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【雑記】「正義の反対はもうひとつの正義だ。」幼い私はミスターKと死神博士に教えてもらったのかもしれない

 『正義の反対はもうひとつの正義だ』

 『正義の反対はもうひとつの正義だ』ネット・ミームで昨今流れるこの言葉、私は、これは真意であると思っております。
世は既に第三次世界大戦に入っていると囁かれています、その当事者同士もまさに冒頭のネット・ミームの通りでしょうし、企業間の取引だってそう、個人の慎ましやかな日々の生活に落とし込んでみても、幾らでも当て嵌まります。
このような考え方は、私個人としては、実は小学生になるかならないかの頃には何故かそれなりに理解できておりまして、、そんな思考のためか、仮面ライダーやキカイダー、ウルトラマンやレインボーマンなどの敵として登場した数々の組織や怪獣たちに、当時から並々ならぬ思い入れを持つという、まぁ多少ヘンテコな子供だったのではないかと思います。
そんな数あるヒーローものの敵の中でもお気に入りのひとつは、まずはレインボーマンの宿敵、ミスターK率いる『死ね死ね団』です。私も大きくなったらあの巨大組織に入りたいと心の底から願ったものです。

(ミスターKと世界的な秘密結社『死ね死ね団』の皆さん)
(ミスターKと世界的な秘密結社『死ね死ね団』の皆さん、女性は幹部)

この白髪の紳士ミスターKは、第二次大戦中に家族を日本軍に殺された事から日本を心底憎み、この世界から日本人総てを抹殺しようと謀る世界的な秘密結社『死ね死ね団』の国籍不明のリーダーです。一説にはフィリピン出身だということですが、以降は国籍を持たず世界の裏舞台を渡ってきたのでしょうね。なによりミスターKほどのBigな至高の存在にとっては、国籍なんていう、そんなちっぽけな縛りなど必要なかったのでしょう。

(憎きレインボーマンのせいで左腕を失おうとも、目的達成のため常に頑張るミスターK)
(失った左手には、こんなフックが装着できるようになりました、強そうです)

そしてこの一際ひときわぶっ飛んだ団体呼称の『死ね死ね団』は、日本人を麻薬浸けにし堕落させる、宗教団体『御多福会(おたふくかい)』を通じて大量の偽札をばらまきハイパーインフレを起こして日本経済をぶち壊す、人工地震を起こしまくり日本を大混乱させ世界の信頼を失墜させる、最後は魔女や改造人間なども動員し大逆転を謀ろうとするなどなど…、まさに今の世の中に広まる陰謀論の全ての大元みたいな悪の結社なのですね、過去に私が個人的に強く入会を誘われた、何故か陰謀論で必ず名が出る友愛な世界クラブ(?)でさえも、この『死ね死ね団』の前では間違いなく尻に帆を掛けて逃げ出す程の、徹底した悪の結社なのです。
死ね死ね団ほんと恐ろしい((((;゜Д゜)))

(もはや日本歌謡界の伝説『死ね死ね団のテーマ』です)

