英語を話せるようになるには悔しい思いが不可欠だ
どうも久しぶりに
「英語を話せるようになること/なれないこと」の考察です⭐︎
言語の学習は一生モノ、と言われます
そしてその覚悟をもって
自分のなくてはならないモノにするには
それが軌道に乗るまで
向き合うことが必要になります
そして、
強烈に感情を揺さぶられないことなしに
そんなに長く継続していくことはできないと
いうのが私の意見です
『悔しい思いや恥ずかしい思いから逃げるな』です♪
もちろん『伝わった!嬉しい』も強烈に揺さぶられる感情の一つです
ただ、伝わった!…には、悔しい思いがその前、
もしくはその後に必ずやってきます
そして何度悔しい思いをしても、
どうにか乗り越えられるようになるかどうかが
負けじとアウトプットし続けるフィルターにもなると思っています
そして途中には必ず喜びもあります
つまり
その"ポジティブとネガティブな感情のミルフィーユ"がそのまま燃料となるのです
逆に
そんな思いをすることなく
守られた中で何の感情も揺さぶられない時間は
言語コミュニケーションにおいて
何の成長も生まないと私は考えています
ちょっと考えてみてください
(勇気を出して道案内に応じてみた)
「さっきの道案内、何とか出来た♪ 伝わって嬉しい!けど、もっと上手く伝えられたよな!くぅー」
とちょびっとでも感じる人は次の機会に備えて、
調べてその場でアウトプットしてメモをすることでしょう
ここで何も思わなければ
調べてみよう、などの行動には移りません
行動に移すには「感情」が必要、
だから話せるようになるにはこの体験が
絶対不可欠だと私は思うのです
これは私の今までの自分や、また色んな人を見てたてた単なる仮説、異論は認めます^ ^
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