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クレーム処理係の登場

「不快な思いをさせてしまい、ほんっっっとうに申し訳ございませんでした!」

電話の向こうから、大仰な謝罪の言葉が聞こえた。国立別府病院からの電話だ。かけてきたのは、医療メディエーターの鈴木さんという女性だった。
電話口でわたしは、「いりょ?めでぃ?」となっていた。自分も時代からこうして取り残されていくのだろう。横文字が苦手なお年寄りの気持ちである。

医療メディエーター(医療対話仲介者)は、医療機関における苦情や事故発生時の初期対応として、対話促進・問題解決を図る。わたしは思った。

(出たな、クレーム処理係)

世の中にはいろんな人がいる。こちらが誠意を込めて謝罪をしても「心がこもっていない」とごねるような人も多い。わたしもサラリーマン時代、クレーム対応はさんざんやってきた。その時に気を付けていたことがある。

「謝罪してほしいだけの人」と「問題解決を望んでいる人」を区別することだ。どちらがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。
謝罪を望んでいる人にソリューションをご提案しても、逆鱗に触れるだけだ。「まずはごめんなさいでしょ?!」子供を叱るお母さんと同じである。
問題解決を望んでいる人に謝罪をするのも要注意だ。社会人何年目かになれば、心にもないお詫びの言葉なんてなんぼでも口をついて出てくるようになる。「タダでできるお手軽なクレーム対応やってんじゃねぇ!」こうなるわけである。

二種類の人を区別するため、わたしはある方法を実践していた。ファーストコンタクトで全ての人に後者の対応をするのである。謝罪は最初に一度だけ、形式的に済ませる。その後は淡々と事務的に。その方法で腹を立てる人には前者の対応が必要だ。

わたしのやり方が全てではないだろう。しかし、相手がどんな人かもわからない段階で、言葉をただ大げさにしただけの謝罪をぶっ放してくる鈴木さんに、わたしは少し不安を抱いていた。

(医療メディエーターってどんな資格なん?もしかして、素人に肩書だけ与えて実戦投入してない?)

医療メディエーターは資格ではない。養成教育プログラムを受講することで認定証を得ることができる。人間の気持ちを扱う仕事だ。資格があれば上手くできる、というものではないだろう。だから「なんだ、国家資格じゃないんだ」なんて偉そうに言うつもりは毛頭ない。しかし、鈴木さんの次の言葉にもわたしは耳を疑った。

「大谷先生は、そんなつもりじゃなかったみたいなんですよねぇ…」

“そんなつもりじゃなかった”は、怒っているかもしれない相手に言ってはいけない言葉TOP5ぐらいに入るNGワードである。鈴木さんは医療メディエーターを何年ぐらいやっていらっしゃるのだろう?ここ1~2年って感じだろうか。もし何年もやっているベテランなら、大分のお年寄りにはこのやり方がベストなのだろうか。

しかし、田舎のお年寄り向けの対応が万人に通用するわけではない。別府では特に。普通のおっちゃんおばちゃんが、都会から移住してきた大金持ちだったり大学教授だったりする。わたしはそこまで凄い人ではないが、田舎モン扱いをされると「なめとんか、わしゃM大出とるんじゃ」と思ってしまう。

(なんか…心配な人に当たっちゃったなぁ)

この人と手を取り合って問題解決を目指さなければならないのだ。しかも、相手が上に立って、である。考えただけで気が重くなる。鈴木さんには問題を解決する気があるのだろうか。
「患者さんの機嫌が直るまでテキトーに謝っとけ~」
わたしにはそんな風に見えて仕方がなかった。

今後、本件の話し合いは鈴木さんが仲介することになった。すでに鈴木さんは大谷先生に聞き取りを行ったそうだ。
「大谷先生は、菊池さんを転院させるのはまだ早いと思っていたみたいなんです。でも、菊池さんの要望は聞いてあげたくて、心の中に葛藤があったとおっしゃっていました。そのせいで怒っているように見えてしまったかもしれない、とのことです。菊池さんが転院を迷っている様子も感じていたそうです」

電話口で鈴木さんの話を聞きながら、わたしは心の中で静かにぶち切れていた。
(なんや、その矛盾した言い訳は?「怒っているように見えたかもしれない」なんてよう言うわ!めちゃくちゃ怒っとったやないか!私に転院を迷っている様子を感じていた?それなら、『転院はもう少し先にしましょうね』で一件落着やろが。私の気持ちを無視してまで転院を急いだ理由why?)

すでにわたしは、鈴木さんの聞き取り能力に見切りをつけていた。これ以上のレベルをこの人に求めるのは無理だ。
(なんで鈴木さんに私が気を遣わなあかんの…)
わたしは内心ムカついていた。そんな時、山本先生の声が心の中に響いたのだ。

「絶対にケンカ腰にならないように。ワチャワチャになったら元も子もないからね」

わたしはムカつきを一生懸命押し殺しながら言った。
「私はもとの大谷先生に戻って下されば他に言うことはありません。次の診察では普通にしていてほしいと先生にお伝えください」

鈴木さんはわたしに言った。
「次の診察は私も同席しましょうか?」
診察室で大谷先生と二人きりになるのは、今は確かに気まずいかもしれない。先生にとっても鈴木さんが同席したほうが安心だろう。わたしは鈴木さんに「宜しくお願い致します」と伝えて電話を切った。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。