、『神は何を知っておられるか。彼は黒雲を通して、裁くことができるのか。22:14濃い雲が彼をおおい隠すと、彼は見ることができない。彼は天の大空(円,丸天井,フーグ)を歩まれるのだ』と。


■ヨブ26:5-13 26:5亡霊(レファイム,または巨人)は水およびその中に住むものの下に震う。26:6神の前では陰府(シェオール)も裸である。滅びの穴(アバドーン)も覆い隠すものはない。26:7彼は北の天(ツァーフォーン)を空間に張り、地を何もない所(虚空:トーフー)に掛けられる。26:8彼は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。26:9彼は月のおもてをおおい隠して、雲をその上にのべ、26:10水のおもてに円を描いて(動詞:フーグ)、光と闇との境とされた。26:11彼が戒めると、天の柱は震い、かつ驚く。26:12彼はその力をもって海を静め、その知恵をもってラハブを打ち砕き、26:13その息をもって天を晴れわたらせ、その手をもって逃げる蛇を突き通される。


■ヨブ28:24-26 28:24彼は地の果までもみそなわし、天が下を見きわめられるからだ。28:25彼が風に重さを与え、水を升で量られたとき、28:26彼が雨のために規定を設け、雷の閃きのために道を設けられたとき、


■ヨブ36:27-29 36:26見よ、神は大いなる者にいまして、我々は彼を知らない。その年の数も計り知ることができない。36:27彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせて雨とされる。36:28空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。36:29だれか雲の広がるわけと、その幕屋(仮庵)のとどろくわけとを悟ることができようか。


■ヨブ37:2-3 37:2聞け、神の声のとどろきを、またその口から出るささやきを。37:3彼はこれを天が下に放ち、その光を地の隅々まで至らせられる。


■ヨブ37:9-11 37:9つむじ風はそのへやから、寒さは北風から来る。37:10神の息吹によって氷が張り、広々とした水は凍る。37:11彼は濃い雲に水気を負わせ、雲はその稲妻を散らす。


■ヨブ37:18 あなたは鋳た鏡のように堅い大空(シャハク)を、彼のように張ることができるか。


■ヨブ38:4 わたしが地(エレツ)の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。


■ヨブ38:6 38:6その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。


■ヨブ38:7 かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。


■ヨブ38:8-11 38:8海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、だれが戸をもって、これを閉じこめたか。38:9あの時、わたしは雲をもって衣とし、黒雲をもってむつきとし、38:10これがために境を定め、関および戸を設けて、38:11言った、『ここまで来てもよい、越えてはならぬ、おまえの高波はここにとどまるのだ』と。


■ヨブ38:12-14 38:12あなたは生れた日からこのかた朝に命じ、夜明けにその所を知らせ、38:13これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか。38:14地は印せられた土のように変り、衣のようにいろどられる。


■ヨブ38:16-18 38:16あなたは海の源に行ったことがあるか。淵の底(テホーム)を歩いたことがあるか。38:17死の門はあなたのために開かれたか。あなたは暗黒の門を見たことがあるか。38:18あなたは地の広さを見きわめたか。もしこれをことごとく知っているならば言え。


■ヨブ38:22-23 38:22あなたは雪の倉に入ったことがあるか。雹の倉を見たことがあるか。38:23これらは悩みの時のため、いくさと戦いの日のため、わたしが蓄えて置いたものだ。


■ヨブ38:29-30 38:29氷はだれの胎から出たか。空の霜はだれが生んだか。38:30水は固まって石のようになり、淵のおもては凍る。


■ヨブ38:31-32 38:31あなたはプレアデス(キマ星座)の鎖を結ぶことができるか。オリオン(ケシル星座)の綱を解くことができるか。38:32あなたは十二宮(マザロト星座)をその時にしたがって引き出すことができるか。北斗(アシ星座)とその子星を導くことができるか。


■詩篇2:8 わたしに求めよ、わたしは諸々の国を嗣業としておまえに与え、地の果てまでもおまえの所有として与える。


■詩篇11:4 主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、その目は人の子らをみそなわし、そのまぶたは人の子らを調べられる。


