見出し画像

146. ステーキではなく、ジュージュー焼く音を売れ。

 肉料理の代表としてステーキを上げる人は多い。世界中どこに行っても大体食べられるし、固まりから切り出した肉を焼くといういたってシンプルながら、部位や焼き加減、味のつけ方などを言い出すときりがない奥が深い料理でもある。

 フィラデルフィアでは、炒めたこま切れ肉に溶けたチーズをかけたのをホットドッグのような形のパンにはさんだものもチーズステーキと言ってステーキの一種だと言い張っている。一般的に想像されるものとはちょっと違うだろうが、やはりこれもステーキなのである。

 さて、日本から「いきなりステーキ」という店がアメリカに進出していたが、あまり長続きせず閉店してしまった。あのタイプのステーキは「ちゃんとした食事」に部類されるものというイメージがあって、回転数で稼ぐタイプの店とはなじまないという面があるのが大きいかと思う。つまり、ステーキは立ち食いやそれに準じるような忙しい雰囲気で食べるものではない。落ち着いて味わって食べるものなのだ。

 チップがないとか量り売りとか中途半端な価格設定とかそういう部分は枝葉末節にすぎない、アメリカ人に根付いたステーキという食文化に対してのリスペクトが足りない、あえて過激な言い方をすれば冒涜的でさえあったのかもしれないと思っている。
 食事とは文化の根幹であり、そこへのリスペクトが足りなく見えるというのは致命的であった。もちろんそこを大々的に言う人は多くはなかっただろう、しかし何となく漂う違和感というのはあって、その部分でリピーターや客層の広がりにつながらなかったということだろう。

 そこらへんは日本人と世界の違いがあって、世界中の食品や調理法をなどを違和感少なく何でも受け入れて自分のものとしてきた日本の食文化というのは割と特殊だということを知っておかないと外食産業で世界に打って出るのは難しいだろうと思う。多くの国は食に保守的で、自国の食文化は誇りであり、他国の食はイベント的なもので日常に取り入れることはあまりしていない。歴史が長い国ほどそういう傾向にある。
 多国籍な人の集まりでできたアメリカではそれぞれの国にルーツを持つ料理がアメリカナイズされ融合してアメリカ料理的なものを形成してはいるが、やはりそれはヨーロッパ人ベースであって、そこに握り寿司や刺身は入り込めないし、カリフォルニアロールとして食い込むところまでが関の山かもしれない。広いアメリカでは開拓時代からの伝統を持ち食に保守的な地域も多い。いずれにせよ広くアメリカで受け入れられるにはまだまだ時間がかかるだろう。

 さて、話が横道にそれた。ステーキを売らずに焼く音を売れとはどういうことか。実は愚直にもそのままやっても意外といけるかもしれない話ではある。商品そのものの魅力もあろうが、それよりはその魅力を高めて見せる仕掛けやストーリーが必要ということだ。素晴らしい商品なら黙っていても売れるというのは幻想で、営業力的なものはやはり必要。

 アメリカでのいきなりステーキの失敗はアメリカの食文化に対するリスペクト不足があった可能性を指摘したが、日本でも大失速しているという話を聞いた。私は今現在は日本在住でないのでニュースを読む程度なのだが、やはりこれはステーキしか売っていないというところに原因があるのではないかと思う。メニューを絞って安く高速で出して回転数で稼ぐというのはビジネスモデルとしては真っ当ではあるが、このやり方が通用するのは平均的な客単価が平均的なパートタイムワーカーの時給と同程度以下で、他店より価格で有利で値段一本でも勝負ができる時である。要するにファーストフード型ということだ。

 ステーキのファーストフード化はアメリカでは文化的に厳しかったのは前述のとおり。日本では文化的なハードルは高くない。むしろコースのメインとして恭しく登場するはずのものがいきなり出てくるのは高得点でさえあるだろう。しかし、失速した。
 一つの要因は、リピーターの来店頻度と値上げのタイミングの関係性である。このバランスは実はとても難しく、失敗すると顧客に「来るたびに高くなる」と思わせてしまう。絞ったメニューで勝負するなら値段の安定性はやはり必須であろう。しかし、これは決定的な理由ではない。来店頻度を上げれば解決した問題だ。
 社長がインタビューで挙げていた「出店密度問題で客の喰い合い」というのも実はそこまで大きな問題ではない。ドミナント戦略というのもあり、そこまで高密度な出店でもなかったろう。「世界の山ちゃん」などはもっと高密度なドミナント出店をしているが、安定して利益を出している(助手調べ)。

 じゃぁ結局何なのか。来店頻度である。薄利多売を目指すならリピーター確保が欠かせない。ポイントカードとかもあったようだが、大きな効果はないだろう。本当にステーキのファーストフード化を目指すならステーキ以外のものを売るべきだった。つまり、ジュージュー焼ける音である。

 肉が安くてうまい以外の売りをつけて来店する動機付けを行うことができなければ、店のドアをくぐらせることはできない。客が店のドアをくぐらなければ商品力での勝負に持ち込めないのだ。

 スターバックスなどのシアトル系コーヒー店が売ったものはファッション性だった。正直コーヒー単体での味でいえば決してハイレベルではない。しかし、そもそもコーヒーの味そのものなどスターバックスに求められてはいないし、クリームやシロップでカスタムするならほとんど無意味だ。スターバックスはそこでコーヒーを飲むおしゃれ感、ファッション性を売ったのだ。かっこよく言えば、コーヒーを軸にその周辺に発生する雰囲気を一つの文化としてパッケージ化して売ったのだ。そしてドアをくぐらせれば、無限に近いカスタムトッピングと期間限定メニュー。大手チェーンでありながら自分オリジナルのカスタムコーヒーが出てくる。結局コーヒーは軸ではあるがメイン商品ではないのだ。

 あるいは、クリスピークリームドーナツはどうかと言えば、アメリカの老舗であるので、そこを売りにした。本場アメリカ伝統の味というやつだ。それは売り方にしてもアメリカ式に近いものを採用。持ち帰りは12個単位での特製BOX、食べる前にレンジアップを推奨する商品があるなど、やはり文化のパッケージングが巧みであった。アメリカとは違いプチ高級路線で値段が高いが、それも戦略の一環。結局雰囲気を売っているわけだ。味がアメリカン過ぎたんで一時衰退する羽目に。ローカライズにおいての練り込みの甘さがあったかもしれない。

 結局いきなりステーキは戦略もいきなりで、前触れやストーリーもなくいきなりステーキが出てくる。戦略が1段階しかないのはインパクトはすごいが継続性には欠ける。需要が一周したらその先は難しい。ステーキの向こう側は遠いな。

 ステーキの話に振りすぎた。
 結局何を売るにしても、ストーリーや雰囲気、文化を作り込まないといけないし、それを売るのがメインですらある。開発費や製造費よりも広告費のほうが圧倒的に高い商品はいくらでもあるのはそういうことだ。


※助手からひと言
 古典落語にこんな話がある。
 ウナギ屋の前で匂いを嗅ぎながらご飯だけを食べている男がいる。気づいた店主が「匂いで飯食うなら、匂い代を払え」というと、男は「わかった、払ってやる」と財布を取り出しジャラジャラと音だけ聞かせて意気揚々と帰っていったという。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?