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味わうか理解するか幸せになるか

食べもの屋で「これはうまい」とうっとりしたことが何度かある。
その「これはうまい」のいわゆるひとつの原点となったものを。

30年以上前、東京の大森だったと思う。
それは「暮らしの手帖」で紹介されていた中国からの「帰国孤児」の方がやっていた食堂で
渋谷から電車を乗り継いで行ってみたのだった。
定食を注文すると野菜炒めとスープと饅頭がきた。
肉まんかと思ったが、食べ進んでも中には何も入っていなかったので
これが中国北部で主食のご飯にあたる「マントウ」なのだろうと思ったが
それよりなにより

全部・とにかく・うまかった

スープのだしが何なのか野菜炒めの味付けが何なのか
多分、塩は入っていたのだろうが味付けは一切わからなかった。
何の味がするとはわからないのにとにかくうまかった。
ああ、これは毎日食べたい、と思った。
これが家庭料理なんだな、と思った。
このとき以来
「なんだかわからないがとにかくうまい」
というのが自分にとっての理想のうまさとなった。
レジのところにお土産用の肉まんがあったので買って帰った。
ふかして食べたら、やはりうまかった。
「これを作っている店なら、本当においしかったろうね」と夫。
うん、ホントにその通り。
さてそこで昨日書いたがもっと書きたくなったので。

「バベットの晩餐会」は19世紀の中頃、その土地の亡き監督牧師の百年祭に、その牧師の家の家政婦のバベットが祝宴の料理を作る物語であるが、その家政婦はかつてはパリの超高級レストランの天才料理人だったが、今回そのふるまう相手はパリの超高級店のごちそうなど見たことも聞いたことも想像もつかない暮らしをしてきた贅沢とは真逆の素朴で信心深い人々であった。料理の味を褒めることは信仰に反するというほどに質素な暮らしを守ってきた人々がそのごちそうを食べたのだが、もちろん「食べたことがないほどおいしい」以上の理解はできない。しかし、祝宴の卓を囲むうちに亡き牧師の思い出を語り合い、「子供たちよ、愛し合いなさい」という牧師の口癖だった訓戒を繰り返し、仲間同士のいがみ合いや軋轢や遺恨がうちほどけて皆和やかで自由な心持となり至福のうちに帰宅の途に就くのである。
ただ、祝宴に招かれた客の中に一人
バベットがいたパリの店に行ったことがある将軍がいて
「なんと、これはまさしくブリニのデミドフ風ではないか」
「これはですね、確かにあのうずらのパイですな」と
今自分が味わっている料理を作っているのがその店で当代きっての料理の天才としてパリじゅうに知られていた女性だと気づく。だが、その将軍以外の人々は「そんなこと」は頭になく、ただその料理が自分たちに与えてくれる幸せを受け取っていたのだ。

私が最初に映画を観たときに感じたのは
まず一流の料理人であるバベットが今いる場所には彼女の本来の技能や価値を理解できる人が誰もいないという「不遇」
そして
祝宴の客の中に彼女の手腕を理解できる人間が一人いたということが彼女の救いになった
ということだった。
しかし
何度か本を読んでようやく見えたのは

バベットは
亡き監督牧師の百年祭を機として富籤で得た一万フランで思う存分に腕を振るいたかった

町の人たちは
料理の味わいを言葉にこそできなかったがみな亡き牧師との思い出とともに至福の時を持つことができた

将軍は
パリでの思い出とともにそのたぐいまれな料理の価値を理解していた

ということでいいのだろうと。
初めは「士は己を知る者の為に死す」と言うように
バベットは自分の価値を認めて欲しい願望があったと思ったので
映画では将軍がバベットにそれを告げる場面があった(と思った)のに本ではそれが無かったので映画の方が好みに思えたのだ。それでも最後に亡き牧師の娘がバベットにこう告げたのだから少なくともバベットの料理の本質を受け止めていたことは間違いない。
「ほんとうに、きっとあなたは天使たちをうっとりとさせることよ」

お年を召したご婦人の思い出話といった風情の物語なのでテンポのいい小説に慣れた方々には不向きかもしれないが時にはこういった話に耳を傾けてみるのもいいかと思う。

最後に、人々の思い出の中にあるその牧師の言葉で締めくくることにする。

われわれが地上の生活からたずさえていくのを許されるのは
ただわれわれが与えたものだけだ

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