■詩篇18:9-11 18:9主は天を垂れて(伸ばして)下られ、暗やみがその足の下にありました。18:10主はケルブに乗って飛び、風の翼をもってかけり、18:11闇を覆いとして、自分のまわりに置き、水を含んだ暗い濃き雲をその幕屋(仮庵)とされました。


■詩篇18:15 主よ、そのとき、あなたの咎めと、あなたの鼻の息吹とによって、海の底はあらわれ、地(テーベール)の基があらわになったのです。


■詩篇19:1 諸々の天(シャーマイム)は神の栄光をあらわし、大空(ラーキーア)はみ手の業をしめす。


■詩篇19:4-6 19:4その響きは全地にあまねく、その言葉は世界(テーベール)の果てにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。19:5日は花婿がその祝の部屋から出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。19:6それは天の果てからのぼって、天の果てにまで、巡って行く。その暖まりをこうむらないものはない。


■詩篇22:27 地の果ての者はみな思い出して、主に帰り、諸々の国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。


■詩篇24:1-2 24:1地(エレツ)と、それに満ちるもの、世界(テーベール)と、その中に住む者とは主のものである。24:2主はその基を大海の上に据え、大川の上に定められた。


■詩篇29:10 主は洪水(マブール)の上に座し、主はみくらに座して、とこしえに王であらせられる。


■詩篇33:13 主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、


■詩篇48:1,2 48:1主は大いなる神であって、われらの神の都、その聖なる山で、大いに褒め称えられるべき方である。48:2シオンの山は北の端が高くて(北の最果ての山、シオンの山)、麗しく、全地の喜びであり、大いなる王の都である。


■詩篇59:13 憤りをもって彼らを滅ぼし、もはや永らえることのないまでに、彼らを滅ぼしてください。そうすれば地の果てまで、人々は神がヤコブを治められることを知るに至るでしょう。〔セラ


■詩篇61:2 わが心のくずおれるとき、わたしは地の果てからあなたに呼ばわります。わたしを導いてわたしの及びがたいほどの高い岩にのぼらせてください。


■詩篇65:5 われらの救の神よ、地の諸々の果てと、遠き海の望みであるあなたは恐るべき業により、救をもって我らに答えられる。


■詩篇68:33 いにしえからの天の天に乗られる主にむかってほめうたえ。


■詩篇72:8 彼は海から海まで治め、川から地の果てまで治めるように。


■詩篇75:3 地とすべてこれに住むものがよろめくとき、わたしはその柱を堅くする。〔セラ


■詩編88:6 あなたはわたしを深い穴、暗い所、深い淵(メツーラー)に置かれました。


■詩篇89:11 諸々の天はあなたのもの、地(エレツ)もまたあなたのもの、世界(テーベール)とその中にあるものとはあなたがその基を置かれたものです。


■詩篇93:1 主は王となり、威光の衣をまとわれます。主は衣をまとい、力をもって帯とされます。まことに、世界(テーベール)は堅く立って、動かされることはありません。


■詩篇96:10 諸々の国民の中に言え、「主は王となられた。世界(テーベール)は堅く立って、動かされることはない。主は公平をもって諸々の民をさばかれる」と。


■詩篇99:1 主は王となられた。諸々の民はおののけ。主はケルビムの上に座せられる。地は震えよ。


■詩篇102:25 あなたはいにしえ、地(エレツ)の基を据えられました。天もまたあなたのみ手の業です。


■詩篇103:12 東が西から遠いように、主は我らの咎を我らから遠ざけられる。


■詩篇104:2-9 104:2光を衣のようにまとい、天を幕のように張り、104:3水の上(中)におのが高殿のうつばり(梁材)を置き、雲(アーヴ:暗雲)をおのれの戦車とし、風の翼に乗りあるき、104:4風をおのれの使者とし、火と炎をおのれの僕とされる。104:5あなたは地(エレツ)をその基の上に据えて、とこしえに動くことのないようにされた。104:6あなたはこれを衣で覆うように大水でおおわれた。水は称えて山々の上を越えた。104:7あなたの咎めによって水は退き、あなたの雷の声によって水は逃げ去った。104:8山は立ち上がり、谷はあなたが定められた所に沈んだ。104:9あなたは水に境を定めて、これを越えさせず、再び地を覆うことのないようにされた。


