・インストで声を想像する時間 ・「幅を持って存在しにくくなってる世の中」近い色に染まることを暗に強制してる社会 ・「豊かさか鈍さか」grapefruitmoon ・SNS→時間系の記憶 ※電源切ると終 ないのと プリントすると→空間系の記憶 ・水を意識しない魚 メディアを意識しない人間
・「言葉が身体で発酵される」 ・コンクリには座りたくない。石に座りたい ・身体が言葉を追い越してくる。それぞれの速さ。
・都市の生活の気持ち悪さが密度と強く繋がっていること ・パーソナライズされた世論。同じ青は見えていない ・全ての作られた風による錯覚のおかげで地球にいる事を感じる
・木が大きくなる時間と東京にオフィスビルが建つまでの時間、それぞれの価値 ・金儲けのために名前のない現象に名前を付けることで市井の人らを生きづらくする企業なんなんだ〜〜おまえのことだよ ・緑道を歩いた末に出会った公園があって その公園を動画に収めようとする。そこには公園は映っているが公園まで歩いた時間、緑道を歩いて辿り着いた感覚は残らない。メディアに変換するということは、簡単に分からせること。伝えること。体験から何かをそぎ落とすこと。(特に視覚と聴覚以外は犠牲となる)時間
・2人で話す時保ってほしいその人の素朴な面は、私への素朴だから 誰に対する面も存在して ・生き抜かなくていい社会でも見据えるか ・生まれてから生きてきて何を見てきたか そこから海が見えるのか、山が見えるのか 身体に染み込んだ環境と空気 纏ってここに立つ、考える。 今いる場所だけでは見えない霊気 (湘南の海と奈良の山々) ・奈良はすぐ出土するから地下鉄を通せない話、東京の地上の価値と奈良の地下の価値 ・言葉にする事が感じたものを削ることだとしたらwebに投下することも何
響きあう、男優のトークと壁の海の絵画 身体の軸と同じだけ揺れるピアスの安さ 実家から送られてくる写真のlive photoの軌跡が愛おしい カテゴリが狭くなるほど網の細かい目がないと見えない 他人のエネルギーに他人が引っ張られて態度を切り替えているのを見るのがどこかつらい 切り替えなくていい空間、あいだ
・ぬいぐるみのブランド、もっとあって良い ・作る人と作らない人の違いなんてない ・10年後にはカレンダーをめくるという動作がなくなり季節の実感が死ぬ入口に立つ ・都合上解像度を下げられる朝の光の気持ち ・届かせたい人に届かない社会
・クラブに喫煙所の対極のクリーンな箱空間があっても良いのでは?タバコと汗と香水から逃れる楽園、ヘルシーな空気を吸える透明な箱 ・届く人には届くんだなこの文字、届かない人には絶対届かない ・本当に必要な人へは届かないテクノロジーって一体 ・ザクロのジュース、グレープフルーツのジュースってあんまりコンビニにないね ・マンスーンさんの発刊が羨ましい ・最近は香りを造形に変換することに躍起になっている、言葉もそう ・ハヤオのパワーが勇気であり希望 ・シンプル、効率のアン
・脳内麻薬とストレスのバランスどうするよ ・表垢と裏垢の2面じゃ済まないマルチ人格時代 ・社会が変われば生きるの意味も変わる(謳歌→生き抜く) ・原始人としてのストレス ・モチベのスイッチも押せるしストレスのスイッチも押せる自他のポチッ ・呑気に日常を切り取ってる場合じゃない怒り ・アッパーが見る東京、心地良いてまじ ・果樹園に暮らす虫に転生したい
余白の美術。元々森美で拝見したことはあり「余白」を扱った作品という印象はあった。しかしその余白は始めから彼自身が備えていた感覚、というよりはやっと手に入れたものが「余白」であり「無限」であった。手を動かすことで、掻き分けた森の奥に潜む「余白」をやっと獲得したんだと思う。 前期の作品群では、秩序立てた線や点でキャンパスを埋めたり、混沌な筆の動きで自由な風を落とし込んだりしている。単純な見方だと、書き尽くして筆を折って身体の限界にも到達した。そのエラーから新しい余白が生まれてい
森美で開催中のchim↑pomの展示に行った。出だしからテンションが高い。食いつきの良いテーマが楽しい。 都市のゴミやオリンピック前の駆除剤によって強靭化したスーパーラットやカラスの生き様と 社会の中のchim↑pomの立ち位置をメタ的に照らし合わせる。 たとえ想像のできたとしても実行の回路に繋がらない!(想像すること自体が空中でジャンプするレベルで難易度高い)アイデアが詰まっていた。 展示の後半でトーンが落ち着き、テーマも重くなるので、全体を見返して今思えば展示の始めに
近い将来、通信技術が発展して視覚イメージに留まらず、他の感覚:味や匂いを他人と共有できる時代が来るかもしれない。 それでも最後まで、肌で感じている”空気”だけは伝達されないことを願う。五感のあらゆるイメージを伝達できる世界で、唯一伝わらない感覚として残って欲しい。 伝わらないからこそ意味がある。空気・気温・湿度・雰囲気こそが今ここにいる今までここにいた、 存在した証明となる日。 1919年、マルセルデュシャンが友人への土産にとガラス
第1章 昔々あるところ、ウーバーイーツ青年は漕いでいた。彼の鼻と口は呼吸するためだけにあって、下り坂でも構わず膝を回した。 ウーバーイーツの箱を待ち望む地点まであと5kmある。開けた瞬間に湯気が上ることを考えてギアを上げた。 第2章 ベタ塗りの夕日が彼を含む街の一角を囲う時、ウーバーイーツ青年は信号を待っていた。赤の次が紫に光ればいいなと思った。 橙色に染まりながら微かな便意を感じた。 漕いだ太ももの疲れと便意を同時に感じる取ることができた、嬉しかった。 自転