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当たり前と特別の価値

とりあえずnoteを初めてみようなんて書き出したけど
やっぱりだんだん投稿頻度は減ってくる。
https://note.com/sanalaugh/n/nec4ff826826b

書きたいことが見つかったときに
下書きにタイトルだけはメモしているけど
タイミングが大事。
時間が経つとそのテーマでの筆は進まない。

私はnoteの投稿をPCで書いている。(打っている)
記事を書くという日本語は間違っている
なんて時代が来てしまうのかもしれない。
スマホではなくPCで投稿するのは単純な理由。
文字を打ち、文章を書くのにはPCが適していると思っているから。

私のPC歴は長い。
自作するとか開発のような内部的なことに詳しいわけではないけど
Eメールデビューは幼稚園のとき。
幼馴染のじゅんちゃんがポストペットとやらのメールソフトを購入。
メールは相手がいないとできないので私にプレゼントしてくれた。
さっき発売年を調べたら記憶は正しそう。
ピンクのくま、モモちゃんのお世話をしながら、
父の作ってくれたローマ字表とにらめっこして必死に短い文を打っていた。
当時インターネットにつながっているときは電話を使えない仕様で
ここも焦る要因になっていた気がする。
いきなりの壁はタイトル。
"じゅんちゃんへ"と書くためには"じゅ"と"ちゃ"が必要である。
幼稚園生にとってのこの文字がどんなに未知なものだろうか。
ここで心が折れそうになった記憶がある。

そんな苦労のおかげで小学生になるころにはローマ字は完璧だったし
タイピングも大人顔負けだったと思う。
当時はそれが特技になるレベルだった。
そんな名残か今でもスマホはローマ字入力でフリックは苦手。
きっとその当時大人で、タイピングとちょっとした入力スキルがあれば
めちゃくちゃ重宝されたんじゃないかと思う。
想像だから知らんけど。
さすがにその年代はタイピングくらいはみんなできてた?
でも今はローマ字入力できませんなんて話にならないはず。
というか面接に行ったら聞かれもしない。
当たり前のことだから。

当時、特技だったことが全員ができる時代になる。
英語もプログラミングも小学生から習う時代。

もちろん逆でできる必要がないこともでてくる。
AIに代わる仕事なんて話題もよくあるが
計算機がある時代にそろばんは必要ないし、
文字を打つ時代に硯と炭は必要ない。
車の免許にAT限定なんてあるけど
そのうち自動運転車限定なんて免許もできるかもしれない。

当たり前と特別の価値って難しいな。

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