しかしそれでも私はミスターKの、このストイックな生き方に、子供なりにも惚れ惚れしたものです。なにより彼には、そこまでしても日本人をこの世から葬り去りたい道理があるのです!そうそれは日本軍兵士に不条理にも殺された彼の親兄弟、その復讐です!・・彼の家族が殺された時、きっとまだ幼かったミスターKは、涙が枯れるほどに泣いたでしょう、泣いて泣いて、やがて涙すらも出なくなった頃、彼の心の奥には悲しみに入れ替わるように、日本に対する底なしの憎悪の念が沸き起こったのではないでしょうか。その後のミスターKは、その復讐心をバネにここまでBigな存在になったのです。日本に対する復讐心、それは裏を返せば、殺された家族への深い思い・愛情に他なりません。この彼の動機を、その思いを通すこととは、少なくとも彼にとって、そして彼が率いる世界規模の秘密結社『死ね死ね団』にとって、まさに正義なのではないでしょうか!
そんな筋を通す優秀な人物ミスターKだからこそ、彼の元には次々と優秀な人材が集まってきました。ミスターKを信じて、どこまでも健気けなげについていく優秀な女性幹部たちがよい例です。しかしその女性幹部たちも、最後は次々に自ら改造手術を施し果敢にレインボーマンに挑み、そして見事玉砕していきました!あぁ世の無情よ‥。
ミスターKはそのたび深い悲しみに陥ったことでしょう、番組内でも何度もその悲しみを強い意志で振り払う様子が確認できます。そうです彼はくじけないのです!信頼した女性幹部たちが玉砕するたび、彼は悲しみを怒りに変えてさらに前に進むのです!なんでそこまで出来るのか?それは彼には大義があるからなのです!彼には彼の正義があるからなのです!
なによりミスターKには男の物語がある!どんな力にもくじけず常にブレない目的意識、そしてハードボイルドな生き様!クールなポーズをしつつも、その心の奥に見え隠れする守りたい愛や友情がある!そんな魅力あふれる人物なのです!
‥それに比べいつも薄っぺらい正義を振りかざすレインボーマンの、毎度毎度なんと青臭いことか、、正義の主人公のくせに、最終回なんてどれだけ無様だったんだろう、ダイバダッタが助けにきてくれたんでミスターKが日本から逃げ出したんじゃないか!
『あの勝利は貴様の力で勝ち取ったものではない!オマイは本当に真面目にインドの山奥で修業したのか?レインボーマンよトンだ甘ちゃん野郎だせ』と、幼心にも随分とイライラさせられたものです。
『もっと世間を知れ青二才め!』
小学生になるかならないかの私は、テレビの前でいつもこのようにレインボーマンを罵倒しておりました。

そしてようやくここからが今宵の本題なのです!

 そんなレインボーマンは1972~1973年に放映されたものですが、同時期に放映され、コレまた私を夢中にさせたのが仮面ライダー、その敵である『ショッカー』でした。この世界的な秘密組織『ショッカー』との出会いが、私が幼い頃からモヤモヤとしてた疑問『正義ってなんだ?』の自分なりの答えに、もう少し具体的にいうと、ついこの前『大多喜無敵探検隊 act:13』で書いた通り、保育園児の頃に出会った本物の死神博士との会話が大いにきっかけになり、自分なりの答えに至ることが出来たんじゃないかなと‥。

 その当時、私が住んでいた昭和40~50年代の千葉県の房総半島南部は、まさに都会のための観光地の様相でして、休日になると、今とは全く比べ物にならないほどに観光客が押し寄せて賑わっておりました。さらにこの地は気候温暖、風光明媚で、都心からは昭和の時代でも自動車や電車で2~3時間で着くことから、様々な特撮ヒーローものの撮影も頻繁に行われておりまして、勝浦市の行川アイランドに至っては、よく仮面ライダーの番組撮影が行われていたのでした。
当時、地方紙『千葉日報』の新聞記者だった父が、その仮面ライダーの撮影風景や、付随して行われる仮面ライダーショーを新聞の記事として取材する際などに、私たち兄弟もちょいちょい連れて行ってもらえたんです。そして今じゃ考えられないんでしょうけど、当時はそんな撮影スタッフや俳優さん自らが、ファンサービスも含めてなのか、撮影後に仮面ライダーショーをやってくれたのでした。
目の前にいる仮面ライダーは、ショー用に準備された仮面ライダーじゃなく、私たちがテレビで見るまさに『本物』で、敵のショッカーや怪人たちも無論テレビに出演する本物の皆さんです。これはある意味すごいことで、当時まだ保育園の年長さんだった私でさえ、その秘められた凄さ、希少性や価値に感動したほどです。
まーそして、撮影が終わった仮面ライダーには、毎度のごとく子供たちがワーワーキャーキャーと、まるで砂糖に群がるアリのごとく取り囲んじゃうわけですよ。子供の親もいるんで物凄い取り巻きが出来るのです。
そんな他所の子供たちのハシャギようを見ると、私も子供のくせにナマイキに
『おやおや、何だかみんなハシタナイね』┐(´д`)┌ヤレヤレ
・・なーんてうそぶき、その群衆の外側から新1号を遠巻きに眺めてたりしているわけです。
以下の写真が、その時のものです。

