僕たちは弱くなる

最近ではあんまり聞かないけど根性論ってどこにいったのだろうか??
よくあるのが根性が足らないから弱いんだ!と叩かれて走りをやらされたりする部活などのワンシーンである。
とある野球漫画で昭和の甲子園にタイムスリップした高校球児が現代の知識と技術で甲子園優勝を目指すといったものがある。

どうやら根性論は古く劣っているものとされたようだ。この漫画からもわかる通り技術次第で人間はレベルアップできるという風潮がある。例えば、OO攻略法、OOができるようにはこれをしろ!などなど具体的に情報でレベルアップすることが主流となっている。

だが僕は平成生まれだが根性論を大切にしているというか、これができないことには本当のレベルアップはないと思っている。決して僕は昭和信者でないことはここで言っておく。

なんで根性論が大切なのか話そう。
我々の生活は人類史上便利になった。歩いて5分で24時間やってる店はあるし、ウーバーでいろんなものが1時間以内で頼めて食べれる。そう!私たちの生活は無駄がないのだ!素晴らしい!と思う。が、しかしこれは人間の精神の強さとの対決である。私たちは時間を節約し、なるべく早く(これを便利という)しようとする。同時にそれが進む世界では待つことが悪とされる。待つことは言い換えてみれば我慢である。便利な社会では我慢しない社会となりうる。我慢ができないと、集中すらできない、するとますます人は便利で集中を補おうとする。
これのいい例がセックスである。集中ができない人間がセックスをするとどうなるか、EDになる。それを補おうとバイアグラなどを使おうとする、そうするとバイアグラなしにはセックスができなくなる。その薬が効かなくなるとよくわからない薬に手を出すだろう。便利になるということは人が本来向き合わなくてはいけない問題と向き合わせない側面をもつ。
では便利が悪いのか??そうでもないと思う。
本当に悪いのは人間が便利、つまり資本主義社会にの見込まれてしまうことである。資本主義社会は確かに世界を変えた、どうじにその有効性を人は過信しすぎて飲み込まれてしまった。その人たちを救うのは自分の心を鍛えるほかない。自分ともっと向き合うのだ。精神を常に鍛えて、人間力を向上させた上で資本主義と向き合わなくてはいけない。
僕たちは弱くなってはいけない。

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