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エッセイ:本質とは肯定である


どこかの知事が職業によって知性が高いだの低いだのと失言し、叩かれましたね。知性とは人の根幹です。
考えるゆえに我ありが真であるのは、他者を志向するという意味においてであると措定し、愚考致しました。知性、諦め、自己肯定について。



あの娘はとても 気紛れで
目をはなすと いつも
俺らの背中にツバをかけて
OH YEA 逃げて行くんだ

『どうしようもない恋の唄』ルースターズ



考えるとは、感じるとは、何かについて感じることであり、考えることでありますが、知性の対象すべてを他者とすると、私とは他者を志向するもの、他者との関係性においてあり、他者を因とする果であり、その逆はありえない。
他者は自己に先立つ。

私にとって他者とは掛け替えのない存在であり、他者がなければ私はない。
ゆえに他者は否定し得ない。
他者という因は肯定するより他どうしようもないものですが、同様にかくある私という果もまた、どうしようもない。

今、悲しみに、あるいは苦しみに打ちひしがれているとしても、かくある自己をどうしようもないものとして肯定するということ。
本質とは肯定である。

愛しい人との別れは、肯定するより他どうしようもないのであり、憎いあんちくしょうが憎くてたまらないのもどうしようもなければ、尽きせぬ欲望もどうしようもない、生が他者との関係性のうちにあるということもまた、どうしようもない。

生とは畢竟、肯定するより他どうしようもないものであると、諦める。諦めるとは、正しく「知る」ことである。
生を諦めるとは、肯定するより他どうしようもない他者との関係性を、正しく「知る」ことであります。

正しく「知る」ことによって他者との関係性を明らかにし、その結果、絶つこともあれば、縮まることも、離れることも、繋がることもあるでしょう。
他者との関係性の変化とは己が変わるということであり、導くのは、あなたの知性である。
この意味において、知性は人の根幹であり、あなたそのものである。

あなたを変えるのは、あなたの知性であり、他はありえない。
ゆえに人はどうしようもない。
肯定するより他、どうしようもない。
人を外部からどうにかしようというのは暴力という名の否定であり、欺瞞であります。
なぜなら他者の否定とは、自己の否定であるから。
自己の否定とは無である。

本質とは肯定である。
肯定とは、知性のありようであり、件の知事はアホである。
知性に高低などない。
あらゆる知性は、あるがままに肯定さるべきものである。
生とは肯定であり、愛することも憎むことも、傷つけることも、傷つくことも、善きことも悪しきこともすべて、肯定さるべき、あるがままの生である。
誰もが肯定さるべき生である。
肯定さるべき有である。
あるがままの有である。
どうしようもない有である。






どうにもならぬのが生である
恋である