■詩篇136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、その慈しみはとこしえに絶えることがない。


■詩篇135:5-6 135:6主はそのみこころにかなう事を、天(シャーマイム)にも地(エレツ)にも、海にもすべての淵(テホーム)にも行われる。135:7主は地のはてから雲をのぼらせ、雨のために稲妻(バラク)を造り、その倉から風(ルーアハ)を出される。


■詩編148:4 いと高き天(天の天)よ、天の上にある水よ、主を褒め称えよ。


■箴言3:19 主は知恵をもって地(エレツ)の基をすえ、悟りをもって天を定められた。


■箴言8:22-31 8:22主が昔その業をなし始められるとき、その業の初めとして、わたしを造られた。8:23いにしえ、地(エレツ)のなかった時、初めに、わたしは立てられた。8:24まだ海もなく、また大いなる水(テホーム)の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、8:25山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。8:26すなわち神がまだ地をも野をも、地(テーベール)の塵のもとをも造られなかった時である。8:27彼が天を造り、海のおもてに、大空(円,丸天井,フーグ)を張られたとき、わたしはそこにあった。8:28彼が上に空(シャハク)を堅く立たせ、淵(テホーム)の泉をつよく定め、8:29海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、また地(エレツ)の基を定められたとき、8:30わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、8:31その地(エレツ)で楽しみ、また世の人を喜んだ。


■箴言30:4 天に上ったり、下ったりしたのはだれか、風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かにそれを知っている。


■伝道1-:7 1:4世は去り、世は来たる。しかし地(エレツ)は永遠に変らない。1:5日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。1:6風は南に吹き、また転じて、北に向かい、巡りに巡って、またその巡る所に帰る。1:7川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。。


■イザヤ6:1-2 6:1ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高く上げられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。 6:2その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、


■イザヤ11:12 主は国々のために旗をあげて、イスラエルの追いやられた者を集め、ユダの散らされた者を地の四方から集められる。


■イザヤ13:13 それゆえ、万軍の主の憤りにより、その激しい怒りの日に、天は震い、地は揺り動いて、その所をはなれる。


■イザヤ14:13-14 14:13あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、14:14雲の頂きにのぼり、いと高き者のようになろう』。


■イザヤ22:18 ぐるぐるまわして、まり(セネファー:球)のように広々した地に投げられる。主人の家の恥となる者よ、あなたはそこで死に、あなたの華麗な車はそこに残る。


■イザヤ24:18 恐れの声をのがれる者は落し穴に陥り、落し穴から出る者は罠に捕えられる。天の窓は開け、地の基が震い動くからである。


■イザヤ34:4 34:4天の万象は衰え、諸々の天は巻物のように巻かれ、その万象はぶどうの木から葉の落ちるように、いちじくの木から葉の落ちるように落ちる。


■イザヤ38:8 見よ、わたしはアハズの日時計の上に進んだ日影を十度退かせよう』」。すると日時計の上に進んだ日影が十度退いた。


■イザヤ40:21-23 40:21あなた方は知らなかったか。あなた方は聞かなかったか。初めから、あなた方に伝えられなかったか。地の基を置いた時から、あなた方は悟らなかったか。40:22主は地球(地の円(丸天井)、フーグ)のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のように広げ、これを住むべき天幕のように張り、40:23また、諸々の君を無きものとせられ、地のつかさたちを、むなしくされる。


■イザヤ40:15 見よ、諸々の国民は、おけの一しずくのように、はかりの上の塵(シャハク)のように思われる。見よ、主は島々を、埃のようにあげられる。


■イザヤ40:28 あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果ての創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。


■イザヤ42:5 天を創造してこれをのべ、地とそれに生ずるものをひらき、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を与えられる主なる神はこう言われる、


■イザヤ44:24 あなたをあがない、あなたを胎内に造られた主はこう言われる、「わたしは主である。わたしはよろずの物を造り、ただわたしだけが天をのべ、地をひらき、――だれがわたしと共にいたか――


■イザヤ45:12 わたしは地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した。


■イザヤ45:18 天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、「わたしは主である、わたしのほかに神はない。


■イザヤ48:13 わが手は地の基をすえ、わが右の手は天をのべた。わたしが呼ぶと、彼らはもろともに立つ。


■イザヤ66:1 主はこう言われる、「天はわが位、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を建てようとするのか。またどんな所がわが休み所となるのか」。


