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私の会話はキャッチボールではなくただの投球練習だった

私は元々口数の多い方ではない。
すごく仲の良い友達といる時も、むしろ気を許している人たちの前だと余計に、進んで話を展開していくようなことはしない。全然喋らないってことはないけど、多分無口の部類に入る人間だと思う。実際、友達にもそう言われる。

基本的に人の話を聞くのが好きだ。話が上手くても下手でも面白くてもそうでなくても、「聞く」ことそのものが好きなので、自分の喋るターンが少なくたって全然いい。

しかし同時に会話が下手くそでもある。
ある程度仲良くなってしまえば普通に話せるし、さっき言った通り聞くことが好きなだけで話すことが嫌いなわけではない。ただ、会話が上手いか下手かで言えば、私は間違いなく後者だろう。特に親しくない人との会話が下手くそなのだ。

で、何が1番良くないって、19年生きてきてそれをただ受け入れ続けてしまっていたこと。上手く話せなかった時も「やっぱ会話って苦手だな」で片付けてしまっていた。

でもさすがにこのままじゃいけないと思い始めた。大学生になって、親しくない人と話をする機会もぐっと増えた。もう「やっぱ苦手だな」で片付けられる状況ではないのだ。

どうして親しくない人との会話が苦手なのかって、話題が途切れて微妙な沈黙が流れるあの雰囲気、あれがめちゃくちゃ苦手なのだ。要するに話が上手く続かない。それはなぜか。

よく「会話は言葉のキャッチボールだ」みたいな話を聞く。そんなことはずっと分かっていたはずだけど、最近それが全然できていなかったことに気付いた。

例えば相手から「今日寝坊しちゃったんですよね」と言われたとして、これまで私は「そうなんですか、大変ですね」とか返してしまっていた。これでキャッチボールができていると思っていたのだ。やばいでしょ。もちろん全然キャッチボールではない。ただ相手の投げたボールをキャッチしただけ、ただの投球練習だ。「寝るのが遅かったんですか?」とか「何時に起きたんですか?」とか、一度受け取ったボールを相手に投げ返して始めて会話のキャッチボールが成立するのである。

何を当たり前のことを、と思う人もいるかもしれない。しかし実際に私はこんなに当然のことをできていないまま人と接し続けていたのだ。そりゃ気まずくもなるし、会話が上手い下手のレベルではないような気もする。

本当にバカみたいな話なんだけど、このキャッチボールを意識するだけでだいぶ人と話しやすくなった。もちろんまだまだ苦手だなあと感じることもあるんだけど、最低ラインには立てたような気がする。

こういう当たり前のことを知らないまま生きてることってたまにあって怖いなあと思う。みんなどうやって身につけてるんだろう。

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