ごほうび

近年、「ごほうび」という単語をよく耳にする。昔であれば、「おつかいを頼まれた小さい子どもが、帰宅後に親からおやつをもらう」というごほうびがあった。昭和世代なら何となくわかると思う。最近の「ごほうび」は、頑張った自分へのプレゼント。どちらかというと、「他者から与えられる思いがけない贈り物」ではなく、「自分で自分をねぎらうもの」という意味合いも強くなっている。ご褒美の「褒」は「衣」と「保」からなっており、「保」は「抱く」ということ。「新漢語林」によると、「物を抱きこめるような大きな着物」を表すのだそうだ。

ところで2022年12月16日金曜日の日経新聞夕刊にも「ごほうび」が出ている。トレイルランナー・鏑木毅さんのコラム「今日も走ろう」に掲載されていた。タイトルは「至上の感覚生んだ『ゾーン』」。ゾーンとは、ランナーズハイのような、自分の力を超えた不思議な感覚。鏑木さんは「超常体験」と言い換えている。そしてこう綴っている:

「ゾーンとは長きにわたり真剣に取り組んできた選手へのある種のほうびだと思っている。」

つまり、なかなか味わうことができないものだからこそ、自分の練習や努力の結果、そうした超常体験ができるのは幸せなのだ。

私も「通訳者ハイ」のようなものを体験したことはある。そう頻繁にあるわけではないけれど、必死になって同時通訳をしているというよりは、気が付いたら口が回って日本語訳が出ていた、という感じ。そう滅多にあることではない。

しかも不思議なもので、前夜の睡眠の長さや質は関係ない。「連日同通をやっていて舌がなめらかになっていた」というわけでもない。久しぶりに放送通訳現場に入ったにも関わらず、そうした境地になることがある。自分でも理由はよくわからない。

でも、鏑木さんの言うように、もしそれが「ある種のほうび」であるなら、とても嬉しい。頻繁に味わうことができないからこそ、「またあの感覚を味わいたいなら、必死で勉強せよ」という通訳の神様のお声かもしれない。

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