■エレミヤ10:12-13 10:12主はその力をもって地を造り、その知恵をもって世界(テーベール)を建て、その悟りをもって天をのべられた。10:13彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、また地の果から霧を立ちあがらせられる。彼は雨のために、いなびかり(または「水門」)をおこし、その倉から風を取り出される。


■エレミヤ49:36 わたしは天の四方から、四方の風をエラムにこさせ、彼らを四方の風に散らす。エラムから追い出される者の行かない国はない。


■エレミヤ51:16 彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、また地の果から霧を立ちあがらせられる。彼は雨のためにいなびかりをおこし、その倉から風を取り出される。


■エゼキエル1:22 生きものの頭の上に水晶(または氷)のように輝く大空(ラーキーア)の形があって、彼らの頭の上に広がっている。


■エゼキエル1:26-28 1:26彼らの頭の上の大空の上に、サファイヤのような位の形があった。またその位の形の上に、人の姿のような形があった。 1:27そしてその腰とみえる所の上の方に、火の形のような光る青銅の色のものが、これを囲んでいるのを見た。わたしはその腰とみえる所の下の方に、火のようなものを見た。そして彼のまわりに輝きがあった。 1:28そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった。わたしはこれを見て、わたしの顔をふせたとき、語る者の声を聞いた。


■エゼキエル7:2 「人の子よ、イスラエルの地の終りについて主はこう言われる、この国の四方の境に終りが来た。


■エゼキエル10:1 時にわたしは見ていたが、見よ、ケルビムの頭の上の大空(ラーキーア)に、サファイヤのようなものが王座の形をして、その上に現れた。


■ダニエル4:10-11 4:10わたしが床にあって見た脳中の幻はこれである。わたしが見たのに、地の中央に一本の木があって、そのたけが高かったが、 4:11その木は成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、


■ダニエル7:2-3 7:2ダニエルは述べて言った、「わたしは夜の幻のうちに見た。見よ、天の四方からの風が大海をかきたてると、 7:3四つの大きな獣が海からあがってきた。その形は、おのおの異なり、


■ダニエル7:9-10 7:9わたしが見ていると、もろもろのみ座が設けられて、日の老いたる者が座しておられた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりもののない羊の毛のようであった。そのみ座は火の炎であり、その車輪は燃える火であった。7:10彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。


■ダニエル8:10 天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、


■ヨエル2:10 地は彼らの前におののき、天はふるい、日も月も暗くなり、星はその光を失う。


■アモス9:6 主はご自分の高殿を天に築き、大空の基を地の上にすえ、海の水を呼んで、地のおもてに注がれる。その名は主ととなえられる。


■ヨナ2:6 わたしは地に下り、地の貫の木はいつもわたしの上にあった。しかしわが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。


■ハバクク3:11 飛び行くあなたの矢の光のために、電光のようにきらめく、あなたのやりのために、日も月もそのすみかに立ち止まった。


■ゼカリヤ1:9-11 1:9その時わたしが『わが主よ、これらはなんですか』と尋ねると、わたしと語る天の使は言った、『これがなんであるか、あなたに示しましょう』。 1:10すると、ミルトスの木の中に立っている人が答えて、『これらは地を見回らせるために、主がつかわされた者です』と言うと、 1:11彼らは答えて、ミルトスの中に立っている主の使に言った、『われわれは地を見回ったが、全地はすべて平穏です』。


■ゼカリヤ12:1 託宣 イスラエルについての主の言葉。すなわち天をのべ、地の基をすえ、人の霊をその中に造られた主は、こう仰せられる、


■マラキ3:10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。


■マタイ4:8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世(コスモス)のすべての国々とその栄華とを見せて


■マタイ5:35 また地(ゲー)をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。


■マタイ10:28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄(ゲヘナ)で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。


■マタイ24:29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は天(ウーラノス)から落ち、天体は揺り動かされるであろう。


■マタイ24:31 また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天(ウーラノス)の果てから果てに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。


■マルコ9:47-48 9:47もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄(ゲヘナ)に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。 9:48地獄(ゲヘナ)では、うじがつきず、火も消えることがない。