(撮影終了後、子供と親たちに取り囲まれた仮面ライダー新1号 行川アイランド 1972年頃)

 そんな時、私は出会ってしまったのでした!本物の死神博士に!!
砂糖に群がるアリの群れを遠巻きに眺める私の、そのさらに背後に、彼はポツンと一人でいたんです。そして彼は仮面ライダー新1号に群がるアリ(失礼!)たちを眺め、何だかちょっと寂しそうにしてました。そんな折、死神博士の近くを偶然通りがかったチビッ子が彼に気付き、あろうことか
『ギャー、しにがみ博士だ死んじゃえーーー!!』とトンでもない罵声をあげてスッ飛ぶように逃げていきました。
死神博士はちょっと困ったような笑みをし、その長身の背を少し丸めてヤレヤレといった表情をしていたのをしっかり覚えています。なんだかとても胸が苦しくなる光景だったんです。
私はその時、一緒に並んで仮面ライダーを眺めていた父にお願いしました
『父さん!死神博士のところに行きたい!』ってw
そうして私は、父と、死神博士を怖がる弟のクニオを引き連れ(?)、彼のところに行きました。
本物の死神博士は、テレビで見るよりずっと背が高くヒョロリとスマートな人で、私がよくテレビで見る通りの、真っ白いタキシードに黒くて長いマント、そしてむちを持っていました。なにより本物の彼を至近距離で見たとき、物凄く濃いメイクがされていたことに驚きました。ムチャクチャ濃いアイラインや額の黒い線、ゲッソリとした頬の暗い影、本当に死神のような不健康そうな顔!!まさに極悪マッドサイエンティストの様相です。まーコレじゃー大概のチビッ子は怖がって逃げ出しますって。正直この時の私もビビってましたし、弟のクニオにいたっては彼に近づくことを必死に拒んでおりましたww
最初に彼に話しかけたのは新聞記者の父です。死神博士、つまり俳優の天本英世さんと父は、挨拶ふくめ大人の会話を2~3し、やがて二人で談笑しはじめ‥、で、私も勇気を出して彼に話しかけたんです。
緊張しながらも何を話したのかといいますと
『ねぇねぇ死神博士、ショッカーって悪い人なの?』
『仮面ライダーに毎週みんなやっつけられてくやしくないの?あんなのやっつけちゃおうよ!』
みたいなことだったと思います。我ながらガキでしたね。
でも彼はそんな私を、とっても優しい目で見つめ、そして穏やかな口調で語ってくれたのでした。まぁー今思いかえすと、確か笑いながらでしたがw
『じつはオジチャンも困ってるんだ』
『‥いいかい坊や、本当に悪いのは昔からの仲間のオジチャンたちを裏切って、オジチャンの部下のショッカーを殴ったり蹴ったりしてイジメる仮面ライダーなんだよ、ひどいやつだろう?』

その時の私は Σ( ゚д゚)ハッ!やはりそうだったのか!!と思いましたね。完全に信じちゃいましたよ。
敵役だった彼からすると、つよく応援してくれている子供がいることが嬉しくって、ついついサービス精神で話を盛り上げてくれたのでしょうが、私はますます信じてしまい
『やっぱり悪者は仮面ライダーだったんだね!』『死神博士!仮面ライダーきっとやっつけてね!』と言い出す始末、
5歳の私、まったく可愛いヤツです。

(本物の死神博士はメイクが一際濃くって正に死神のようでしたが、とっても優しい人でした)