■マルコ13:27 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地の果てから天の果てまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。


■ルカ4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界(オイクーメネー,人の居住する世界)のすべての国々を見せて


■ルカ8:31 悪霊どもは、底知れぬ所(アビュッソス)に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。


■ルカ16:22-31 16:22この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。 16:23そして黄泉(ハーデース)にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 16:24そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。 16:25アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。 16:26そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。 16:27そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 16:28わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 16:29アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 16:30金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。 16:31アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。


■ルカ16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵(裂け目)がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。


■ルカ17:24 稲妻が天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。 


■ルカ17:34 あなた方に言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。


■使徒1:9-11 1:9こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。 1:10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて 1:11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。


■使徒2:27 あなたは、わたしの魂を黄泉(ハーデース)に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。


■使徒7:49 7:49『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。


■使徒10:11 すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。


■使徒11:5 「わたしがヨッパの町で祈っていると、夢心地になって幻を見た。大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、天から降りてきて、わたしのところにとどいた。


■ローマ10:7 また、「だれが底知れぬ所(アビュッソス)に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。


■第一コンリト15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。


■第二コリント12:2-4  12:2わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、身体のままであったか、わたしは知らない。身体を離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。 12:3この人が――それが、身体のままであったか、身体を離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである―― 12:4パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。


■エペソ2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中(アエール)の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。


■第一テサロニケ4:16,17 4:16すなわち、主ご自身が天使の頭の声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下って来られる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 4:17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中(アエール)で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。


■ヘブライ1:10 さらに、「主よ、あなたは初めに、地の基をお据えになった。諸々の天も、み手の業である。


■第一ペテロ3:18-20 3:18キリストも、あなた方を神に近づけようとして、自らは義なる方であるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 3:19こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。 3:20これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。


■第二ペテロ2:4 神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界(タルタロス)におとしいれ、裁きの時まで暗闇の穴に閉じ込めておかれた。


■第二ペテロ3:5 すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、


■ユダ6 1:6主は、自分たちの地位(支配領域)を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日の裁きのために、永久に縛りつけたまま、暗闇の中に閉じ込めておかれた。


■黙示録1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺し通した者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。


■黙示録4:1-6 4:1その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、先にラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。 4:2すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。 4:3その座に居ます方は、碧玉(ヤスピス)や赤めのう(サルディオン)のように見え、また、御座の周りには、緑玉(エメラルド)のように見える虹が現れていた。 4:4また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。 4:5御座からは、稲妻と、諸々の声と、雷鳴とが、発していた。また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらjは、神の七つの霊である。 4:6御座の前は、水晶(氷)に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。 4:7第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶ鷲のようであった。 4:8この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼の周りも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。


■黙示録6:13-16 6:13天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。6:14天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。 6:15地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩陰に、身を隠した。 6:16そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。


■黙示録7:1 この後、わたしは四人の御使が地の四隅に立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。


■黙示録8:13 また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空(メスーラメーナ,天の中央,中天)を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、「ああ、災いだ、災いだ、地に住む人々は、災いだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている」。


■黙示録9:1-3 9:1第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所(アビュッソス)の穴を開くかぎが与えられた。 9:2そして、この底知れぬ所(アビュッソス)の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。 9:3その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。


■黙示録9:11 彼らは、底知れぬ所(アビュッソス)の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。


■黙示録11:7 そして、彼らがその証を終えると、底知れぬ所(アビュッソス)からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。


■黙示録12:7-9 12:7さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、 12:8勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。 12:9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。


■黙示録14:6 わたしは、もうひとりの御使が中空(メスーラメーナ)を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えてきて、


■黙示録15:2 またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。


■黙示録19:17 また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。彼は、中空(メスーラメーナ)を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、神の大宴会に集まってこい。


■黙示録20:1-3 20:1またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所(アビュッソス)のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。 20:2彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、 20:3そして、底知れぬ所(アビュッソス)に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。


■黙示録20:8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。


■黙示録20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣も偽預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。


■黙示録20:13-15 20:13海はその中にいる死人を出し、死も黄泉(ハーデース)もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。 20:14それから、死も黄泉(ハーデース)も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 20:15この命の書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

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