そこで死神博士と父は目を合わせて大笑いしてたのを思い出しました。
挙句、死神博士は私に笑いながら『坊やはあんな大人になっちゃいけないよ』とww
そう!このときの死神博士との出会い、このときの敵の大将だった人物側の言葉によって、私の長年の‥、といっても精々この時は5年ぐらいの人生ですが、、子供向けヒーロー物の見過ぎで、ずっとモンモンと悩み考えていた『正義とはなにか』という、私にとっての大きな問いに、一条の光が射したのでした。
『まったく死神博士が言うとおりだ、仮面ライダーは組織を裏切り、仲間に暴力をふるう悪者だ、だから仮面ライダーを懲らしめなければならない。』
一般的には悪者扱いされるショッカーですが、やはり私の思った通りショッカーにはショッカーなりの正義があったんです。なによりショッカーの偉い人が言ってるんだ間違いない!!
・・でもまぁ、そうは言えども仮面ライダーも世の大多数から『正義』の存在と広く認識されている。そんな仮面ライダーにも仮面ライダーなりの義はきっとあり、世間から認められるものがあるのだろう、まぁ仮面ライダー当人にはあまり個人的に興味はないが‥。
つまりまとめると、ようは『正義の反対は、もうひとつの正義』、どっちにも正義があるのです。これが当時、小学生になるかならないか、保育園の年長さんの私がたどり着いた答えでした。
まーあとは好みの問題ですね、私はショッカーが好きだ、これは揺るぎない。改造バイクで暴走する所詮は小物の怪人『バッタ男』でしかないクセに、大仰おうぎょうにも正義面せいぎづらをする仮面ライダーはどうにも鼻持ちならないのです。前出のレインボーマンにしても、私の中では理不尽に殺された家族の仇を取るために生きるミスターKの死ね死ね団にこそ、深く正義を感じられました。もうここまでくると、このような思考のロジックは私の生まれながらの性分なのでしょう。
ただ、この一連の会話の際の父と死神博士の、つまり我が父と俳優の天本英世さんのその笑いの真意を、当時5歳の私がしっかり理解できていたならば、この考え方はまた変わっていたかもしれませんが、、まーチビッ子でしたしこんなモンでしょう、我ながら上出来です。
なによりこの出会いは、私にとってはその後の人間形成にも何気に影響を与えてくれたと思える、とても良い出会いだったんじゃないかと思います。

(小学校入学前の私とクニオ、そして新聞記者の父と母 行川アイランドにて 1972年頃)

 こんな感じで私たち親子が死神博士のところで楽しそうに談笑しているうち、死神博士が本当は優しくってよく笑う人だってのが分かったのか、仮面ライダーに集まってた子供たちが、今度はこっちにゾロゾロと集まってきました。そして彼を独り占めするのは申し訳ないと、父と私、弟は、死神博士にお礼をいって頭を下げてその場を退散しました。‥いや、クニオは頭を下げてなかったな、アイツは手を振ってた。ショッカーの大幹部『死神博士』に対して何と失礼なヤツなんだ!まぁ保育園の年少さんだから死神博士への無礼は私が大目にみよう‥。
ちょっと前に『大多喜無敵探検隊 act:13』で、死神博士に出会って色々と話したことを思い出しながら書いてたら、あれ以来、あの日のことが非常にリアルに頭に甦ってきて・・、折角ですし、当時の記憶をここに残しておくことにしました。
しかし父も死神博士も、いやいや俳優の天本英世さんも今思うとヒデェよなぁ、小さかった頃の私をからかってたんでしょうねw

・・まぁ、繰り返しになりますが、この当時の死神博士とのこんな会話が、私が幼い頃から抱いていた『正義』に対してのモヤモヤ感を、私なりに理解し納得・昇華させる切っ掛けになったんだと思います。
『正義の反対はもうひとつの正義』
世の中、これはガチです。だから常にお互い相手を十分尊重しあいましょう。しかし片方だけではだめですよ、それは相手に蹂躙されかねませんしね。
でもお互いがお互いを尊重しあえる世の中になれば、そうすりゃいつの日か、この世に争いごともなくなるんじゃないでしょうかね。

【追記】
私が死神博士と遭遇したのは仮面ライダー本編の 第61話「怪人ナマズキラーの電気地獄」の撮影のときです。これは1972年5月7日に放映されました。もちろんこの放送に私は映っておりません。また、このときの撮影場所だった勝浦市の行川アイランドは、劇中にて『滑川アイランド』と名を変え登場、その地下はショッカーの日本支部という設定だったようです。
仮面ライダーの撮影は、この行川アイランドがある勝浦市をはじめ、お隣の御宿町の海岸や山野などでも、よく行われておりました。

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